猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

企業興亡記 Ⅰ

2007年11月01日 16時07分49秒 | 仕事
 ご無沙汰しておりました。前から書きたかった事を書きます。まんがのことではありませんが、暇つぶしにでもお読みになってみてください。
 なお、以下に書きますことは自分の聞きかじり、又聞き、などによるもので事実とは反することもあると思います。創作としてお読みください。


 ここに二つの企業が有ります。業種も会社の成り立ちも違うこの企業ズ、仮にA社、B社としておきましょう。会社は違っても、多くの会社の創業者がそうであるように、二つの会社の創業者にも共通点が多く有ります。ひとつはアイデアマンであるということ。

 

 A社の場合 1.

 A社の創業社長はA氏。彼は戦前本州の真ん中の山の中の故郷から東京へ出てきて、タクシーの運転手から身を起こし、終戦時は小さなタクシー会社を経営していました。
 折から戦後の恐慌期、東京には米軍が乗り込んできて土地など強制接収されるという噂が流れ、東京の土地は二束三文で売りさばかれるという時期がありました。

 そこに目をつけたA氏、赤坂や青山、日本橋など都心の一等地を買って平地 (ひらち) のタクシー・ハイヤー駐車場にして、会社を広げていったのです。
 同じ事をしたのはA氏ばかりでなく、日本橋の地主の 三○、丸の内の地主の ○菱、新橋・虎ノ門の も○ビル など戦後の混乱期に東京の土地を大量に買った大企業もいくつか有ります。皆が都心を見捨てて逃げるとき、人の反対をすれば儲かる、というのはなにやら 株のことわざ のようですね。(笑)

 さてまた、GHQが自分達の使いやすいようにタクシー会社を4社に大同合併させた折も、(中小の会社を4つにグループ分けした) あるグループの盟主となり、順調に業績を伸ばして行きました。
 途中やり手のO専務が、出る杭は打たれる習いで会社を飛び出して同業を始めたりとかの造反も有りましたが、見事業界トップの座に君臨するまでになったのです。

 ちなみにA社を飛び出したO氏は、後に○ッキード事件で注目を浴びた政商の○佐野賢○氏です。
 彼の会社のバスは私の地元の方で幅を利かせており、子供の頃はバスは全部 都バスか国○興業 なんだと思っていました。今でも緑のカラーで走ってますよ~。

 社長のA氏は現場叩き上げらしく、事前に告げずにちょいと各営業所に顔を出し、気が付いたところをすぐに直してくれたり、現場の意見も聞いてくれる気安い人だったそうです。
 平地の駐車場にしていた都心一等地も高度成長期にはビルを建てて、運送業というより大手不動産業のよう、中小のタクシー・ハイヤー会社も吸収合併して、いよいよ会社は成長を続けて行く中、A氏に不幸が訪れます。それは次期社長にと期待をかけていた長男A´氏が30代の若さで亡くなってしまったことでした。

 悲嘆にくれながらもA氏は次期社長に妾腹の次男のa氏を立て、自身は昭和56(1981)~57年頃に亡くなりました。


 B社の場合 1.

 B社の創業社長はB氏。実はB氏の父親が故郷四国の漁港で漁師相手に漁具を売ったり貸したりしていた会社が元々あったので、本当の創業者ではないのですが、現在の業種にし、四国の田舎から大阪に出、又東京に進出して来たのはB氏なのです。

 B氏も戦後都心といえる土地に本社の土地を取得し、小さいながらも建設資材をリースする会社を経営していました。東京に進出してきた初めは、故郷の名士を同郷というだけで突然訪ねて紹介をお願いしたり、社長の奥方は会社で炊き出しをして社員にご飯を食べさせたりといろいろな苦労があったようです。

 高度成長期には建物のリースという新しいアイデアを採用し、これが又時代の趨勢にあったものかいよいよ成長し、A社同様、建物のリースのアイデアを出した元常務が飛び出して同業を始めるなどという事件も有りましたが、こちらも業界2位の地位を確保する大躍進となりました。また、B社の自慢は創業以来無借金の優良会社ということです。

 B氏は小柄で人懐こい笑顔が印象的な憎めない性格で、同郷というだけで頼って行った故郷の名士たちにも可愛がられ、カバンを肩に日本中の支店・営業所を疲れも知らず行き来して社員にも大変人気が有りました。それは頼りになる親分気質のカリスマ性というよりも、無邪気で私欲の無いこの人の為ならばという 長嶋さん 的な人気だったかも知れません。

 実質創業者として人気があったB氏の長男B´氏は大学卒業後、地元名士の中でも有名な、太平洋戦争最後の参謀と言われ、当時大手商社の役員をしていたS氏の元で帝王学を叩き込まれ10年後B社に入社、何年かの後B氏が亡くなったので、2代目社長として会社を背負っていくことになりました。

 このS氏、山崎○子氏他、あまたの小説のモデルとなり、晩年TVで自らの人生や日本のこれからについて語り、先頃9月に95歳で亡くなられて話題になったのでご存知の方も多いかも。

 B´氏はB氏の次男とB氏の性格を分け合ったようで、可愛げは次男へ、細かいところは長男であるB´氏の方へ行ったなあとか、又、帝王学と言ったって、机上の空論ばかり言って現場を知らないじゃないか、などと陰口を言われながらも父親が大きくした会社を潰すわけに行かないと慎重に会社を運営し、バブル崩壊後も業界2位を不動のものにしています。
 
 さて、長い文章になってしまいました。パート2.は次回に致しましょう。
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決算で忙しかったです。

2007年04月18日 11時59分14秒 | 仕事
                比べてみたって・・・。

 しょうがないのだけど、昨年3月の仕入れ請求書の束 (右) と今年3月分の仕入請求書の束 (左)。
 明らかに今年の方が少ない
大丈夫か 我が部よ
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本日の職場小ネタ

2007年03月29日 16時59分00秒 | 仕事
  決算時期で忙しく、小ネタで失礼致します。 何であたいの写真なの ? と亜美嬢


 先ほど、20分くらい前のこと。社員の親御さんの訃報がFAXで来たので、部一同の名前で弔電を打ちました。受話器を置いてほっとしていると、同じフロアの違う部の去年入った新人ちゃんが同じく弔電の電話をかけているらしい。
 
 ○○郡え~○○町それから~

 とたどたどしい。喪主の段になって、お名前が ○さん だったのが説明できない。

 え~、なんて言えばいいの~ ?

そこに男性社員が 一郎・次郎の郎じゃないの、とまた違ったこと言ってる。うんもうっと、決算仕事の手は休めずに響き渡るトミー。姉さんの一声。

 ほがらか~ !

 フロアは笑い声に包まれましたとさ。

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女の定年。

2006年08月03日 16時48分34秒 | 仕事
       今月、女性の先輩が定年を迎えます。


 本人は再契約して、会社に残りたいようでした・・・。世間では定年延長(再契約等)がかまびすしいのに、我が社にはあまりそういう考えはないようです。
 我が社でも、部長クラス以上で定年 (当社は60歳) を迎えたものに対しては慰留して、そのままの役職付きで残ってもらっているようです。3年から5年くらいでしょうか。もちろん、その人により違います。ゆっくりしたいと自分から、1年契約を途中でやめる方もいます。

 実は彼女は、女性で最初の定年を迎える方でした。我が社は結構若い会社で、私が入った頃 (もう27年前ですが) は、なんと平均年齢が20歳台だったのですよ 今は40歳代らしいです。

 私を含め、50歳代になった女性3人は彼女に対する総務 (会社) の動向を息をつめて見ていました。本当に残るかどうかはともかく、選択肢があるのはいいことですものね。関心、大いにあります。結果は・・・。彼女に相談らしい事もなく、あっさり総務部長から定年を言い渡されたそうです。 

 事前に兆候がなかったわけではありません。いつだったか、政府の団塊の世代用に定年延長推進策が出された時、会社としても何か打ち出さないといけないと思ったのか、さる書類が通達されました。しかし、内容は包んではありましたが、よくよく読むと、会社に都合のいいことばかり。やっぱりね、うちの会社だもんね、とみんなで言い合ってお終い。

 他の会社さんもそんなものなんでしょうか。そりゃねー、民間の会社に年金の肩代わりさせて、60歳以上でも働かせて税金取ろうという政府も政府だと思うけど、おっかぶせられる会社も大変よね。全員再雇用なんて出来ないもの。社員年寄りばかりになって活気が無くなるわ、若い世代を育てられないわ、という事は会社の未来がないもの。

 男性だって何割かしか残れないのに、女性なんてお呼びじゃないの。それは分かっているけれど、団塊の女性達の中には、結婚せずに会社と結婚したような方々も多いはず。 (元の数が多いのだから) こういう人たちはこれからどうやって生きていくんだろう。いやいや、他人事ではありません。私だってあと何年か後には待っている現実。今から定年後~老年前の過ごし方を考えておかなければ・・・。 年金だって64歳からだしね。
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女子大生の就職希望先は?

2006年05月23日 08時52分43秒 | 仕事
 大学生の就職したいランキングというのをたまたま見た。女子学生は以下の通り。


女子大生(文系)

1   東京海上日動火災保険
2   三井物産
3   全日本空輸(ANA)
4   三菱東京UFJ銀行
5   みずほフィナンシャルグループ
6   ジェイティービー(JTB)
7   損保ジャパン
8   日立製作所
9   日本航空(JAL)
10  松下電器産業

 実はこの上位にある、某一流企業は、だんなの取引先。女子社員の雇用形態の実際を以前から聞いていました。
 こちらは秘書さんだけでも30人以上の大所帯だそうで、2~3人の管理職以外はほとんどが女性。50歳~40歳台の方も、もちろんいらっしゃいますが、その方たちは
皆、正社員だそうです。30歳代の方が少なくて、27歳までの若い女性秘書が半分位か?

 どういうことかというと、27歳までの人たちは、社員は社員でも「契約社員」なんだそうです。大学出て、5年契約で入るわけ。そして、よっぽどで無いと5年経過後の再契約は無いと・・・。こういう雇用形態にして10何年経つから、30歳代の女子社員が少ないと。だんなから見て良い子(性格がですよ)だなぁと思っていた女性社員が27歳になるとほとんど退職の挨拶をするんですって。

 その後、この人たちはどうするんだろう。元の会社の名前で、次の勤め先を探すんだろうか?それとも、一流会社にお勤め中に、お見合いでもしまくって「壽」退社に持ち込むの?もともと長く勤める気なんてないの?日本の会社に愛想を付かして海外留学とかするんだろうか?帰ってきてからどうするの?
 友人から、その又友人の就職先を頼まれているけど、42歳、留学及びアメリカで就職経験有りって言われてもねー。今は少し景気が良くなったと言っても、新卒だって女子は就職大変なんだから。

 日本の超一流会社の実態がこうですよ。女子大学生の皆さん、騙されちゃいけません。女性を使い捨てにするような会社に憧れちゃいけないと思うんですが。名前は知られなくても、社員を大事にする会社はきっとあると信じたい。

 今日はちょっと辛口。一生に関わる就職はよくよく慎重にして下さいね!

 自分の反省含む・・・。
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請求書の束。

2006年04月17日 15時27分49秒 | 仕事
             4月の第2週で終わりましたが、決算でした。

 3月度の我が部署に来た請求書の束です。まとめたコレを本社経理に送ります。流石に多いです。金額にして4億円近い金額いつもの月の何倍も有りました。

 現場別に営業から回ってくるこの請求書を1枚づつ検算し、消費税が合っているかチェックし、社版・社印が押してあるか確認し、1枚づつパソコンに入力し、全部入力し終わったら、入力確認表を打ち出して1件づつ間違って入力していないかチェックし、(コレにほぼ1日費やしました)一覧表を打ち出して業者ごとの枚数と金額を確認し、と仕入れ請求書だけで気が狂います。他にも客先へ出す請求書、この期に及んでの工事番号の追加など、(仕入れ請求書を見てから、やったことを思い出す営業)やることはいっ~ぱい。

 しかも早くから廻してくれるような営業ではありませんから。どちら様の会社もそうでしょうけど。2~3日でやらないと、締めに間に合いません

 まっ、ぐちはともかく、締めの時期はどこも大変。あちこちのブロガーさんも、お仕事を持っている方は今頃やっと、一息入れている頃ではないでしょうか。

        
             17年度、お疲れ様でした。もう18年度、始まってます。
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勤続年数の半分、カラスは白かった。

2005年12月27日 11時05分42秒 | 仕事
        写真だけでも和やかに、亜美猫の日向ぼっこ。


 またまた白状しますが、私は勤続26年のOL(オールドレディともいう)さん。超お局OLでございます。会社生活の半分、13年間は、秘書(という名の雑用係り、本当の意味の秘書では有りません)をしてました。その頃、上司がカラスは白いと言ったら黒でなく白でした。お若い方、言ってる意味分かりますね。

 決して横暴な上司でなく、可愛げのある秀吉タイプの方で、私は様々な事を教えて頂きました。亡くなってしまわれましたが、今でも大変感謝しています。
 
 年代による考え方の違い、性差によるもの、立場によっても考え方は変わります。社長ともなると、社員とその家族を考えると簡単に会社を潰すわけには行かないですからね。いろんなことが絡まって、私と意見が違うのは当たり前。上司に逆らったら会社に居られませんから、カラスは白いですね、となる。

 仕事なんて妥協の連続、カラスくらいなら幾らでも白いと言います。 

 どうしても納得できない事はあいまいに「そうですね~」と言葉を濁しておく。ケンケン反論したりしません。私はこうやって仕事してきました。途中で部署が替わって、以前程は持論を曲げたりしませんが、(それどころかお局独裁?)自分の性格があの13年によってよく言えば丸く、悪く言えばどっちつかずの八方美人的な性格になったのではないかと考えられ、ちょっと恐ろしい気も。仕事によって性格は作られる、ですかね。

 もともと、5人兄弟の真ん中、あっち見てこっち見て、ちょうどいい事言っておこう、という性格だったかも知れません。

 何を言おうとしているか、分からなくなってまいりました・・・あれれ・・・


 お仕事長続きするには、妥協も大いに必要よ、という事かいな。会社に入ってすぐにやめていく子が居ると、どこ行っても同じなのに、と思ったり、でも自分でやって見ないと分からないのよね、と思ったりしている今日この頃でございます。
 
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派遣で働くという事。

2005年12月12日 09時59分03秒 | 仕事
 他のブログさんで派遣の面接に行った話を読んだ。うちの会社(建設関連)でも、女性の派遣はよく雇っている。事務の子が結婚等で辞めると次の新入社員が入る4月までつなぎで入れたりする。前はPCに詳しい人を入れて、エクセルの表を作ってもらったりしてた。今は私だって出来るけどね。当たり前の技術になってる。

 派遣の会社へ払う金額を見ると結構高いのでびっくりする。その内の幾らが本人に行くんだろう。経理じゃないからはっきりしないが、6割~7割位か。
 
 若い社員の子は私より高い!って言うけど、そのまま彼女達に行くわけじゃないからね。派遣会社に払っているに中に社会保険料とかも入っているはずだけど、高給取りではないよね。自分で探す手間を省くだけと割り切るか、または昔うちにいた子が言っていたように、5年くらいだったら派遣の方が給料いいですよと思うか。これも若いうちと思うが。
 彼女曰く、どうせ10年も20年も勤めるつもりは無いから、ちょい時給の良い派遣で5年勤めて結婚なり、自分の手に職を見つけるなりするつもりだとか。こういう考えも有るか。

 でも、私のような中高年になるともちろんこんな考えは出来ない。大体、派遣会社に登録できても若い子と一緒の仕事で一緒の時給。経験が考慮される仕事はあるの?よっぽど手に職付けとかなくちゃね。私のような何にも出来ないお局OLは、今の会社にしがみ付いとかないと次が無いよ。

 前にも書いたが、OLさんも長く勤めるのは大変なのよ。

 会社に長く勤めるのも大変、飛び出るのも大変、独立するのはもっと大変、楽してお金は頂けないということです。
 
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会社勤め  今昔その2 同年代の仕事事情

2005年08月05日 10時38分38秒 | 仕事
 私と同年代(50歳前半)の女性の仕事事情を書けば、時代背景は違ってきているけれど、後に続く若い方の参考になるかしらんと思い、書いてみます。

 
 中学校で一番仲が良かった子は、頭のいい子で、エレベーターの高校に受かり、一流大学へそのまま進学。なんと卒業するかしないかで歴史物の本を出してしまいました。そのまま作家さんになるのかと思っていたら、そうは上手くはいかないようで、出版社へ一時勤めたのかな、今は共同経営のような形で小さな出版社をやってます。

 当たった本も有るらしく、金持ちとまでは行かないけれど、好きな仕事で生活できているようで、羨ましいことです。結婚はしていないけど、共同経営者と一応カップルのようです。一応と言うのは、相手に妻が居たような、その後相手は離婚したような、あんまりはっきり聞いてません。こちらからは聞かないので。

 
 高校の卓球クラブの仲良し同期6人は現在専業主婦3人、兼業主婦二人(私含む)、独身一人という構成。私じゃない共働きの方は、母校の先生をしています。ずっと共働きで2人のお子さんを育て、(お母さんの手助けはあったようですが)頑張ってるなぁと逢うたび思います。
 専業主婦の人もパートに出たり、ご主人の仕事を手伝ったり、何かしら仕事をしているようです。
 
 全員、一度は会社勤めを経験し、社内結婚したり、ずっと同じ会社で働いたりして、真面目に人生を送ってきた人たちばかり。50歳になったのをきっかけに久しぶりに集合し、旧交を温めました。
 高校のクラブOG会というのもあって、時々先輩や後輩にも逢えます。やはり40歳過ぎて、子供の手も離れ、ほっとすると、誰言うとなくOG会が始まりました。


 学生の頃の親友は、一度有名な広告会社に勤めていたのに、ステップアップしたくて学校へ入り直したこれまた頑張りやさん。卒業後、同業の広告関係に勤めていたと思いましたが、お父様が亡くなったのをきっかけに自宅でマックを使いデザイン会社を興して、本人曰く細々とやってるわ。と言う事です。もう10年くらい前の話ですから、先見の明があったのでしょう。


 バイクの仲間(全員女性です)も今でもみんな仕事してるなぁ。私よりみんな年下だけど皆40歳代に突入してます。専業主婦は今は二人だけ。

 子供が小さい時は専業主婦だったけど、手が離れたら待ってましたとフルタイムの仕事を見つけた人。
 結婚したので、フルタイムからパートにしてもらったのに、オーナー(高級ホテルに有るような高級ブティック勤務でした)にたよられちゃって、ほとんどフルタイムに戻っちゃってる人。
 子供を育てながら、ご主人の会社の経理関係を手伝ってる人、やはり、ご主人の仕事をいろいろと手伝っている人、実家の写真館の仕事を結婚後もお父様と一緒にやっている人、思い起こしても皆何かしら仕事を持って頑張ってます。勤め人だけが仕事しているわけじゃないですからね。

 
 今や、専業主婦ですと言うのが恥ずかしい時代なんですって。決め付けられるのも嫌。事情があってそうできない人もいるしねー。(私の姉なんかも)

 学生の頃仲良かった人から突然の電話。何かと思えば案の定マ○チまがい。適当にあしらって切ったけど、その後も2~3度電話有り。20歳で結婚後、専業主婦の長かったこの人には、フルタイムの良いお仕事がなく、これしかないのよなんて言ってたけど、売ってる製品がいくら良くても、私は売り方が気に入らないね。友達無くすだけじゃないの。私の会社はアルバイト禁止で、これで首になった人もいるし。

 
 びみょーな問題だから、これ以上言うのを止めます。気に障った方がいたら、ごめんなさい。仕事も色々ねということです。

 
 来週は夏休みに入るので、しばらくお休みさせて頂くかも分かりません。明けたら夏休みの写真をUPします。又ゴルフの写真になると思いますが・・・。

 皆様、良い夏休みを
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会社勤め  今昔その1 やめたくなったなら

2005年08月03日 17時10分48秒 | 仕事
 私、今の会社に入ってから早26年が過ぎ、超お局と化しております。OLも長いことやっていると、同僚も様々で面白い話もそれなりに・・・。

 今も昔もせっかく会社に入社してすぐにやめちゃう子はいっぱいいますけど、他部署で、午前中には居たのに、午後にはいなくなっちゃった子がいました。1日も持たないの。他の会社にもいますかこんな子。(女子です)
 俗に3日・3ヶ月・3年我慢すれば、とか言われますが、半日じゃわかりませんよね、どんな会社か。

 長年勤めないにしても、しっかりした考えの人はと言うと、結構前の人ですけど、経理の女性で凄く残業の多い人が居たんです。頑張るなぁと思っていたら、ある年から残業が減り、1年後くらいに外資系の会社の経理へとらばーゆした人が。残業が減ったのは、英会話及び商業英語の勉強をしていたんですって。立派。というか、うちの会社が見限られたと言うべきか。

 最近の人では男子、入社1年後、やっぱり警察官になりたいとやめて行き、初志貫徹の人がいました。やはり男子(設計)、1級建築士の資格を勤めながら取っておいたところ、さる都内某市の中途採用の(1級建築士の資格必要)告知を見て、自分の為にあると思ったそうです。試験を受けて見事合格。最近はお役所も中途採用するんですね。残業せずに帰れて、家からも近く、家族の為に頑張ると言ってるそうです。

 女性はやはり29歳前後に結婚か仕事かで転機があるらしく、30歳以上まで居ると私の様に諦め半分で腰を落ち着ける人が多いです。当社の本社及び東京営業所で私より年上で社歴の長い方は3名しか居ません。40歳代は2~3名、30歳代も2~3名くらいでしょうか。地方の営業所も含めるともっと居るかな。

 自分の事を思い返してみると、若い頃は3年毎に辞めたくなっていたような。何回かそれを繰り返しているうちに、辞めても再就職できない年齢になってしまい、今度はしがみ付かなくちゃと言うことになってしまいました。(笑)
 
 でも、結婚しても、離婚しても、再婚しても、実家に居ても、独立しても、仕事そのものはやめなかった。特に私じゃなくちゃという仕事でもないし、社会に還元されるような仕事でもないけど、(少しは還元されているかな)仕事さえしてれば何とかなると思ってたし、実際50歳台の今まで何とかなった。

 女より男の方が全般に金持ちと言うのは、仕事をずっと続けて行かざるを得ない男と、妊娠などで辞めざるを得ない女との違いでしょう。

 辞めたくなったらちょっと考えて。同じ仕事なら、どこへ行っても同じかもよ。いや、私にはやりたい事が・・・と言うなら、やりたい仕事を次に確保してから辞めても遅く無いわよ。そう言って、結局同業へ再就職した人、何人も見たわ。次を決めないで辞めて仕事探しても、そうすぐには見つからないもんね。同業なら多少のツテも有って、結局同じ仕事に付いちゃうのよ。何のために辞めたの、人間関係ならどこにも嫌な人は居るわよ。

 新入社員の時が一番高く売れるんです。まだまだ日本は転職の難しい社会。マスコミに煽られて簡単に今居る会社を辞めないでね。よーく考えよー、仕事は大事だよー。

 
 
 関連過去ブログ

 OLさんも長く勤めるのは大変なのよ。
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