映画「沈まぬ太陽」公式サイト
沈まぬ太陽 - goo 映画
内容が内容だけに、当然のことながらJ○Lの協力が得られずに大変苦労して映画化されたと聞いた。
だんながぜひ見たいということで二人で見に行った。長丁場 (3時間22分)で1時間半位たったところで途中10分間の休憩が入る。
いきなり尾籠な話題で申し訳ないが、それを見越してトイレに近い席を予約した。それは見事に当たることになる。私が出てきたときは女性用の方は凄い列になっていて、休憩終了時に戻ってこれない人が続出したようだ。これから見る方はそこも考慮に入れた方が良いと思う。
こういう日本のお父さんが頑張る映画は本当は10代の子供さんに見て欲しい。だけれどもちょっと内容的に小学生には難しいかも知れない。政治的なあれやこれや、出てくるお偉いさんの立場やモデルになった人の背景もわからないだろうから。
なんと言う俳優さんかよく知らないが、瀬島龍三さん をモデルにしたと思われる役の方は背格好から雰囲気までそっくりだった。
冒頭、あのJ○L123便、御巣鷹山に墜落した事故が重要なシーンとして出てくる。当時もう社会人だった私も呆然と終夜放送を見ていた記憶がある。
うちのだんなは長くハイヤー業界にいるが、
J○L機が御巣鷹山に墜落した
当時は業界大手の若手営業マンだった。やっとこお盆で3日間のお休みが取れて家にいた時、会社から連絡が来て休みはあっという間になくなったどころかそれからの何週間か、遺体安置所となった群馬県藤岡市内の小学校・中学校・高校の体育館に張り付くことになったのだ。
だんな がぜひ見たいと言ったのもこういう理由である。
1日に200台のハイヤーが必要ということで、J○Lに入っていたもう一社の大手ハイヤー会社と一緒に100台づつ毎日毎日ハイヤーの手配をしていた。ご遺族の方の送り迎え、J○L関係者を最寄駅やホテルまで送り迎えするのはもちろん、一番大切なのは身元の分かったご遺体と一緒に帰るご遺族の方を自宅までお送りしなければならない事だ。
ご遺体はもちろん普通の乗用車では運べないので、ワゴン型の遺体搬送車が必要になる。これも関東全域は言うべきもなく、本州全体からかき集められたそうだ。なんと言っても520人の方がいっぺんに、あの暑かった 1985年の夏 に山の中で亡くなったのだから、想像を絶する混乱だったことだろう。
身元が判明したご遺体をワゴン車に、ご遺族の方をハイヤーに乗せ、遠くは岡山や大阪、四国まで、いくら遠いと言っても
飛行機には乗せられない。
車列を組んでお送りしなければならないのだ。その手配を だんな は毎日毎日やっていたそうだ。
映画の中で学校の体育館の中に、白い棺が延々と並ぶシーンが出てくる。あとでだんなにあれはあの通りだった ? と聞くと、
「もっと殺風景だったけど、お花と果物は腐るほどあった。お弁当ばかりで野菜類が少ないから、いらなくなった果物は在り難く頂いたよ。」
なんか、リアル過ぎて気持ち悪くなった。。。。
前出ウィキペディアのこの項の記事を読むと、遺体確認の為に医者、歯医者、歯科技工士などの方々も全国から駆けつけ事に当たったとある。だんななど仕事で行った人以外にも地元の方たちの協力などあったろう。改めて大変な事故だったと思い返した。もう24年以上前のことなんだ。。。
映画の話が少なくなってしまったが、最後に。
犠牲者の方々に 合掌
沈まぬ太陽 - goo 映画
内容が内容だけに、当然のことながらJ○Lの協力が得られずに大変苦労して映画化されたと聞いた。
だんながぜひ見たいということで二人で見に行った。長丁場 (3時間22分)で1時間半位たったところで途中10分間の休憩が入る。
いきなり尾籠な話題で申し訳ないが、それを見越してトイレに近い席を予約した。それは見事に当たることになる。私が出てきたときは女性用の方は凄い列になっていて、休憩終了時に戻ってこれない人が続出したようだ。これから見る方はそこも考慮に入れた方が良いと思う。
こういう日本のお父さんが頑張る映画は本当は10代の子供さんに見て欲しい。だけれどもちょっと内容的に小学生には難しいかも知れない。政治的なあれやこれや、出てくるお偉いさんの立場やモデルになった人の背景もわからないだろうから。
なんと言う俳優さんかよく知らないが、瀬島龍三さん をモデルにしたと思われる役の方は背格好から雰囲気までそっくりだった。
冒頭、あのJ○L123便、御巣鷹山に墜落した事故が重要なシーンとして出てくる。当時もう社会人だった私も呆然と終夜放送を見ていた記憶がある。
うちのだんなは長くハイヤー業界にいるが、
J○L機が御巣鷹山に墜落した
当時は業界大手の若手営業マンだった。やっとこお盆で3日間のお休みが取れて家にいた時、会社から連絡が来て休みはあっという間になくなったどころかそれからの何週間か、遺体安置所となった群馬県藤岡市内の小学校・中学校・高校の体育館に張り付くことになったのだ。
だんな がぜひ見たいと言ったのもこういう理由である。
1日に200台のハイヤーが必要ということで、J○Lに入っていたもう一社の大手ハイヤー会社と一緒に100台づつ毎日毎日ハイヤーの手配をしていた。ご遺族の方の送り迎え、J○L関係者を最寄駅やホテルまで送り迎えするのはもちろん、一番大切なのは身元の分かったご遺体と一緒に帰るご遺族の方を自宅までお送りしなければならない事だ。
ご遺体はもちろん普通の乗用車では運べないので、ワゴン型の遺体搬送車が必要になる。これも関東全域は言うべきもなく、本州全体からかき集められたそうだ。なんと言っても520人の方がいっぺんに、あの暑かった 1985年の夏 に山の中で亡くなったのだから、想像を絶する混乱だったことだろう。
身元が判明したご遺体をワゴン車に、ご遺族の方をハイヤーに乗せ、遠くは岡山や大阪、四国まで、いくら遠いと言っても
飛行機には乗せられない。
車列を組んでお送りしなければならないのだ。その手配を だんな は毎日毎日やっていたそうだ。
映画の中で学校の体育館の中に、白い棺が延々と並ぶシーンが出てくる。あとでだんなにあれはあの通りだった ? と聞くと、
「もっと殺風景だったけど、お花と果物は腐るほどあった。お弁当ばかりで野菜類が少ないから、いらなくなった果物は在り難く頂いたよ。」
なんか、リアル過ぎて気持ち悪くなった。。。。
前出ウィキペディアのこの項の記事を読むと、遺体確認の為に医者、歯医者、歯科技工士などの方々も全国から駆けつけ事に当たったとある。だんななど仕事で行った人以外にも地元の方たちの協力などあったろう。改めて大変な事故だったと思い返した。もう24年以上前のことなんだ。。。
映画の話が少なくなってしまったが、最後に。
犠牲者の方々に 合掌