↑ 柴又帝釈天 二天門
またまた11月にしては一番暑ーい1日、今度は 柴又帝釈天 に行ってまいりました。
全国的に有名な映画 「フーテンの寅さん」 のお寺です。
柴又帝釈天公式ホームページ → 柴又帝釈天
縁起について、ホームページより ↓
開山
当山は経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、寛永年間(1629)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人が実際の開基である。
板本尊の出現
当山には昔より日蓮聖人御親刻と言われる帝釈天のご本尊が安置されていたが、江戸中期の一時所在不明となっていた。安永年間に至り当山の第九代亨貞院日敬(こうていいんにちきょう)上人は此の寺のお堂が荒廃したのを歎き、その復興を計ったところ、安永八年(1779)の春、本堂改修中の梁上にこのご本尊を見出し、ついにご本尊の再来の法悦にあったのである。その吉日が庚申(かのえさる)に当たったことが、当山と庚申の結縁の始まりになったのである。
日敬上人は自ら誌した略縁起に「本堂棟上より出現した本尊は長さ二尺五寸、 幅一尺五寸、厚さ五分の板で、形に似ずまことに重く,且つ堅く媒塵に汚れてよく判らなかったが、 水でよく清めたところ、片面は日蓮聖人の真刻、病即消滅本尊の形木、片面は帝釈天王の像である。 これこそ疑うべくもなく、当寺相伝の祈祷本尊である。」と非常な驚きと悦びを述べられている。
所在不明のご本尊が見つかったとか、霊験あらかたですね~。
その日が庚申(かのえさる)に当たったことから、「庚申待ち」の信仰と結びついて、「宵庚申」の参詣が盛んになった、と有ります。
庚申の日を縁日として東京方面から小梅曳舟庚申を経て、 暗い田圃路を三々五々連立って参り,知る人も知らない人も途中で遇えば、必ずお互いにお早う, お早う、と挨拶していく有様は昔の質朴な風情を見るようである。
と明治初期の風俗史に書いてある、と有ります。
見渡す限りの葛飾田圃には提灯が続いたとあるので、たいへんな人出だったのでしょう。
宵庚申には行ったことないのですが、私のおばあちゃんが信心深い人で 帝釈天 に連れて行かれたことが有ります。
思えば、うちのおばあちゃんは長野の善光寺も何度か行っていたし、都内のお寺もあちこち行ってました。
この年になって急に都内のお寺を巡ってみようなんて思うのは、だんなと行った場所とか、おばあちゃんといった所とか、思い出して行きたくなったのかしら。
↓ 乗り換え駅の浅草橋駅構内にあった人形店の広告 2店分
以前、自分の 市松人形 を修理してもらったのはどっちのお店だったっけ ? 覚えてないわ。
↓ 都営浅草線から京成高砂で、京成金町線に乗り換え、隣が柴又です。
↓ 柴又駅に到着、寅さんの像がお出迎え。
↓ 参道が見えてきました。
↓ 次の参道の印
↓ 有名な団子やさん
↓ 参道の様子
↓ 有名な 鰻屋さん 川千家 かわちやさん
↓ 御団子やさん、多いです。
↓ 帝釈天のすぐ手前の 仏具店さんです。
以前 「岩合光昭の世界ねこ歩き」 でこちらにお住いの23歳の猫ちゃんが紹介されていたのです。
↓ その時 よっと 上った碑
ロケ後、ねこちゃん死んでしまったそうで残念です。
↓ 帝釈天の二天門が見えてきました。
↓ 二天門の装飾が凄いです。
↓ 二天門を入った正面が帝釈堂です。
↓ 境内いろいろ。帝釈堂の彫刻も凄いです。
↓ こちらが本堂です。
↓ 大きな松ですね~。
↓ 大鐘楼
さて、お参り終わって、腹ごしらえ。
先程の川千家の鰻を食べるほどお腹が減っていないので、あっさりした蕎麦でもと探していると。
↓ 船橋屋 柴又帝釈天参道店
亀戸天神前本店には入ったこと有りますが、こちらは初めて。
↓ メニュー
↓ あさりにゅう麺のセットにしました。
↓ ちゃんと名物の くず餅 もついてます。
アッサリしたもの頼んだつもりなのに、たっぷりのにゅう麺にご飯、デザート、飲み物まで付いて1270円。
これはお得だと思いました。
↓ この間浅草で食べた玉子雑煮も有りますね。大きくて安い。
↓ 店内にはお店のジオラマが多数飾ってありました。
元祖くず餅 舟橋屋 のサイト → 元祖くず餅 舟橋屋 創業文化二年
↓ 帰り際、駅に向かって、寅さんの妹さくらさんが寅さんを寂しく見送る像が。
↓ 駅ホームにも寅さん映画の資料が見られます。
私は行けませんでしたが、昭和レトロな寅さん記念館や山田洋二監督の記念館もあるようです。
柴又で1日楽しめますね。
私は半日でしたが、おばあちゃんの思い出をたどれました。
またまた11月にしては一番暑ーい1日、今度は 柴又帝釈天 に行ってまいりました。
全国的に有名な映画 「フーテンの寅さん」 のお寺です。
柴又帝釈天公式ホームページ → 柴又帝釈天
縁起について、ホームページより ↓
開山
当山は経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、寛永年間(1629)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人が実際の開基である。
板本尊の出現
当山には昔より日蓮聖人御親刻と言われる帝釈天のご本尊が安置されていたが、江戸中期の一時所在不明となっていた。安永年間に至り当山の第九代亨貞院日敬(こうていいんにちきょう)上人は此の寺のお堂が荒廃したのを歎き、その復興を計ったところ、安永八年(1779)の春、本堂改修中の梁上にこのご本尊を見出し、ついにご本尊の再来の法悦にあったのである。その吉日が庚申(かのえさる)に当たったことが、当山と庚申の結縁の始まりになったのである。
日敬上人は自ら誌した略縁起に「本堂棟上より出現した本尊は長さ二尺五寸、 幅一尺五寸、厚さ五分の板で、形に似ずまことに重く,且つ堅く媒塵に汚れてよく判らなかったが、 水でよく清めたところ、片面は日蓮聖人の真刻、病即消滅本尊の形木、片面は帝釈天王の像である。 これこそ疑うべくもなく、当寺相伝の祈祷本尊である。」と非常な驚きと悦びを述べられている。
所在不明のご本尊が見つかったとか、霊験あらかたですね~。
その日が庚申(かのえさる)に当たったことから、「庚申待ち」の信仰と結びついて、「宵庚申」の参詣が盛んになった、と有ります。
庚申の日を縁日として東京方面から小梅曳舟庚申を経て、 暗い田圃路を三々五々連立って参り,知る人も知らない人も途中で遇えば、必ずお互いにお早う, お早う、と挨拶していく有様は昔の質朴な風情を見るようである。
と明治初期の風俗史に書いてある、と有ります。
見渡す限りの葛飾田圃には提灯が続いたとあるので、たいへんな人出だったのでしょう。
宵庚申には行ったことないのですが、私のおばあちゃんが信心深い人で 帝釈天 に連れて行かれたことが有ります。
思えば、うちのおばあちゃんは長野の善光寺も何度か行っていたし、都内のお寺もあちこち行ってました。
この年になって急に都内のお寺を巡ってみようなんて思うのは、だんなと行った場所とか、おばあちゃんといった所とか、思い出して行きたくなったのかしら。
↓ 乗り換え駅の浅草橋駅構内にあった人形店の広告 2店分
以前、自分の 市松人形 を修理してもらったのはどっちのお店だったっけ ? 覚えてないわ。
↓ 都営浅草線から京成高砂で、京成金町線に乗り換え、隣が柴又です。
↓ 柴又駅に到着、寅さんの像がお出迎え。
↓ 参道が見えてきました。
↓ 次の参道の印
↓ 有名な団子やさん
↓ 参道の様子
↓ 有名な 鰻屋さん 川千家 かわちやさん
↓ 御団子やさん、多いです。
↓ 帝釈天のすぐ手前の 仏具店さんです。
以前 「岩合光昭の世界ねこ歩き」 でこちらにお住いの23歳の猫ちゃんが紹介されていたのです。
↓ その時 よっと 上った碑
ロケ後、ねこちゃん死んでしまったそうで残念です。
↓ 帝釈天の二天門が見えてきました。
↓ 二天門の装飾が凄いです。
↓ 二天門を入った正面が帝釈堂です。
↓ 境内いろいろ。帝釈堂の彫刻も凄いです。
↓ こちらが本堂です。
↓ 大きな松ですね~。
↓ 大鐘楼
さて、お参り終わって、腹ごしらえ。
先程の川千家の鰻を食べるほどお腹が減っていないので、あっさりした蕎麦でもと探していると。
↓ 船橋屋 柴又帝釈天参道店
亀戸天神前本店には入ったこと有りますが、こちらは初めて。
↓ メニュー
↓ あさりにゅう麺のセットにしました。
↓ ちゃんと名物の くず餅 もついてます。
アッサリしたもの頼んだつもりなのに、たっぷりのにゅう麺にご飯、デザート、飲み物まで付いて1270円。
これはお得だと思いました。
↓ この間浅草で食べた玉子雑煮も有りますね。大きくて安い。
↓ 店内にはお店のジオラマが多数飾ってありました。
元祖くず餅 舟橋屋 のサイト → 元祖くず餅 舟橋屋 創業文化二年
↓ 帰り際、駅に向かって、寅さんの妹さくらさんが寅さんを寂しく見送る像が。
↓ 駅ホームにも寅さん映画の資料が見られます。
私は行けませんでしたが、昭和レトロな寅さん記念館や山田洋二監督の記念館もあるようです。
柴又で1日楽しめますね。
私は半日でしたが、おばあちゃんの思い出をたどれました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます