猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

京都祇園祭 Ⅱ 神泉苑・日月庵

2022年07月25日 15時18分42秒 | 京都・奈良旅
        ↑ 神泉苑

下賀茂神社を1時間ほどでお別れし、祇園祭発祥の地、神泉苑へ。

     神泉苑ホームページ  → 神泉苑

二条城のすぐ隣、今は池の周りに小さな寺社が有る公園 ? と言われても東京人にはうなづかれてしまうような小ささですが。
由緒ある天皇の広大な庭園だったところです。

神泉苑についてホームページからの引用 ↓ 

神泉苑は、延暦13年(794)、桓武天皇により禁苑として造営されました。 平安京(大内裏)の南東隣りに位置し、 南北4町東西2町の規模を有する苑池でした。
苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの 自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、 敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、 右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていました。
発掘調査によって、 大池の北岸、泉から池に流れ込む小川(遣水)など庭園の北部を検出しています。
小川河口のすぐ西側の池の北岸には、長さ約4mを測る厚い板材が設置されており、 船着き場の足場板と見られます。
平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の舟などが着き、 貴族たちが南庭へと下り立ったものと想像されます。

祇園祭と神泉苑については ↓

貞観5年(863)には疫病が大いに流行り、神泉苑にて 六柱の御霊を鎮めるため、朝廷による御霊会が行われた。 経典の演述や、雅楽の演奏、稚児の舞、雑技などが修された。その際は四つの門が解放され、 民衆が出入りし、天皇も御霊会を御覧になられた。
貞観の大地震や、富士山の噴火など、全国的な災いが相次ぐ中で、 貞観11年(869)には、全国の国の数、66本の鉾を立て、 祇園社(八坂神社)から神泉苑に御輿を送り、厄払いをした。
後世には、これが町衆の祭典として、 鉾に車を付け、飾りを施して 京の都を練り歩く、祇園祭へとなる。

            ↓ 入口から道順に写真です。









            ↓ アヒルさんいました。







動物いるとついつい撮っちゃうのよね~

            ↓ 亀塚と鯉塚



手厚く法要されてますね。







            ↓ こんな街中の小さな池に (失礼) 鷺 !

           

           

その昔天皇から五位の位を賜ったという ゴイサギ か !
と思ったけど、体大きくてすらっとしているし、色が青いから アオサギ だった。

五位鷺の由来  ↓

醍醐天皇が神泉苑に行幸になったときに鷺が羽を休めていた。
帝は召使いにあれを捕らえて参れと仰せられた。
召使いが近づくと鷺は飛び立とうとした。
召使いが「帝の御意なるぞ」と呼びかけると
鷺は地にひれ伏した。
帝は大いに喜ばれ、鷺に「五位」の位を賜った。
以降、鷺は「五位鷺」と呼ばれ、謡曲にも謡われるようになる。


            ↓ 私としては奇跡の1枚



その後早めですが夕食会場に向かいました。
観光客でごった返す 清水寺参道 の奥にこんなお店が !



            ↓ 会場の日月庵





            ↓ お料理















            ↓ デザートと下の紙



団体客用とは思えないほどの会席料理で、温かいものは皆温かくすべての料理が美味しかったです。
写真忘れたようですが、特に鮎の塩焼きが臭みもなく美味しかったですね~。

次回はいよいよ 宵山 見物です。






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