昨夜少し遅くまでかかって、塩野七生さんの「十字軍物語」の第2巻を読みおえたので、忘れないうち、そのレビューを書いておこう。
第1巻を読みおえてから、半年以上放置しておいた。まだ文庫化はされておらず、大きく重いハードカバーである。とくに第3巻は477ページ(年表、参考文献欄をのぞく)もあり、定価3400円+税というお値段。
第1巻は第1回十字軍のたたかいについて詳述され、腹にしたたか応えるような読みごこちであった。ある意味では「戦記物」のおもしろさということになる。
しかし、戦記物といって片付けるには、あまりに大きく、深刻な叙述にあふれている。キリスト教にとっては宿命のライバルとなるイスラム教とのたたかいは、900年後の今日、いまだ終息する様子はない。
<敵>というのは、話せばわかるという相手ではない。どちらかがどちらかを殲滅させ、根絶やしにするまでつづく。長いながい歳月のあいだには、平和の時代もあったが、結局のところ、それは一時的な休戦にすぎないのだ。
一神教にとっては、異教徒は人間ではなく、悪魔の化身なのである。
「神がそれをのぞんでおられる」という一語の前に膝まずいたとき、宗教者が戦士にかわる。現代にあって、シリアのとめどない内紛、ISとの戦闘、ヨーロッパに流入する難民の群れを思いおこす読者は多いだろう。
塩野さんは、地中海をめぐる、人間の「大いなる物語」を書いている。歴史学者からは「あれは歴史の本ではなく、文学作品だ」と批判され、文学者からは「文学ではなく、歴史の本だ」と貶められる・・・彼女は嘆く。しかしそれは、彼女の物書きとしてのユニークさを語ってもいる。非常にスケールの大きな人で、歴史にそそぐリアルな、真にリアルなそのまなざしは、他に比肩する者のない、圧倒的な、硬質な輝きを放っている・・・とわたしは考えている。
本書第2巻を読みおえるにあたって、わたしは胸のふるえをおさえることができなかった。それは感動といってしまえばその通りなのだが、一口で「うん、感動した」とはいえない、苦いテイストに満ちている。人と人は、殺し合うのである。一人を殺したら殺人犯だが、数十万人を殺したら、英雄となる。
文明の興亡を仔細に眺めていくと、人間というものが殺し合いにあけくれてきたことに心を重く塞がれる思いがする。
十字軍のおよそ200年間も、そういう戦争の中の一ステージなのである。
本書では第1次十字軍のあとを引き継いだ第2世代、第3世代の物語となる。この世代となると、リーダーたちの人間的なスケールが小さくなっていく。押される一方だったイスラムが勢いを盛り返す。そこに、イスラムの側にサラディンという英雄が登場する。ライ病に冒されながら果敢に最後までたたかいつづけたボードワン四世に対し、惜しみない拍手をおくる著者のその瞼のあたりに、涙のようなものが光っている・・・わたしには、そう読めたということだが。
そしてテンプル騎士団、ホスピタル騎士団についても、まことに興味深いその活動の領域を、あますところなく正確に描き切っている。昔もいまも、この中近東という地域が、二つの文明の激突のステージなのである。
そしてサラディン・・・少数民族クルド系トルコ人(クルド人)出身のサラディンによって、イスラム側は統一され、ついにイェルサレムの奪還に成功する。
現代の日本人にとって、十字軍の中世はあまりに遠く、地理的にも遠いが、イタリア暮らしが長年におよぶ塩野さんにとっては、ついそこの、「向こう岸」の世界なのである。隣人を叙するような生きいきとした描写が、読者を最後までつかんではなさない。
わたしはまだ第3巻を残してはいるが、本書は「海の都の物語」「ローマ人の物語」とならぶ、規模の大きな歴史叙事詩であることを確信する。
なにが彼女を、このような大作を書くことに駆り立てているのか、ただただ敬服するしかない。
歴史を知るということは、現代をより深く知るということである。歴史に関心のない人にとっては、そこはただの観光地か、異国のめずらしい風景でしかないだろう。しかし、この本を読んだあとで中近東へ旅する人の目には、驚くべきビターなもの、人馬のひびき、呻きと悲鳴と、よろこびに打ち震える中世の人々の群像が脳裏を駆け巡るだろう。
本書でも、塩野さんは、地図を惜しみなく挿入し、内容のより具体的な理解をアシストしている。そのあたりも、わたしの好みに合う。それによって、専門の研究者(学者や大学教授)の本とは違う切り口があることを、読者に気づかせるのだ。
ぜひぜひ、お読み下さい(^^♪
もしがっかりするようなことがあったら、それはあなたが、世界史とは縁のない人であることの証明になるだろう。
※なお、引用したギュスターヴ・ドレによる挿絵は「絵で見る十字軍物語」新潮社からお借りしたものです。ありがとうございました。
第1巻を読みおえてから、半年以上放置しておいた。まだ文庫化はされておらず、大きく重いハードカバーである。とくに第3巻は477ページ(年表、参考文献欄をのぞく)もあり、定価3400円+税というお値段。
第1巻は第1回十字軍のたたかいについて詳述され、腹にしたたか応えるような読みごこちであった。ある意味では「戦記物」のおもしろさということになる。
しかし、戦記物といって片付けるには、あまりに大きく、深刻な叙述にあふれている。キリスト教にとっては宿命のライバルとなるイスラム教とのたたかいは、900年後の今日、いまだ終息する様子はない。
<敵>というのは、話せばわかるという相手ではない。どちらかがどちらかを殲滅させ、根絶やしにするまでつづく。長いながい歳月のあいだには、平和の時代もあったが、結局のところ、それは一時的な休戦にすぎないのだ。
一神教にとっては、異教徒は人間ではなく、悪魔の化身なのである。
「神がそれをのぞんでおられる」という一語の前に膝まずいたとき、宗教者が戦士にかわる。現代にあって、シリアのとめどない内紛、ISとの戦闘、ヨーロッパに流入する難民の群れを思いおこす読者は多いだろう。
塩野さんは、地中海をめぐる、人間の「大いなる物語」を書いている。歴史学者からは「あれは歴史の本ではなく、文学作品だ」と批判され、文学者からは「文学ではなく、歴史の本だ」と貶められる・・・彼女は嘆く。しかしそれは、彼女の物書きとしてのユニークさを語ってもいる。非常にスケールの大きな人で、歴史にそそぐリアルな、真にリアルなそのまなざしは、他に比肩する者のない、圧倒的な、硬質な輝きを放っている・・・とわたしは考えている。
本書第2巻を読みおえるにあたって、わたしは胸のふるえをおさえることができなかった。それは感動といってしまえばその通りなのだが、一口で「うん、感動した」とはいえない、苦いテイストに満ちている。人と人は、殺し合うのである。一人を殺したら殺人犯だが、数十万人を殺したら、英雄となる。
文明の興亡を仔細に眺めていくと、人間というものが殺し合いにあけくれてきたことに心を重く塞がれる思いがする。
十字軍のおよそ200年間も、そういう戦争の中の一ステージなのである。
本書では第1次十字軍のあとを引き継いだ第2世代、第3世代の物語となる。この世代となると、リーダーたちの人間的なスケールが小さくなっていく。押される一方だったイスラムが勢いを盛り返す。そこに、イスラムの側にサラディンという英雄が登場する。ライ病に冒されながら果敢に最後までたたかいつづけたボードワン四世に対し、惜しみない拍手をおくる著者のその瞼のあたりに、涙のようなものが光っている・・・わたしには、そう読めたということだが。
そしてテンプル騎士団、ホスピタル騎士団についても、まことに興味深いその活動の領域を、あますところなく正確に描き切っている。昔もいまも、この中近東という地域が、二つの文明の激突のステージなのである。
そしてサラディン・・・少数民族クルド系トルコ人(クルド人)出身のサラディンによって、イスラム側は統一され、ついにイェルサレムの奪還に成功する。
現代の日本人にとって、十字軍の中世はあまりに遠く、地理的にも遠いが、イタリア暮らしが長年におよぶ塩野さんにとっては、ついそこの、「向こう岸」の世界なのである。隣人を叙するような生きいきとした描写が、読者を最後までつかんではなさない。
わたしはまだ第3巻を残してはいるが、本書は「海の都の物語」「ローマ人の物語」とならぶ、規模の大きな歴史叙事詩であることを確信する。
なにが彼女を、このような大作を書くことに駆り立てているのか、ただただ敬服するしかない。
歴史を知るということは、現代をより深く知るということである。歴史に関心のない人にとっては、そこはただの観光地か、異国のめずらしい風景でしかないだろう。しかし、この本を読んだあとで中近東へ旅する人の目には、驚くべきビターなもの、人馬のひびき、呻きと悲鳴と、よろこびに打ち震える中世の人々の群像が脳裏を駆け巡るだろう。
本書でも、塩野さんは、地図を惜しみなく挿入し、内容のより具体的な理解をアシストしている。そのあたりも、わたしの好みに合う。それによって、専門の研究者(学者や大学教授)の本とは違う切り口があることを、読者に気づかせるのだ。
ぜひぜひ、お読み下さい(^^♪
もしがっかりするようなことがあったら、それはあなたが、世界史とは縁のない人であることの証明になるだろう。
※なお、引用したギュスターヴ・ドレによる挿絵は「絵で見る十字軍物語」新潮社からお借りしたものです。ありがとうございました。