ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

9・11

2006-09-11 | 経済・政治・社会
人類の記憶の中でも屈指の忌まわしい日から、5年が経ちました。
今になって犠牲者不在のまま、政治的責任のなすり合いが熾烈を極めているようですが、今日くらいは喧しい報道に目を閉じ、心静かに「あの日」の衝撃と痛みを追想し、失われたたくさんの命に心からの哀悼の意を捧げたいと思います。

ここでもたびたび登場する仙人系の友人ウニオくんから、少し前に送られてきたメールに、心に残るメッセージがありました。許可をもらってここに転載します。

誠にもってして、「身の安全を図ろうとする」人間の自我意識は、袋小路のような危機的な現実を作り出してしまう。幻想の仮想敵国を作り、幻想の最終兵器を生み出そうとし、幻想の罠に嵌められ、または自ら嵌まり、嵌める方も嵌められる方も共に、妄想を三次元化することの連鎖の中で、生命の法則性に乗っ取った正しく在るべき道から、遥かに逸脱してしまっている。

 すべての人は皆、神の僕(しもべ)であり、神の子なのに・・・。
<名づけられぬ命の源>から、分け御霊(みたま)として魂を授かった、称えられし誉められし、「いと貴き存在」であるのに―。
 
人はまず、そのことを芯から思い出さないといけない。今、世界のどこかで戦争が、暴動が、略奪が、陵辱が起きているのは、一部の人間のせいばかりじゃない、私たち一人一人の責任だ。全責任は人類にある。神様のせいじゃない、ブッシュのせいだけじゃない、「死の商人」たちのせいだけじゃない、それら低い波動を作り出し、解消できないでいる私たち一人一人の責任だ。

 アラブとイスラエルの争いに、私たちは責任がある。
 イラクの内戦状態に、私たちは責任がある。
 アフガンの荒れ果てた砂漠化に、私たちは責任がある。
 カンボジアの光の見えぬ闇に、私たちは責任がある。
 アフリカの貧困に、バングラデシュの貧困に、
 中国の寒村の貧困に、北朝鮮の圧政と貧困に、
 チベットの惨状に、
 あらゆる災害、あらゆる環境問題に、

私たちは、全面的に責任がある。
責任は重荷ではなく、最高の仕事だ。

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今までメルマガで書いた9・11については、ご興味があったら下のリンクからどうぞ。
「半旗のもとで」
「残されし者」

ウニオくんのメールを読んで、ふと、
「せっかく習得した中国語を、中国の貧富拡大の一助には決して使いたくない。」
と、長い間、真剣に思ってきたことを思い出しました。
それも私たちの南下の遠因でしょう。

その件は、メルマガ「北へ南へ」でもどうぞ。