ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

カウリコーストの旅:カウリ博物館

2011-10-21 | 旅行
最終日の朝も大雨
泊まっていたタンゴワヒネ・ファームを歩くことは、とうとうかなわず。


でもベッドの中で屋根を叩く雨音を聞いているのは、いいものでした。
なんだか外で寝ているようなリアルな音で、時折りハトの羽音がしました。



ゆっくり起きて3回目のダーガビルに着いた頃には雨も止んでいました。

これまた3回目のカフェ「ブラブラブラ」で最後のコーヒーを飲んで、


名残惜しくこの小さなカウリの町を後にしました。

またね~


オークランド方面に向けてカウリコーストを南下・・・・

行けども行けども、こんな眺めです。


クマラ(サツマイモ)の里とは言っても、圧倒的に牧場ばかり。

雨上がりで牧草も鮮やか



そして着いたのが、
カウリ博物館

前は「カウリだけの博物館って?」と思っていましたが、
今回、本物の巨大カウリと背後にあった人の営みを知り、馳せ参じました。


展示されていた巨大なカウリ

手前が上で奥が根の方向です。横にしてみても驚嘆する大きさです。


20世紀初頭の写真が豊富に残っていて、当時の様子がしのばれます。

カウリを前にしたブッシュマンの一家。


誇らしそうな父親と母親に連れられた子ども。

これから切るんでしょう


何日もかけて切られたカウリ。

本当にまっすぐな見事な大木。商品価値の高さがわかります。


でもこんな様子。

写真とは言え、胸の鼓動が早まってしまいます。
これを目撃していたマオリの人たちはどう感じていたのでしょう?


裁断も一苦労ですが、

あまりの重さに切らないことには運べませんでした。


あらゆる手段で運び出されるカウリ。



初期の頃は役牛や馬で。



今のNZでは見ることのない役牛



トロッコを造って運び始めても、動力はなーんと、


人力

どれほど危険だったことか


飽くなき人間たちの執着はカウリの価値がいかに高かったかの証明。

危険な橋を渡ることなど、朝飯前なわけで・・・・・


簡易ダムまで築き、



切り出したカウリを溜めに溜め、



最後はこのダムをわざと決壊させて一気に下流に流します。

ダムの素材にはロープが付いていて、再利用できるようになっていました。


とうとうトラックが入りこみ、道さえ造ればどこでも切り出せるように。

そして、巨大カウリは取り尽くされてしまいました。


倒れていくカウリ

この木は樹齢520年でした。



今回の旅で初めて気付いたのですが、ラグビーのノースランドのロゴは、

カウリだったんですね。
ずっとヤシだと思っていた無知なワタクシ。


どうか今のカウリがかつてのように、 

何千年も生きることができますように。