奈良県吉野郡吉野町吉野山にある如意輪寺です。
如意輪寺は竹林院にいた日蔵道賢上人によって延喜年間(910-922)に創建されたそうです。元は金峯山寺の塔頭寺院の1つで、古くから吉野山の修行道場だったようです。
如意輪寺は塔尾山椿花院ともい、南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に行宮を置いた時、勅願寺となりました。如意輪観音を本尊として、密教の名残りをとどめています。
山門を入ると正面に寄棟造、檜皮葺きの如意輪堂(本堂)があり、左方に庫裏、宝物殿、一段高いところに多宝塔があります。本堂の背後には後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓があります。
慶安3年(1650)、鉄牛上人という僧によって再興され、浄土宗に改宗しました。寺宝には建武3年(1336)に造られた厨子入木造蔵王権現立像(重文)や楠木正行辞世の扉などがあります。
正平2年(1346)楠木正成の長男・楠木正行が四条畷の戦いに出陣する際、一族郎党とともに後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と詠んだそうです。正行はそれを本堂の扉に鏃(矢じり)で刻んでいったそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
如意輪寺は竹林院にいた日蔵道賢上人によって延喜年間(910-922)に創建されたそうです。元は金峯山寺の塔頭寺院の1つで、古くから吉野山の修行道場だったようです。
如意輪寺は塔尾山椿花院ともい、南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に行宮を置いた時、勅願寺となりました。如意輪観音を本尊として、密教の名残りをとどめています。
山門を入ると正面に寄棟造、檜皮葺きの如意輪堂(本堂)があり、左方に庫裏、宝物殿、一段高いところに多宝塔があります。本堂の背後には後醍醐天皇の陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ)、世泰親王墓があります。
慶安3年(1650)、鉄牛上人という僧によって再興され、浄土宗に改宗しました。寺宝には建武3年(1336)に造られた厨子入木造蔵王権現立像(重文)や楠木正行辞世の扉などがあります。
正平2年(1346)楠木正成の長男・楠木正行が四条畷の戦いに出陣する際、一族郎党とともに後醍醐天皇陵に詣で、辞世の歌「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と詠んだそうです。正行はそれを本堂の扉に鏃(矢じり)で刻んでいったそうです。
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