旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

比叡山延暦寺

2015年09月22日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
 延暦寺は、日光輪王寺、東叡山寛永寺とともに天台宗門の3大本山の1つです。杉木立にかこまれ、荘厳なたたずまいをみせる延暦寺からは、かずかずの名僧がを輩出されました。
 比叡山には延暦寺という名の建物はありません。比叡山そのものが延暦寺を表わしているのです。その寺域は広大で、標高848mの比叡山の山中に数百の建物があり、東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の三地域に分かれています。
 延暦7年(788)、比叡山の山頂に、唐から帰国した伝教大師最澄が、一乗止観院という草庵を建て、最澄自ら彫り込んだ薬師如来像を安置したのが始まりです。延暦12年(794)、桓武天皇が京都に遷都しました。比叡山は京都から鬼門となる北東になるため、翌年、鬼門鎮護の霊場となりました。
 延暦25年(806)には大乗戒壇が設立されて天台宗が開宗、最澄没後の弘仁14年(823)嵯峨天皇より延暦寺の寺号を賜りました。円澄が西塔、円仁が横川を開き、東塔(根本中堂)と合わせて三塔が出来上がりました。比叡山の山内は3塔16谷に3千坊を擁する大寺と発展します。
 叡山中興の祖・良源、融通念仏宗の開祖・源信、浄土宗の開祖・法然、浄土真宗の開祖・親鸞、臨済宗の開祖・栄西、曹洞宗の開祖・道元、日蓮宗の開祖・日蓮など輩出しています。円仁と円珍もすぐれた僧でしたが同時期に輩出したため対立し、円珍は三井寺(園城寺)に入り抗争が続きました。
 僧兵など約4千人をかかえていた延暦寺は、強大な力を恐れた織田信長によって、元亀2年(1571)全山が焼き討ちにされました。この時、延暦寺は根本中堂をはじめ大半の建物を失いました。僧侶や僧兵、信者などが斬殺され境内は荒廃しました。
 その後、豊臣秀吉の時代になると再興が許され、多くの堂宇が再建されました。徳川家康もこの政策を引き継ぎ、再建に尽力しました。3代将軍家光は根本中堂を再建し、天海僧正は再興に力を貸したほか、江戸の鬼門鎮護の目的で上野に東叡山寛永寺を創建しました。それからは宗務の実権は江戸に移っていきました。
 延暦寺は国の史跡に指定されています。中心寺院の根本中堂は国宝です。根本中堂回廊、戒壇院、大講堂、大書院、釈迦堂、にない堂(法華堂と常行堂)、転法輪堂、瑠璃堂、相輪とうなどが国の重要文化財に指定されています。
 根本中堂には「不滅の法灯」が1200年の間、輝きつづけています。平成6年(1994)12月に「古都京都の文化財」の一つとして世界文化遺産登録されました。

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