滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
根本中堂は最澄が建立した一乗止観院の跡に建っています。延暦寺一山の総本堂です。一乗止観院は薬師堂、文殊堂、経蔵の3棟を総称したものです。中心的な建物である薬師堂が3棟の中央にあったため、後に根本中堂と呼ばれるようになったそうです。
現在の根本中堂の建物は寛永17年(1640)に徳川3代将軍家光によって再建されたものです。間口11間、奥行6間、単層、入母屋作り、銅瓦棒葺きの壮麗な建築物で、三方を廻廊(かいろう)でめぐらしています。 滋賀県内では最大の仏堂です。
廻廊は間口折曲り41間、奥行2間、栩(とち)葺き、両下造り、正面前後軒唐破風が付き、両側面車寄各唐破風造りです。根本中堂と同じ寛永17年(1640)に造られています。延暦寺根本中堂廻廊として明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
根本中堂の内部は外陣、中陣、内陣に分かれています。外陣より内陣が低い位置に設けられています。外陣は礼堂として板敷にしていて、内陣は土間になっています。これは天台宗の本堂建築の特徴です。中陣には格天井があります。鮮やかに極彩色で描かれていて、華やかな中に格式が感じられます。
内陣須彌壇の上、中央の厨子内に最澄上人が自ら彫り込んだと伝わる秘仏の本尊薬師如来が安置されているといわれています。まわりには日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像などが安置されています。延暦寺根本中堂は昭和28年(1953)に国宝に指定されています。
中陣に立ち並ぶ円柱の間に手すりがあり、内陣と空間的に分離されています。仕切格子から暗い内陣をのぞき込むと明かりが灯っています。これが延暦寺創始以来1200年間消えたことがないという「不滅の法灯」です。
「不滅の法灯」は織田信長により根本中堂が焼き払われた時がありました。この時は山形の立石寺(山寺)に根本中堂から分灯されていた「法灯」を持ってきて「不滅の法灯」を継続させたそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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根本中堂は最澄が建立した一乗止観院の跡に建っています。延暦寺一山の総本堂です。一乗止観院は薬師堂、文殊堂、経蔵の3棟を総称したものです。中心的な建物である薬師堂が3棟の中央にあったため、後に根本中堂と呼ばれるようになったそうです。
現在の根本中堂の建物は寛永17年(1640)に徳川3代将軍家光によって再建されたものです。間口11間、奥行6間、単層、入母屋作り、銅瓦棒葺きの壮麗な建築物で、三方を廻廊(かいろう)でめぐらしています。 滋賀県内では最大の仏堂です。
廻廊は間口折曲り41間、奥行2間、栩(とち)葺き、両下造り、正面前後軒唐破風が付き、両側面車寄各唐破風造りです。根本中堂と同じ寛永17年(1640)に造られています。延暦寺根本中堂廻廊として明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
根本中堂の内部は外陣、中陣、内陣に分かれています。外陣より内陣が低い位置に設けられています。外陣は礼堂として板敷にしていて、内陣は土間になっています。これは天台宗の本堂建築の特徴です。中陣には格天井があります。鮮やかに極彩色で描かれていて、華やかな中に格式が感じられます。
内陣須彌壇の上、中央の厨子内に最澄上人が自ら彫り込んだと伝わる秘仏の本尊薬師如来が安置されているといわれています。まわりには日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像などが安置されています。延暦寺根本中堂は昭和28年(1953)に国宝に指定されています。
中陣に立ち並ぶ円柱の間に手すりがあり、内陣と空間的に分離されています。仕切格子から暗い内陣をのぞき込むと明かりが灯っています。これが延暦寺創始以来1200年間消えたことがないという「不滅の法灯」です。
「不滅の法灯」は織田信長により根本中堂が焼き払われた時がありました。この時は山形の立石寺(山寺)に根本中堂から分灯されていた「法灯」を持ってきて「不滅の法灯」を継続させたそうです。
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