滋賀県大津市坂本本町に比叡山延暦寺があります。
大講堂(だいこうどう)は、比叡山では根本中堂と共に最も重要な建物です。単に講堂とも呼ばれますが、横川の四季講堂などと区別するため「大講堂」といわれています。第一世天台座主の義真和尚によって建立されています。僧侶が法華経の講義を受けたり、お互いの問答をして勉強に励む学問修業の道場です。
ことに古来比叡山の行事で慈恵大師以来5年目ごとに行なわれる「法華大会(ほっけだいえ)広学竪義(こうがくりゅうぎ)」は僧侶になる登竜門として現在に引き続いています。法華大会は「法華十講」ともいわれ、法華経8巻に無量義経1巻・観普賢経1巻をあわせた、(いわゆる「法華三部経」)10巻を講説する法会です。
法華十講は古来、伝教大師最澄の忌月である6月に行なわれる「六月会(みなづきえ)」と、天台大師の忌月に行なわれる「霜月会(しもづきえ)」が実施されてきました。
大講堂の本尊は大日如来です。脇には聖徳太子、桓武天皇が祀られています。比叡山で学んで一宗の開祖となった法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など各宗祖の木像も安置されています。
大講堂の創建は天長元年(824)と伝えられています。創建以来9度の火災に遭っています。前の大講堂は壮大な建物として知られ国の重要文化財に指定されていました。しかし、昭和31年(1956)に焼失しまったのです。
昭和38年(1963)に山麓にあった坂本の東照宮の本地堂を移築したのが現存の大講堂です。寛永11年(1634)に建てられた建物です。
大講堂は間口7間、奥行6間、単層の銅板葺き、入母屋造りの仏堂で正面に3間の向拝をもっています。外観は落ち着いた穏やかな姿を見せ、内部の仏壇のまわりは華やかな彫刻で飾られています。
大講堂は和様を基調とした端正な意匠でまとめられ、寛永の建築として価値あるものと認められ、昭和62年(1987)に「延暦寺大講堂(旧東照宮本地堂)」として国の重要文化財に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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大講堂(だいこうどう)は、比叡山では根本中堂と共に最も重要な建物です。単に講堂とも呼ばれますが、横川の四季講堂などと区別するため「大講堂」といわれています。第一世天台座主の義真和尚によって建立されています。僧侶が法華経の講義を受けたり、お互いの問答をして勉強に励む学問修業の道場です。
ことに古来比叡山の行事で慈恵大師以来5年目ごとに行なわれる「法華大会(ほっけだいえ)広学竪義(こうがくりゅうぎ)」は僧侶になる登竜門として現在に引き続いています。法華大会は「法華十講」ともいわれ、法華経8巻に無量義経1巻・観普賢経1巻をあわせた、(いわゆる「法華三部経」)10巻を講説する法会です。
法華十講は古来、伝教大師最澄の忌月である6月に行なわれる「六月会(みなづきえ)」と、天台大師の忌月に行なわれる「霜月会(しもづきえ)」が実施されてきました。
大講堂の本尊は大日如来です。脇には聖徳太子、桓武天皇が祀られています。比叡山で学んで一宗の開祖となった法然、親鸞、栄西、道元、日蓮など各宗祖の木像も安置されています。
大講堂の創建は天長元年(824)と伝えられています。創建以来9度の火災に遭っています。前の大講堂は壮大な建物として知られ国の重要文化財に指定されていました。しかし、昭和31年(1956)に焼失しまったのです。
昭和38年(1963)に山麓にあった坂本の東照宮の本地堂を移築したのが現存の大講堂です。寛永11年(1634)に建てられた建物です。
大講堂は間口7間、奥行6間、単層の銅板葺き、入母屋造りの仏堂で正面に3間の向拝をもっています。外観は落ち着いた穏やかな姿を見せ、内部の仏壇のまわりは華やかな彫刻で飾られています。
大講堂は和様を基調とした端正な意匠でまとめられ、寛永の建築として価値あるものと認められ、昭和62年(1987)に「延暦寺大講堂(旧東照宮本地堂)」として国の重要文化財に指定されています。
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