滋賀県野洲市冨波乙(とばおつ)に生和(いくわ)神社があります。
生和神社は野洲駅の北東約1.2kmのところにあります。当時の領主であった生和三郎こと藤原忠重は奈良の春日大社に祈願して、里人を苦しめていた冨波一の沢にいた大蛇を命と引き換えに退治しました。これに感謝した村人が寛弘6年(1009)に一宇を造立したのが生和神社の始まりです。
朝廷からの崇高は厚く、延徳3年(1491)後土御門天皇は、正一位の神階と勅額を下賜されました。大永6年(1526)には、当時の領主であった藤村左衛門尉成俊が田地300石を寄進しています。しかし、天正4年(1576)、織田信長により田地の大部分を没収されてからは衰微していきました。
明治10年(1877)、村社になり、昭和24年(1949)、生和神社本殿と摂社春日神社本殿が宝暦・嘉永の棟札とともに重要文化財に指定されました。境内には他に拝殿、神輿庫、神饌所、祭器庫、社務所、手水舎、中門、透塀 日吉神社本殿などが建ち並んでいます。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

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生和神社は野洲駅の北東約1.2kmのところにあります。当時の領主であった生和三郎こと藤原忠重は奈良の春日大社に祈願して、里人を苦しめていた冨波一の沢にいた大蛇を命と引き換えに退治しました。これに感謝した村人が寛弘6年(1009)に一宇を造立したのが生和神社の始まりです。
朝廷からの崇高は厚く、延徳3年(1491)後土御門天皇は、正一位の神階と勅額を下賜されました。大永6年(1526)には、当時の領主であった藤村左衛門尉成俊が田地300石を寄進しています。しかし、天正4年(1576)、織田信長により田地の大部分を没収されてからは衰微していきました。
明治10年(1877)、村社になり、昭和24年(1949)、生和神社本殿と摂社春日神社本殿が宝暦・嘉永の棟札とともに重要文化財に指定されました。境内には他に拝殿、神輿庫、神饌所、祭器庫、社務所、手水舎、中門、透塀 日吉神社本殿などが建ち並んでいます。
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