滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺に浄厳院(じょうごんいん)があります。
金勝山浄厳院はJR安土駅の南西約700m、歩いて10分くらいのところにある浄土宗のお寺です。天正5年(1577)、織田信長は六角氏の菩提寺であった慈恩寺を破壊したあとに、近江、伊賀の浄土宗の総本山として金勝寺の僧・浄厳坊応誉明感を開基として招き、浄土宗金勝山浄厳院として創建しました。
天正7年(1579)浄厳院本堂で浄土宗と日蓮宗との宗教論争「安土問答」(安土宗論)が行われたことで有名です。裁定は日蓮宗の敗北と決し、日蓮宗側は処罰され、これ以後他宗への法論を禁じられたそうです。他宗と衝突する日蓮宗を抑えようとする信長の思惑があったようです。
信長は、浄厳院の本堂として多賀村(現・近江八幡市)の興隆寺の弥勒堂を移しました。本尊の阿弥陀如来坐像も愛知郡二階堂の古寺からを移し、安置させました。国の重要文化財に指定されているこの本尊は、平安時代につくられた丈六仏で、高さが2.7mもあり、飛天光這背を負い、結跏趺坐(けっ かふざ)をしている像です。
本堂と楼門は国の重要文化財に指定され、鐘楼、不動堂、宝篋印塔は近江八幡市有形文化財に指定されています。境内には他にも釈迦堂、観音堂、書院、庫裏、勅使門などが建てられています。
寺宝の絹本着色山王権現像、厨子入銀造阿弥陀如来像、厨子入銅製舎利塔などは国の重要文化財に指定され、織田信長朱印状、称讃浄土仏摂受経が県有形文化財に、木造釈迦如来立像、絹本著色観無量寿経変相図が市有形文化財に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

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金勝山浄厳院はJR安土駅の南西約700m、歩いて10分くらいのところにある浄土宗のお寺です。天正5年(1577)、織田信長は六角氏の菩提寺であった慈恩寺を破壊したあとに、近江、伊賀の浄土宗の総本山として金勝寺の僧・浄厳坊応誉明感を開基として招き、浄土宗金勝山浄厳院として創建しました。
天正7年(1579)浄厳院本堂で浄土宗と日蓮宗との宗教論争「安土問答」(安土宗論)が行われたことで有名です。裁定は日蓮宗の敗北と決し、日蓮宗側は処罰され、これ以後他宗への法論を禁じられたそうです。他宗と衝突する日蓮宗を抑えようとする信長の思惑があったようです。
信長は、浄厳院の本堂として多賀村(現・近江八幡市)の興隆寺の弥勒堂を移しました。本尊の阿弥陀如来坐像も愛知郡二階堂の古寺からを移し、安置させました。国の重要文化財に指定されているこの本尊は、平安時代につくられた丈六仏で、高さが2.7mもあり、飛天光這背を負い、結跏趺坐(けっ かふざ)をしている像です。
本堂と楼門は国の重要文化財に指定され、鐘楼、不動堂、宝篋印塔は近江八幡市有形文化財に指定されています。境内には他にも釈迦堂、観音堂、書院、庫裏、勅使門などが建てられています。
寺宝の絹本着色山王権現像、厨子入銀造阿弥陀如来像、厨子入銅製舎利塔などは国の重要文化財に指定され、織田信長朱印状、称讃浄土仏摂受経が県有形文化財に、木造釈迦如来立像、絹本著色観無量寿経変相図が市有形文化財に指定されています。
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