旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

金剛院

2017年07月21日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市鹿原に金剛院があります。
 鹿原山金剛院は真言宗東寺派のお寺で、寺号は慈恩寺です。舞鶴市の東部、志楽川支流・鹿原川の奥にあり、三島由紀夫の小説「金閣寺」の舞台となっています。寺伝によると天長6年(829)、平城天皇の第3皇子・高岳親王(たかおかしんのう)の創建と記されています。
 親王は嵯峨天皇の皇太子となりましたが、弘仁元年(810)薬子(くすこ)の変に連座して皇太子位を廃されました。空海の弟子となり、真如(しんにょ)法親王とも呼ばれました。貞観4年(862)、83歳の高齢で唐に渡り、さらにインドに向かう途中で客死したそうです。金剛院は親王がいなくなってからは荒廃しました。
 永保2年(1081)、白河天皇の勅願で、慈恩寺の名で、境内が整備され三重塔などが建立され再興されました。その時に、比叡山無動寺の相応和尚が造ったという不動明王像を勧請し、本尊が阿弥陀如来から波切不動尊になったそうです。
 久安2年(1146)鳥羽天皇の皇后・美福門院得子が御願寺として復興させました。室町時代には現在ある三重塔が再建され、田辺藩主でもあった細川藤孝(幽斎)・忠興などが庇護しました。藤孝は鶴亀の庭を作庭し「もみぢ葉の色をしかへて流るれば 浅くも見えず谷川の水」と詠んでいます。
 江戸時代に入ると歴代藩主である京極氏や牧野氏から庇護され寺領22石が安堵されました。現在は山腹に本堂、鐘楼、懸崖造の拝殿の雲山閣があり、山裾に室町期の国の重要文化財に指定されている三重塔があります。
 寺宝も多く所蔵しています。南北朝時代の絹本著色薬師十二神将像、平安時代の木造増長・多聞天立像、平安時代の木造阿弥陀如来座像、鎌倉時代の快慶が造った木造執金剛神立像と木造深沙(じんじゃ)大将立像、鎌倉時代の木造金剛力士立像(2体)など国の重要文化財に指定されています。

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