京都府宮津市河原に旧三上家住宅があります。
この旧三上家住宅は三上家より宮津市に寄付され、宮津市が文化財として管理している建物です。三上家は屋号を元結屋(もとゆいや)といい、江戸時代の宮津城下屈指の商家の一つでした。酒造業、廻船業、糸問屋などを営む一方、宮津藩の財政や城下の町政に深く関わってきた家柄です。
天明3年(1783)、付近一帯を焼亡させた「晒屋火事」により、三上家の屋敷は焼失しました。主屋棟は同年中に再建され、その後、座敷・土蔵・玄関・酒造施設を順次増築して現在の屋敷構えとなりました。外に面した柱は漆喰で塗り込めた大壁造りという防火意識の強い造りになっています。
天保9年(1838)には幕府巡見使の本陣となり、慶応4年(1868)には山陰道鎮撫使・西園寺公望の宿舎にもなったそうです。酒造施設もよく保存されており、主屋、新座敷、庭座敷、表門、酒造蔵、釜場、道具蔵、什器蔵が平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されました。
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この旧三上家住宅は三上家より宮津市に寄付され、宮津市が文化財として管理している建物です。三上家は屋号を元結屋(もとゆいや)といい、江戸時代の宮津城下屈指の商家の一つでした。酒造業、廻船業、糸問屋などを営む一方、宮津藩の財政や城下の町政に深く関わってきた家柄です。
天明3年(1783)、付近一帯を焼亡させた「晒屋火事」により、三上家の屋敷は焼失しました。主屋棟は同年中に再建され、その後、座敷・土蔵・玄関・酒造施設を順次増築して現在の屋敷構えとなりました。外に面した柱は漆喰で塗り込めた大壁造りという防火意識の強い造りになっています。
天保9年(1838)には幕府巡見使の本陣となり、慶応4年(1868)には山陰道鎮撫使・西園寺公望の宿舎にもなったそうです。酒造施設もよく保存されており、主屋、新座敷、庭座敷、表門、酒造蔵、釜場、道具蔵、什器蔵が平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されました。
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