旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

法隆寺・聖霊院

2010年01月16日 | 旅 歴史
 法隆寺にある国宝の聖霊院は西院伽藍の東側に建つ、聖徳太子を祀る寝殿造りの建物です。保安2年(1121)東室の南側の一部を改造したもので、現在の建物は弘安7年(1284)にやや規模を大きくして新造されたものです。
 厨子には聖徳太子が45歳の時に講義する姿を表した国宝の聖徳太子像のほか太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像(いずれも国宝)が祀られ 、「お会式」で公開されるそうです。


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法隆寺・西円堂

2010年01月15日 | 旅 歴史
 法隆寺の西院伽藍にある八角形をした国宝の西円堂です。西北の丘の上に建っています。
 奈良時代、聖徳太子の3夫人の1人橘夫人の発願により行基菩薩によって、創建されたと伝えられています。現在の建物は、建長2年(1250)に再建されたものです。
 堂内の空間いっぱいに坐す本尊薬師如来坐像(国宝)は、奈良時代の乾漆像です。俗に「峰の薬師」と呼ばれ、耳病によく効くというので、錐(きり)を納める風習が今日に伝わっています。本尊台座周囲には小ぶりな十二神将立像(重文)、千手観音立像(重文)を安置しています。



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法隆寺・経蔵

2010年01月15日 | 旅 歴史
 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある法隆寺の経蔵です。
 西院伽藍にある国宝の経蔵は経典を納める施設として建立されました。天文や地理学を日本に伝えたという百済の学僧、観勒(かんろく)僧正の座像(重文)を安置しています。



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法隆寺・回廊

2010年01月14日 | 旅 歴史
 法隆寺は推古天皇15年(607)先帝の用明天皇の遺志を継ぎ、推古天皇と聖徳太子によって創建されたそうです。
 塔・金堂を中心とする西院伽藍の中に回廊があります。国宝の回廊は東側の国宝の鐘楼、中央の大講堂、西側の経蔵につながり、西院伽藍を形造っています。平安時代以前の回廊は、経蔵、鐘楼の手前で閉じられ、大講堂、経蔵、鐘楼は回廊の外側に建っていたようです。
 エンタシスの円柱が続き、間には連子窓(れんじまど)が組み込まれています。西回廊(73m)より東回廊(76m)のほうが一間だけ長くなっているのは、金堂と五重塔のバランスを考慮したものだと考えられています。


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法隆寺・大講堂

2010年01月14日 | 旅 歴史
 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある西院伽藍の大講堂です。
 国宝の大講堂は仏教の学問を研鑽したり、法要を行う施設として建立されました。鐘楼とともに延長3年(925)に落雷により焼失しましたが、正暦元年(990)に再建された建物です。
 本尊の薬師三尊像(国宝)及び四天王像もその再建されたときに造られています。垂木勾配を緩くしたままで造られています。そのため日本独特の屋根の上にまた屋根を設けるという形式です。このような形式の屋根では現存最古のものだそうです。


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法隆寺・金堂

2010年01月13日 | 旅 歴史
法隆寺の西院伽藍にあって法隆寺のご本尊を安置している国宝の金堂です。世界最古の木造建築です。四方に階段を付けた二重の基檀に立つ二層づくりで、柱上に横材が何段も井桁に組まれています。
 堂内には聖徳太子の冥福を祈って造られたという止利仏師の国宝・釈迦三尊像を安置しています。天人と鳳凰が飛び交う天蓋が吊るされ、周囲の壁面には、世界的に有名な飛天図が描かれています。この12面の壁画は昭和24年(1949)の昭和の大修理中に火災にあい、再現された壁画です。


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法隆寺・五重塔

2010年01月12日 | 旅 歴史
 法隆寺の西院伽藍にある五重塔は国宝です。この五重塔は木造塔として日本最古の塔です。初重から五重までの屋根の逓減率が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は初重屋根の約半分の大きさになっています。高さは基檀上より約31.5mです。
 初層内陣には心柱を囲むように須弥壇が築かれています。東面・西面・南面・北面それぞれに有名な塑造群像があります。これら80点が国宝です。東面は「維摩経」(ゆいまきょう)に登場する、文殊菩薩と維摩居士の問答の場面、北面は釈迦の涅槃、西面は分舎利の場面、南面は弥勒の浄土を表わしています。



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法隆寺・中門

2010年01月12日 | 旅 歴史
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある法隆寺の中門です。
 法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。 
 西院伽藍にある国宝の中門は入母屋造の二重門です。西院伽藍の正門です。天智9年(670)の火災後再建された門で正面柱間が4間で、真中に柱が立つ珍しい門です。
 門内の左右に塑造金剛力士立像を安置しています。和銅4年(711)に造られた日本最古の仁王像で国の重要文化財に指定されています。深く覆いかぶさる軒、その下の組物や勾欄、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の特徴です。


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法隆寺・南大門

2010年01月11日 | 旅 歴史
 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある法隆寺の南大門です。
 法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。 
 法隆寺の伽藍全体の総門にあたる国宝の南大門は、三間一戸の八脚門です。西院伽藍にあります。創建時のものは、永享7年(1435)に焼失し、永享10年(1438)に現在の門が再建されました。
 、単層入母屋造で大きな屋根と深い軒が特徴です。東大寺南大門(奈良県奈良市)・東照宮陽明門・日暮門(栃木県日光市)とともに、日本3大門のうちの1つに数え上げられています。



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法隆寺・舎利殿

2010年01月11日 | 旅 歴史
 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある法隆寺の舎利殿です。
法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
 東院伽藍にある舎利殿は聖徳太子が2歳の春に、合掌された掌中から出現したという舎利を安置する建物です。国の重要文化財に指定されています。


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法隆寺・東院鐘楼

2010年01月10日 | 旅 歴史
 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある法隆寺・鐘楼です。
 法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
 この鐘楼は国宝です。三間二間の楼造で、一階に腰板を張って軸部を見えなくした袴腰(はかまごし)という形式です 。舎利殿の舎利を奉出する時や、東院伽藍で法要が営まれる時の合図として使用されています。
内部に「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘が吊されています。そのことから中宮寺より移されたものといわれています。


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法隆寺・伝法堂

2010年01月10日 | 旅 歴史
 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にあるT法隆寺・伝法堂です。
 国宝の伝法堂(でんぽうどう)は天平11年(739)聖武天皇夫人の橘古那加智の住居を施入したもので、東院の講堂にあたります。床を張った現存最古の建物です。
桁行き三間、梁行き四間の壁と扉で閉ざされた部分、桁行き二間の開放的な部分そして広い簀子敷と三つの空間からなっています。床を上げ、土間から切り離す古代平地住居の形式をとっています。空間を仕切るものとして壁と扉しかなく、内部には間仕切りもありません。



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法隆寺・夢殿

2010年01月09日 | 旅 歴史
 法隆寺は推古天皇15年(607)先帝の用明天皇の遺志を継ぎ、推古天皇と聖徳太子によって創建されたそうです。
 法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
 東院伽藍に夢殿があります。この国宝の夢殿は八角円堂の建物です。四方に扉が設けてあり、瓦ぶきの屋根は創建当時のものです。、夢殿は643年蘇我入鹿によって焼かれ、現在ある夢殿は天平時代の建立です。
 夢殿は聖徳太子が夢の中で金人(仏)に出会ったという伝説から名づけられたといわれています。明治17年(1884)岡倉天心はフェノロサと共に数百年間開けられたことの無かった秘仏の救世観音像をみつけました。


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法隆寺・西院伽藍

2010年01月09日 | 旅 歴史
 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある法隆寺・西院伽藍です。
 法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。日本書紀に天智天皇9年(670)に法隆寺は一屋余すところなく焼失したという記事があり、現存する法隆寺西院伽藍は聖徳太子創建時のものと、全焼した後、再建されたものとする説とあります。
 南大門、中門、五重塔、金堂、大講堂、回廊、経蔵、西円堂、聖霊院、三経院、綱封蔵(こうふうぞう)、食堂(じきどう)などの国宝が建っています。



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法隆寺・東院伽藍

2010年01月08日 | 旅 歴史
 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある法隆寺・東院伽藍を紹介します。
 法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
 この東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡であり、天平10年(738)頃、行信僧都が斑鳩宮の旧地に太子をしのんで建立したものだそうです。
 回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には絵殿及び舎利殿があり、絵殿及び舎利殿の北に接して伝法堂が建っています。
 明治維新以後の廃仏毀釈により、財政面で困窮の淵にあった法隆寺は、明治11年(1878)貴重な寺宝300件余を皇室に献納し、一万円を下賜され、この援助で7世紀以来の伽藍や堂宇が維持されました。


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