奈良県生駒郡斑鳩町岡本にある法起寺です。
法起寺は推古14年(606)に聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われています。太子の遺言により子息の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりとされています。
法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子御建立七ヵ寺の一つに数え上げられ、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺とも呼ばれています。
平安時代から法隆寺の指揮下に入り、寺運も徐々に衰退し、江戸時代のはじめごろには三重塔しかなかったそうです。
再興を発願した寺僧の真政圓忍(しんせいえんにん)とその弟子たちによって、延宝6年(1678)に三重塔は修復されました。その後、元禄7年(1694)に講堂を再建、文久3年(1863)に聖天堂を建立し、現在の寺観が整えられました。
国宝の三重塔は恵施僧正によって天武天皇13年(684)に起工し、慶雲3年(706)に完成したといわれています。高さ24mで、三重塔としては日本最古のものです。
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法起寺は推古14年(606)に聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われています。太子の遺言により子息の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりとされています。
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平安時代から法隆寺の指揮下に入り、寺運も徐々に衰退し、江戸時代のはじめごろには三重塔しかなかったそうです。
再興を発願した寺僧の真政圓忍(しんせいえんにん)とその弟子たちによって、延宝6年(1678)に三重塔は修復されました。その後、元禄7年(1694)に講堂を再建、文久3年(1863)に聖天堂を建立し、現在の寺観が整えられました。
国宝の三重塔は恵施僧正によって天武天皇13年(684)に起工し、慶雲3年(706)に完成したといわれています。高さ24mで、三重塔としては日本最古のものです。
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