旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

金峯山寺・観音堂

2010年04月11日 | 旅 歴史
 奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山寺・観音堂です。
 金峰山寺の内陣に室町期の十一面観音立像や阿難立像、および鎌倉期の迦葉立像を安置しています。


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金峯山寺・愛染堂

2010年04月10日 | 旅 歴史
 奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山寺・愛染堂です。
 金峰山寺の愛染堂です。内陣には本尊の愛染明王坐像を安置しています。鎌倉時代のもので、もとは吉野山奥ノ院の安禅寺にあったそうです。


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金峯山寺・4本の桜

2010年04月09日 | 旅 歴史
 奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山寺・4本の桜です。
 蔵王堂前の広場に石柵で囲まれた一廓があり、4本の桜があります。元弘3年(1333)、足利軍に攻められた大塔宮護良親王が落城前に最後の酒宴をしたところです。石柵内に立つ銅燈籠は文明3年(1471)の作で、重要文化財に指定されています。


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金峯山寺・威徳(いとく)天満宮

2010年04月08日 | 旅 歴史
 奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山寺・威徳(いとく)天満宮です。
 蔵王堂に向かって左側に金峯山寺・威徳(いとく)天満宮があります。天満神社ともいい、菅原道真を祭神としています。如意輪寺の開基・日蔵道賢が死にかけた時、菅原道真の霊を感じ取ってここに祀ったそうです。


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金峯山寺・蔵王堂

2010年04月07日 | 旅 歴史

奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山寺・蔵王堂です。
 本堂で国宝の蔵王堂は、山上ヶ岳の大峯山寺本堂の「山上の蔵王堂」に対し、山下(さんげ)の蔵王堂と呼ばれています。役行者が感得した蔵王権現を本尊としているので蔵王堂といわれます。
 桁行25.5m、梁間27.3mの重層入母屋造の檜皮葺きです。木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模をもつといわれる豪壮な建築です。2階建てのように見えますが一重裳階(もこし)付きの建物です。
 扉金具の銘から天正19年(1592)豊臣家の寄進で再建されました。内部の柱には、自然木を素材のまま使った長大な柱8本が林立しています。内陣にはわが国最大という巨大な厨子があります。本尊として3体の巨大な蔵王権現像を安置しています。


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金峯山寺・仁王門

2010年04月06日 | 旅 歴史
 奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山寺・仁王門です。
 国宝の仁王門は銅鳥居(重文)の南200mの正面石段の上に建っています。三間一戸の楼門で、桁行12.3m、梁間6.9m、棟の高さ20.3mと大きな門です。創立年代ははっきりとしませんが、康正2年(1456)再建されたようです。室町時代の二重門の代表的な遺構です。
 仁王門は、北面の玄関口の役割を果たしています。村上義光が最後を遂げた二天門は南門でしたが、焼失し今はありません。仁王門には高さ5.28mの仁王像2対が安置されています。


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金峯山寺

2010年04月05日 | 旅 歴史
 奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山寺です。
 金峯山寺(きんぷせんじ)は金峯山修験道の総本山です。白鳳年間(7世紀末)、役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山を道場として修行し、蔵王権現を感得し、それを桜の木で刻んで、お堂を建てたのが始まりです。
 金峯山寺は吉野山の中心となるお寺で「吉野大衆」と呼ばれる僧兵を抱え、平安から鎌倉時代にかけて隆盛を極めました。
 金峯山とは、単独の峰の呼称ではなく、吉野山と、その南方の大峯山系に位置する山上ヶ岳を含む山岳霊場を含んだ名前です。古代から山岳信仰の聖地であり、平安時代以降は霊場として多くの参詣人を集めてきたところです。
 山上ヶ岳(山上)の蔵王堂は一般の人には参拝することが難しいので、天平年間(729-749)に行基が吉野山の山下に蔵王権現を祀りました。これが現在の蔵王堂で金峯山寺の本堂になりました。現在、山上の蔵王堂は「大峯山寺」として、吉野の金峯山寺と区別されています。


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村上義光の墓

2010年04月04日 | 旅 歴史
 奈良県吉野郡吉野町吉野山にある村上義光の墓です。
 村上義光(むらかみよしてる)の墓は吉野神宮の南約1km、道の西側に立つ宝篋印塔です。村上彦四郎義光は金倉末期の信濃国埴科(さらしな)の武将で、元弘の乱の時、後醍醐天皇の第一皇子、大塔宮護良(おおとうのみやもりよし)親王に従って北条幕府と戦いました。
 元弘3年(1333)足利軍に攻められて吉野が陥落した時、蔵王堂前の二天門の高櫓で、大塔宮護良親王の鎧兜を借りて宮の身代わりとなって自刃したそうです。首は里人が拾って、この地に葬ったといわれています。


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吉野神宮

2010年04月03日 | 旅 歴史
 奈良県吉野郡吉野町吉野山にある吉野神宮です。
 吉野神宮は明治22年(1889)、明治天皇が後醍醐天皇をしのんで創建された神社です。祭神は後醍醐天皇です。摂社御影社、船岡社、滝桜社には日野資朝、児島高徳ら7人の功臣を祀っています。
 後醍醐天皇は建武の中興半ばにして敗れ、延元4年(1339)吉野の行宮で亡くなりました。明治維新により、その理想が実現できたとして創建されたものです。
 神体は後醍醐天皇の皇子である後村上天皇が自ら刻んだといわれる後醍醐天皇像で吉水神社(明治7年までは吉水院・南朝の行宮)から移したものです。
 この地は護良親王が元弘2年(1332)に挙兵した際、北条勢によって占拠され、本陣となったところといわれています。
 現在の社殿は、大正11年(1922)から境内の拡張とともに造営され、昭和3年(1928)に完成した総檜造りの荘厳な建物です。入母屋造りの拝殿の奥には流造りの本殿があります。


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志賀直哉旧宅

2010年04月02日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市高畑大道町にある志賀直哉旧宅です。
 志賀直哉の旧宅は民家が建ち並ぶ高畑にあります。昭和4年から約9年、家族とともに住んだところです。数奇屋造を基調とした洋風建築の建物は志賀直哉自身が設計して、京都の宮大工に建てさせたそうです。
 書斎からは若草山が眺められ、代表作「暗夜行路」はここで完成したそうです。志賀直哉は大正デモクラシーを背景に理想主義・人道主義・個人主義を掲げた文人集団「白樺派」の中心人物の一人です。無駄のない文章は小説の文体の理想とされ、小説の神様とも呼ばれました。「城崎にて」「清兵衛と瓢箪」「小僧の神様」なども代表作です。



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大乗院庭園文化館

2010年04月01日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市高畑町にある大乗院庭園文化館です。
 大乗院庭園文化館は元興寺を中心とする「ならまち」と高畑界隈の中間に位置しています。名勝旧大乗院庭園を見ることができ、大乗院の資料なども展示されています。屋外には楽人長屋土塀が復元されています。
 大乗院は興福寺内にあって、一乗院とならぶ最高の格式を持つ門跡寺院でした。治承4年(1180)平重衡による南都焼き討ちで東大寺や興福寺等の諸堂と共に焼失し、この場所にあった元興寺禅定院があった寺地を譲られて移転しました。そして今の奈良ホテルがある鬼薗山を含めた広大な土地に堂舎を再建させたのです。
 全盛期の大乗院は、鬼薗山上に丈六堂、天竺堂、八角多宝塔、釈迦堂、弥勒御堂、観音堂を並べ、山麓南側の平場には寝殿や付属殿舎など多くの建物が配置され、東には庭園があったそうです。
 宝徳3年(1451)徳政一揆による火事で建物の大部分が焼失しました。この時の門跡であった尋尊大僧正が再興の際、京から庭師の善阿弥を呼んで造園にあたらせました。善阿弥は銀閣寺の園池も造った当代一の庭師でした。将軍、足利義政もこの頃の大乗院に足を運んだそうです。
 旧大乗院庭園は、現在その一部が整備され、広い池を中心にして中島に架かる反り橋や岸の松などを見ることができます。北側には、奈良ホテルが建つ鬼薗山があります。昭和33年(1958)国の名勝に指定されています。


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