旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

旧グラバー住宅

2011年07月16日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町のグラバー園内にある旧グラバー住宅です。
 旧グラバー住宅は、グラバー園の中心となる建物です。英国人トーマス・ブレーク・グラバーによって、文久3年(1863)大浦天主堂を建築した天草の大工、小山秀之進の施工のもと建てられました。
 この建物は熱帯地方のベランダ・コロニアル・スタイルの洋館です。正面玄関を設けない独特のバンガロー風様式を残す日本最古の木造建築で、国の重要文化財に指定されています。
 元々は居住用ではなくゲストハウスとして建築されたようです。慶応から明治3年(1870)頃と明治10年(1877)頃に増改築されていて、オペラ「蝶々夫人」のゆかりの地ともいわれています。
 グラバーは安政6年(1859)開国とともに21歳で来日し、2年後にグラバー商会を設立しました。武器船舶などを取り扱い、富を得ました。伊藤博文をはじめ数多くの若者を海外勉学に斡旋し、新時代の日本の指導者に協力しました。
 慶応元年(1865)大浦海岸にわが国初の蒸気機関車を試走させたり、明治元年(1868)高島炭鉱を開発したり、造船、炭鉱、水産、鉄鋼、造幣、ビール産業の分野で日本の近代化に貢献しました。昭和14年(1939)戦艦武蔵建造を秘匿する目的で三菱重工業が買収し、昭和32年(1957)長崎市へ寄贈されました。

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旧スチール記念学校

2011年07月15日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町にあるグラバー園内にある旧スチール記念学校です。
 旧スチール記念学校は東山手に明治20年(1888)に建築された洋館です。昭和47年(1972)老朽化したため海星学園により解体される予定でした。長崎市が保存を要望、学園から寄贈を受けて、昭和48年(1973)9月グラバー園に移設、復元されました。
 入母屋造りの木造、2階建の建物で、桟瓦三葺です。正面玄関の上は3階建になっていて、2階から梯子を使って上るような独特な建築です。平面は中廊下形になっていて1階に3室、2階に4室配置され、廊下の奥に階段室を設けています。
 旧スチール記念学校は「スチール・メモリアル・アカデミー」と呼ばれ、アメリカ改革派教会外国伝道局長スチールの寄付によってできました。東山学院と改称した後に長崎神学校と合併しました。その後、明治学院と合併し、東京に移りました。
 東陵中学校、南山高等学校の校舎を経て、昭和26年(1951)海星学園が所有しました。中学校校舎、職員室などに使用されたあと、寄宿舎として利用されたそうです。

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旧オルト住宅

2011年07月14日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町のグラバー園内にある旧オルト住宅です。
 旧オルト住宅は大浦天主堂も手掛けた天草出身の小山秀之進によって造られた英国人ウィリアム・オルトの旧宅です。長崎に現存する洋風建築の中では最大規模のもので、国の重要文化財に指定されています。
 三方にベランダをめぐらせた重厚な木造・外壁石積のコロニアルスタイルの建築です。堂々とした円柱がベランダに並び、中央には切り妻屋根のポーチがあります。
 裏手には当時の厨房や倉庫があり、崖に造られた天然の貯蔵庫は年間を通して20℃に保たれています。ポーチ横には樹齢百年を越す日本最古で最大の木香バラが茂っています。
 英国人のウィリアム・ジョン・オルトは19歳で安政6年(1859)来日しました。翌年オルト商会を設立、日本初の製茶工場を造りました。大浦お慶と提携して九州一円から茶を買い求めアメリカ方面に輸出、日本の緑茶を世界に広めたそうです。
 オルトは妻エリザベスと2人の娘と明治元年まで長崎に住み、大阪、横浜へ滞在した後、明治4年(1871)健康上の理由で帰国しました。この邸宅は明治13年(1880)から2年間、活水学院校舎として使われました。その後、リンガーの長男が住んだことからリンガー兄邸ともいわれています。

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旧リンガー住宅

2011年07月13日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町のグラバー園内にある旧リンガー住宅です。
 旧リンガー住宅は三方をベランダで囲まれた南欧風バンガロー形式の建物です。明治2年(1869)フレデリック・リンガーがグラバーから借地権を譲り受けて建てた明治初期の洋風建築です。昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
 外壁は石造りの木造住宅で、建物全体は列柱吹き放しと呼ばれる角石や御影石敷のベランダで囲まれています。正面中央に玄関ホールがあり、中廊下があり左右対称の造りとなっています。
 リンガーは、元治元年(1864)に来日し、明治元年(1868)に「ホームリンガー商会」を設立しました。長崎最大の製茶業者になり、ガス会社や発電所、漁業などの事業も展開しました。トロール漁法を導入して長崎水産業の父とも讃えられています。
 リンガーは隣接地の旧オルト邸を長男に買い与え、自分は次男とともにこの家に住んだことから「リンガー弟住宅」ともいわれています。木と石が調和したシックな住まいです。

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旧自由亭

2011年07月12日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町にあるグラバー園内の旧自由亭です。
 旧自由亭は明治11年(1878)の建物です。昭和49年(1974)にグラバー園に移築されました。日本最初の西洋料理店「自由亭」は明治11年、馬町に、この建物で新築されました。創立者草野丈吉は文久3年(1863)伊良林の若宮神社横で良林亭を開いた人でした。
 その後、検事正官舎として国内外の貴賓、地元高官などの社交の場に使われていたそうです。現在は2階が自由亭喫茶室となっていてオランダ風味のダッチコーヒーなどが楽しめます。

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旧ウオーカー住宅

2011年07月11日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町のグラバー園内にある旧ウオーカー住宅です。
 この旧ウォーカー邸に、初期の日本海運業界に多大な功績を残した英国人ロバート・ネール・ウォーカーの次男、ロバート・ウォーカー・ジュニアが住んでいました。
 大正4年(1915)南山手28番にあったこの明治後期に建てられた建物を購入し、昭和33年(1958)亡くなるまで居住していたそうです。
 ウォーカー・ジュニアの妻であったメーベル重子が、旧邸の一部を長崎市に寄贈し、昭和49年(1974)このグラバー園に移築されたのです。
 旧ウオーカー住宅は日本様式を取り入れた木造平屋の寄棟造りの洋館です。建設当時は西側の出窓や東側のベランダはなく、シンプルな造りだったそうです。 
 ロバート・ネール・ウォーカーは、海運事業の展開を始めたばかりの三菱商会で日本初の国際定期航路開設に貢献し船長でもありました。西南の役では政府の軍需品の輸送に従事し、キリンビールの前身の会社なども設立しています。
 息子のロバート・ウォーカー・ジュニアや兄のウィルソンと共にRNウォーカー商会を設立し、本格的な清涼飲料水会社「バンザイ炭酸水会社」なども建設しました。

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旧長崎高商表門衛所

2011年07月10日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町のグラバー園にある旧長崎高商表門衛所です。
 旧長崎高商表門衛所は明治38年(1905)に建てられています。長崎高等商業学校は東京、神戸に次ぐ古い歴史を持ち、昭和19年(1944)長崎経済専門学校、昭和24年(1949)現在の長崎大学経済学部になっています。
 衛所とは人を配置して重要施設を警護する場所、守衛の詰めている場所の事をいいます。
 外観はモダンですが、内部は土間と障子の畳部屋があり、和洋折衷の造りになっています。


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旧三菱第2ドッグハウス

2011年07月09日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町のグラバー園内にある旧三菱第2ドッグハウスです。
 旧三菱第2ドッグハウスは明治29年(1896)飽の浦町にあった三菱重工長崎造船所第2ドックのそばに建てられました。船が修繕でドックに入っている間、船員たちががここで休憩したり宿泊したりしたそうです。
 昭和47年(1972)三菱重工長崎造船所より保存のため長崎市が寄贈を受け、現在地に移築し復元しています。
 明治初期建築の典型的なコロニアル風スタイルの白い洋館です。木造2階建てで、左右対称のシンプルな姿をしていて、1,2階ともベランダがついているのが特徴です。
 建物内には三菱造船所で製造した豪華客船や、外国の船の絵、世界の帆船の模型、当時の家具などが展示されています。
 白いベランダからの眺めは絶景で長崎港や対岸の稲佐山を望ことができます。

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グラバー園

2011年07月08日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町にあるグラバー園です。
 緑と季節の花々に囲まれた園内は異国情緒を存分に味わうことができます。
 昔の「グラバー邸」の場所付近に旧ウォーカー邸、旧リンガー邸、旧オルト邸、旧三菱第2ドックハウス、旧長崎地方裁判所長官舎などの洋館を解体移転して園内に設置し3万㎡の広さを持つ「グラバー園」に名称変更され、今日に至っています。
 メインの旧グラバー邸は、文久3年(1863)に建築されたコロニアル・スタイル(バンガロー式)の瀟洒な平屋建てです。四葉のクロ-バ-の形をした屋根になっています。
 応接室、寝室、事務所などがあり、資料も展示されています。オペラ「蝶々夫人」ゆかりの地とされ、現存する木造洋館では日本最古のものとなっています。
 複雑で独特な凸字形の平面計画となっていて、 施工したのは、 大浦天主堂やオルト邸を建築した天草の職人小山秀(小山商会)だったそうです。
 この邸宅の主、トーマス・グラバーは英国人で21歳の時上海から渡来し日本でグラバ-商会を設立しました。 薩摩, 長州, 土佐, 佐賀の藩士と手を握り、 武器, 弾薬等の売り込みで、 短期間のうちに財をなしました。

 旧グラバー邸が一般公開されたのは昭和32年。その後、旧オルト邸や旧リンガー邸を市が購入整備、これらの住宅(元々建築されたままの場所で建築当時に修復)と市内から移築した明治期の洋風建築物を中心として、壁泉や花壇、三浦環やプッチーニの像もある現在のグラバー園になっています。若い頃にグラバー邸にきたという年配の方が、その変わりように驚かれることが多いようです。
 グラバー園のある南山手、隣接の東山手一帯は、日本でも最も古い洋館が多く残る貴重な場所で、国の重要伝統的建造物保存地区になっています。その中で、グラバー園は四季を通じ様々な花が咲き誇る緑に囲まれた、 眼下に広がる長崎港を見下ろす絶景地、南山手の丘に立地しています。
 外国人居留地であったこの地に元々あった旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅の3つの国指定重要文化財が保存されているほか、市内各所に点在していた6つの貴重な明治期の洋館を移築復元。昭和49年(1974)に、 「グラバー園」として開園しました。異国情緒あふれる観光所として内外の人々に親しまれています。


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活水女子短期大学ラッセル記念館

2011年07月07日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市東山手町にある活水女子短期大学ラッセル記念館です。
 活水学院の創始者エリザベス・ラッセルにちなんだラッセル記念館です。現在は同窓会館に使用されています。ラッセルはアメリカ・メソジスト監督教会の婦人外国伝道協会に所属していたアメリカ人宣教師です。レンガ塀や石段など居留地時代の風情が漂っています。

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旧斉藤邸

2011年07月06日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市東山手町にある旧斉藤邸です。
 東山手洋風住宅群の1つで、東山手十二番館の隣に建っています。明治後期の建築で、ベランダの2本柱、半八角形と半円形の出窓という珍しい構造です。

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東山手十二番館

2011年07月05日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市東山手町にある東山手十二番館です。
 東山手十二番館は石畳のオランダ坂を登りきった、活水学院の隣に建っています。プロシア領事館として建設され、その後アメリカ領事館やメソジスト派(婦人外国伝道協会)の宣教師の住宅として利用されてきました。
 明治元年(1867)頃に建設され、東山手居留地洋風住宅群に残る洋館の中で最も古いの建物で、国の重要文化財に指定されています。
 正面中央の幅広い廊下、3つの大きな居室、3面に付いた幅広いベランダなど領事館時代の名残を見ることができます。平成7年(1995)に修復、復元されています。現在は、長崎市旧居留地私学歴史資料館として公開されています。

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オランダ坂

2011年07月04日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市東山手町にあるオランダ坂です。
 長崎の人々は東洋人以外の外国人のすべてを「オランダさん」と呼んでいたそうです。そのため江戸時代は、洋館が建ち並ぶ居留地の坂すべてをオランダ坂と呼んでいたのだそうです。
 今では東山手にある活水女子大学へと続く石畳がオランダ坂として有名になっています。てくてく歩いていくと東山手洋館群へ入っていきます。

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旧羅典神学校(大浦天主堂)

2011年07月03日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町にある旧羅典神学校(大浦天主堂)です。
 大浦天主堂に向って右側に旧羅典(ラテン)神学校が隣接しています。プチジャン神父が日本人聖職者育成の目的に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。
 我が国初期の木骨楝瓦造りです。明治8年(1875)に完成し、大正15年(1926)まで、羅典神学校校舎兼宿舎として使用され、以後、司祭館や集会所にも使用されたそうです。
 大浦天主堂での信徒発見の後も、キリシタンに対し弾圧があったため、ミサ(礼拝)や教育は密かに行う必要がありました。プチジャン神父は大浦天主堂の司祭館を改造して秘密の部屋をつくり、そこでミサを行い、日本人司祭育成のため教育も行いました。これが旧羅典神学校の前身です。
 建物の内部は「キリシタン資料室」として、公開されています。踏絵、マリア観音、納戸神やキリスト教関係の資料およびコルベ神父に関する資料を展示しています。

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大浦天主堂

2011年07月02日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町にある大浦天主堂です。
 江戸時代末期の元治元年(1864)にフランス人・プチジャン神父によって建てられた日本最古の木造ゴシック様式の教会です。大浦天主堂の正式名称は「日本26聖人殉教者聖堂」といい、殉教の地である西坂の丘に向いているそうです。別名フランス寺と呼ばれ昭和8年(1933)に国宝に指定されています。
 豊臣秀吉の禁教令により、慶長元年(1597)に、長崎西坂の地で処刑されたキリスト教徒、いわゆる日本26聖人に捧げるためにこの聖堂は建立されました。
 元治2年(1865)天主堂を参観にきた浦上山里村の杉本ユリら15人がプチジャン神父に、キリシタンであることを告げました。長崎県内だけでも数万人のキリシタンが250年間、密かに信仰を守ってきたのです。「潜伏キリシタンの発見」は当時の教皇ピウス9世のもとにもたらされた。教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んで感激させたということです。
 昭和20年(1945)長崎に落とされた原爆で被爆し破損しましたが、爆心地から比較的離れていたため焼失は免れました。ステンドグラスは爆風で大破しました。現在の物はパリから取り寄せたものだそうです。

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