フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月4日(火) 晴れ

2006-04-05 08:13:08 | Weblog
  午前11時からカリキュラム委員会。午後1時から新学部基礎演習ワーキンググループの会合。昼食は2つの会議の合間(15分ほど)に研究室でコンビニのおにぎり。午後3時から調査実習の報告書のノンブルを打った版下の校正。ひとつミスを発見し、修正。午後4時に印刷会社のN氏が取りに来る。午後4時からK君の卒論指導。リーガロイヤル・ホテル特製のクッキーを持参である。いいから、いいから、そんなに気を遣わなくていいから。他の学生がマネをしたら困るから(っていいながら書いている)。そのクッキーをつまみながら指導。K君は最近「卒論ブログ」を始めた。私の知る限り、調査実習の音楽班の班長だった0君に続いて二人目である。学生ではないが、函館にある大学で社会学を講じているU先生も私の「フィールドノート」を見て「論文ブログ」を始めたようである。男性の方が素直なのだろうか、まだ女性で「卒論ブログ」を始めたという人の話は聞かない。「卒論ブログ」は立ち上げるのは簡単だが、持続するのはけっこう大変である。しかし持続することが肝心なのである。持続させるコツは「小出しにする」ということである。書きたいこと(ネタ)が2つあるときは、一日に2つ書かずに、1つは明日のためにとっておくことである。
  行き帰りの電車の中で、『at』3号掲載の上野千鶴子「ケアの社会学 第二章 家族介護は「自然」か?」を読む。この雑誌(クォータリー)は上野の論文を読むために購入しているようなものであるが、今号は特集の「コーヒーの世界システムと対抗運動」が、基礎演習のテキストに使っているギデンズ『社会学』の第1章「社会学とは何か」とリンクした内容で、副教材として使えそうである。ギデンズは言う。「社会学的想像力は、熟知している、判で押したようなみずからの毎日の生活を新たな目で見直すために、そうした毎日の生活の当たり前のことがらから『離れたて自分自身について考える』ことを、何にもまして私たちに要求する。一杯のコーヒーを飲むという単純な行為について考えたみたい。こうした明らかに面白くもない一片の行動に関して、社会学の観点からどのようなことが言えるのだろうか。山ほどのことが考えられる。」そしてギデンズは具体的に5つのことを述べているのだが、その3つ目に述べているのが、「一杯のコーヒーを口にする人は、世界中に拡がる、極めて複雑な一連の《社会的、経済的関係》のなかに組み込まれている。コーヒーは、世界の最裕福地域と最貧困地域の一部の人びとを結びつける生産物である」ということである。ただしギデンズはアイデアの提示に留まって、その結びつきの具体的なメカニズムまでは言及していない。『at』の特集はそこに言及している。
  基礎演習といえば、一昨日の夜に送信したメールへ返信してきた学生は、まだ11名(29名中)である。まあ、こんなものであろう。10番目に返信してきたFさんは「上京してきたばかりで自宅でのネット環境が整っておらず返信が遅れてしまいました。みんなより出遅れてしまったようで悲しいです」と書いてきたので、「みんな出遅れています、悲しむには及びません」と返信する。