フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月22日(土) 晴れ

2006-04-22 22:29:51 | Weblog
  先週ほどではないが、やはり土曜日は疲れる。フルにしゃべる講義が2つ続くためというよりも、一週間の疲れがピークに達するためであろう。2コマ目の講義(3限)を終えて、研究室のリクライニングチェアーに身体を沈めているところへ、日本語・日本文化専攻のドクターのTさん、同じくK君、来年社会学専攻のドクターを受験するAさんがやってきて、しばし雑談(途中から場所を文学部前の喫茶店レトロに移す)。K君とは初対面であるが、以前からフィールドノートの愛読者だそうで、私は気づいていないが、五郎八やメルシーで何度も私と出くわしているそうで、メルシーでは相席になったこともあるという。そ、そうか・・・、ときどき感じていた得たいの知れない視線の正体は君だったのね。作家の井上光晴(全身小説家!嘘つきみっちゃん!)について研究しているとのことで、私の清水幾太郎研究よりもさらにマイナーな研究である。「研究上の競争相手はいるの?」と尋ねたら、即座に「いません」との答が返ってきた。誰も知らない昔の作家にもう一人の誰も知らない作家が与えた影響について無闇に詳しく調べるのがアカデミックな文学研究である、という冗談をどこかで読んだことがことがあるが、K君の研究はそれに近いものがあるかもしれない。そのことは言わずにおいたが、もし言ったら、たぶんK君は嬉しそうな顔をしたであろう。
  今日から二泊三日で父を自宅と同じ区内にあるグループホームで預かってもらう。週末、一家でどこかに旅行に行くというわけではなく、父を施設に預けるということがどのようなことであるのか、それが父に及ぼす影響、われわれ家族に及ぼす影響、それを知るための試みである。父の介護から解放されることで一番身体的に楽になるのは母である。同時に、父を施設に預けることが一番心理的に堪えるのも母である。今回の件は、母が提案した。当初は一週間という期間を母は考えていた。私は最初から一週間は長すぎるだろう、とりあえず二泊三日で様子をみてみよう、それでとくに問題がなければ、次回からは一週間にすればいい、と言った。案の定、母は空っぽになった父の介護ベットの傍らで、ホッと一息つきながらも、父がいまごろどうしているだろうと気になって仕方がない様子である。「明日、様子を見に行ったりしてはいけませんよ。それでは何のために預けたのかわかりませんからね」と私が言うと、「行きませんよ」と母は自分に言って聞かせるような口調で言った。