午前中の会議を終えて、研究室で雑用をしていたら、誰かがドアをノックした。「どうぞ」と言ったら、眼鏡を掛けた40歳くらいの男性が入ってきた。三谷幸喜にどことなく似ている。丸善か紀伊国屋の営業の人だったかなと考えていたら、「大久保さん、僕ですよ」と言ったので、今日からうちに社会統計学を教えに来て貰っている首都大学東京の助教授、稲葉昭英さんだと気がついた(ご、ごめん)。2限の授業を終えて挨拶に来てくれたのだ。椅子と冷たい麦茶を勧め、しばし雑談。彼とは彼が慶応大学の大学院生のときからの知り合いである。当時から頭が切れ、仕事ができ、そして少々口が悪かったが、それはいまも変わらない。どうか社会学専修の学生たちをビシビシ鍛えてやっていただきたい。それにしても、ますます三谷幸喜に似てきたな。
午後1時から二文の社会人間系専修委員会。6名の学生のアドバイザーを引き受ける。それと卒論指導学生を1名追加(計4名)。午後2時から教授会。今日の教授会はいつにもまして長かった。延々6時間続いて、終わったのは午後8時であった。昨日から思い描いていた「教授会が夕方に終わり、シネスイッチ銀座に『寝ずの番』を観に行く」というプランはあっけなく崩れた。教授会が終わってから、遅くなりついでに研究室で雑用(演習用の名札などを作る)。大学を出たのは午後9時過ぎ。気がつくとケータイに妻からメールが届いており、父が38度の熱を出したので近所の医者に往診に来てもらったと書いてある。38度は80歳を越えた人間には高熱である。しかし、先日の40度に比べれば、それほどあわてることはないであろう。実際、帰宅すると父の話し声が聞こえたので、大丈夫だと思った。怖いのは熱そのものよりも痰が喉にからむことである。そうなると家族は夜中眠れない。でも今回はその心配はないようだ。熱も私がメールを受け取ったときよりもいくぶん下がりかけている。母に心配ないからと言って、二階に上がり、風呂を浴びる。調査報告書の最終チェック(正誤表の作成)のメールをまだ送って来ない学生が何人かいるので、催促のメールを出す。返信を待ちつつ、フィールドノートを書いていたが、今日は疲れたので更新は明朝することにして寝ることにした。
午後1時から二文の社会人間系専修委員会。6名の学生のアドバイザーを引き受ける。それと卒論指導学生を1名追加(計4名)。午後2時から教授会。今日の教授会はいつにもまして長かった。延々6時間続いて、終わったのは午後8時であった。昨日から思い描いていた「教授会が夕方に終わり、シネスイッチ銀座に『寝ずの番』を観に行く」というプランはあっけなく崩れた。教授会が終わってから、遅くなりついでに研究室で雑用(演習用の名札などを作る)。大学を出たのは午後9時過ぎ。気がつくとケータイに妻からメールが届いており、父が38度の熱を出したので近所の医者に往診に来てもらったと書いてある。38度は80歳を越えた人間には高熱である。しかし、先日の40度に比べれば、それほどあわてることはないであろう。実際、帰宅すると父の話し声が聞こえたので、大丈夫だと思った。怖いのは熱そのものよりも痰が喉にからむことである。そうなると家族は夜中眠れない。でも今回はその心配はないようだ。熱も私がメールを受け取ったときよりもいくぶん下がりかけている。母に心配ないからと言って、二階に上がり、風呂を浴びる。調査報告書の最終チェック(正誤表の作成)のメールをまだ送って来ない学生が何人かいるので、催促のメールを出す。返信を待ちつつ、フィールドノートを書いていたが、今日は疲れたので更新は明朝することにして寝ることにした。