8時半、起床。朝食はとらず、9時半に予約してある歯科医院へ行く。右上の親不知周辺の痛みはもうすっかり消えたので、親不知についてはしばらく様子見ということで、今日は歯全体の掃除をしてもらう。担当の歯科衛生士さんは蒲田の東口にお住まいということで「東口さん」と呼ばせていただくことにする。私は西口に住んでいるので、東口には頻繁にはいかない。ジムへ行くとき、区役所へ行くとき、「緑のコーヒー豆」に行くとき、中華料理の「歓迎」へ行くとき、それくらいで、いずれもJR蒲田駅の近辺である。私のブログによく登場する蒲田のお店はほとんどが西口にある。線路を渡るというのは、川を渡るのに似て、向こう側の世界に行くような感覚がある。同じ蒲田ではあっても、「わが町」蒲田は西口のことなのである。というわけで東口さんは隣町の住人という感じである。どんな美味しいお店があるのかこれから聞かせてほしい。でも、次回は3、4ヶ月先のことである。
昼から大学へ。今日は、午後ずっと研究室でゼミ論集の校正作業が行われた。18篇のゼミ論を3人の編集担当の学生が目を通して、書式のチェックや誤字脱字のチェックをするのである。ほとんど修正の必要のない原稿もあれば、こやつは一体執筆マニュアルをちゃんと読んでいるのか、呼び出してお仕置きだという原稿もある。
高層棟の解体作業がついに始まった。まずは低層棟との接続部分を切断する作業から。けっこうな騒音や振動である。
渡り廊下の解体が始まった
「たかはし」で刺身定食を食べて戻ってきたら・・・
渡り廊下が消失していた
構内を歩いていたら、去年の3月に二文を卒業したFさんとバッタリでくわした。「あれ? 卒業したんじゃなかったっけ」と聞いたら、「今日は風邪で会社を休んだので、大学に来てみました」とのこと。「ので」が理由の働きをしているのかどうか疑問だが、36号館のラウンジで缶コーヒーを飲みながら(Fさんの奢りだ)、しばらくおしゃべりをする。Fさんは大手の出版社に勤務しているのだが、ほぼ毎日、午前様だという。身体も壊すというものだ。彼女は、 岩波書店に10年ほど勤めた後大学院へ進んで学者になった小熊英二さんを引き合いに出して、自分もそのうち大学院で社会学の勉強がしたいと言った。
7時前に大学を出て、8時前に帰宅。妻が厨房に復帰した。鮭のムニエル、ジャーマンポテト、味噌汁、ご飯。鮭のムニエルに添えられたレタスのサラダは、インフルエンザの感染の可能性があるので、手を出さずにいたら、妻から「お箸もおちゃわんも私が触っているからサラダと同じ。観念してサラダも食べなさい」と言われ、マヨネーズをかけて(殺菌作用があるかもしれないし)食べる。「毒を食らわばサラダ(皿)まで」だ。
深夜、大田区男女平等推進区民会議の報告書の原稿を書きながら、続々とメールで送られてくる演習「ケーススタディの方法」のレポートをPDF化する(後からコースナビにアップして全員が全員のレポートを読めるようにする)。