8時、起床。昨夜はしゃぶしゃぶの食べ放題だったので、今日は朝食を抜く。ブログを更新し、10時前に家を出る。東京都写真美術館で年末からやっていたスナップショットの2つの展示会の最終日なのだ。混雑が予想されるので、午前中に見物しようと出かけたわけであるが、とくに混んではいなかった。
スナップショットというのは日常を切り取った作品だが、とくに私が好むのはストリート・スナップである。たとえば、上の二枚の写真は今日撮ったものだが、もしそこに人が写っていなければ物足りない、と私は(たぶん多くの人も)感じるだろう。人へのまなざし。ただし、ここでは人は風景の一部である。風景の一部という役割に留まっている。留めているのは私である。木村伊兵衛なら、臼井薫なら、土田ヒロミなら、森山大道なら、人を主役にした写真を撮る。被写体としての人に全身でぶつかっていく。それがプロの写真家だ。少なくともある時代までの写真家はそうだった。しかし、現代の若い写真家は、私と同じように(もちろん技術はずっと高いが)人を風景の一部にしたストリート・スナップを撮る傾向がある。確かに他人にカメラを向けるという行為がしにくい時代になった。しかし決して他者への関心そのものが希薄になったわけではないことは、いま列記した写真家の作品の人気の高さが証明している。
写真展を見終えて、五反田から池上線に乗り換えて、池上へ。「薫風」で昼食をとる。本日のランチのキャベツ入りハンバーグを注文。ハンバーグの横のマヨネーズはサラダ用なのかハンバーグ用なのか迷ったが、キャベツ入りのハンバーグはどこかしらお好み焼きの食感があったのでハンバーグに付けて食べてみたら、ますますお好み焼き風味になった。腹ペコだったので、あっという間に平らげた。
「薫風」の後は「甘味あらい」。これが最近のお決まりのコースである。先週に続いてあん豆寒を注文する。豆寒の寒天抜き(つまり豆だけ)を注文する客というのはいますかとご主人に尋ねたところ、一瞬天を仰いで、「いらっしゃいませんね」と言った。池波正太郎のエッセーに豆寒の寒天抜きというのが出てきた記憶があるのだが(山口瞳のエッセーだったかもしれない)、寒天がないと豆だけで器を満たさなくてはならないから、きっと値段は豆寒よりも高くなるのではなかろうか。逆に豆寒の豆抜き(つまり寒天だけ)というのは小さな子供が好みそうだが(ゼリーみたいで)、値段は安いに違いない。あん豆寒を食べ終わって、もうじきメニューからなくなるかもしれないお雑煮を追加注文する。ハンバーグをさっき食べたばかりでと思われるだろうが、写真で見ると大きさがわからないが、小振りのお椀なので、十分いけるのである。
池上駅前商店街の古本の「大黒」で、真鍋博『絵でみる20年後の日本』(日本生産性本部、1966年)と長谷部卓也『カストリ文化考』(三一書房、1969年)を購入。どちらも1500円。古本らしい古本である。真鍋が描いた20年後の日本からさらに20数年が経った時代にわれわれは生きている。
まだバスもあるし、自転車もある。