今日は「甘味あらい」閉店の日。
午後3時から「お会式桜最中」が販売される。この最中の餡の仕込みがご主人最後の仕事だった。これは何としても購入しなければならぬ。しかし、今日は大学に出る日。で、妻に依頼する。だが、妻は3時には間に合わない、3時半くらいになるとのこと。う~ん、それでは売り切れてしまう可能性がある。しかたがない。ご主人の奥様に電話をする。私からの電話であることがケータイの画面に表示されたのであろう、奥様が明るい声で電話に出られた。努めて快活に振舞っておられるのであろう。それがわかるだけにかえってつらい気持ちになるが、ここは私も快活に振舞わねばならない。挨拶もそこそこに、本題に入る。「妻が私の代わりに最中を購入しに参りますが、3時には間に合いそうもないので、わがままを言って申し訳ありませんが、とっておいていただけないでしょうか」とお願いする。「はい、わかりました。おいくつほど」「6個お願いしたのですが」「6個ですか・・・」奥様が考え込んでいる。「実は全部で60個しか販売しないので・・・」と言う。そんなに少ないのか。その10分の1を買い占めるわけにはいかない。「では、3個」「はい、3個で。お待ちしております」「ちなみに妻は山口百恵に似ております」「まぁ、それは素敵な奥様ですね」。電話の向うから奥様の笑い声が聞こえた。笑ってもらえてよかった。
夜、帰宅して、「お会式桜最中」と対面する。最中の皮とあんこが別々になっていて、食べるときに自分であんこを詰めて食べるのだ。一袋に4個分が入っている。それが4袋あった。1つ余分に買えたのだな。妻に聞いたところでは、店の前には行列が出来ていて、行列の意味を知らない通りすがりの人たちが「帰りに寄ってあんみつを食べましょう」と話していたそうだ。奥様は気丈に快活に客の応対をしていて、妻とも「山口百恵似」をめぐって言葉を交わしたそうだ。
最中のあんこは上品な甘さで、「甘味あらい」のご主人の最後の仕事にふさわしい。立て続けに2つ食べる。残りは明日にとっておく。
ところで、なぜこの時期に「桜」なのかというと、日蓮聖人が入滅の折、庭先の桜が時ならぬ花を咲かせたという言い伝えによる。お会式の万灯に桜の造花を飾るのはこの故事に由来する。
ご主人もまた桜のような散り際であった。