9時、起床。ウィンナーとキャベツの炒め、トースト、牛乳の朝食。
午前中は授業の準備など。気温が高い。ここへ来て夏日か。書斎の窓を開ける。向かいの家が新築中でしばらく音がうるさかったが、あっという間に外壁はできた。
昼から大学へ。3限は選択基礎演習。事前にコースナビにアップしておいた文献について、「どんなことが書かれていましたか?」と尋ねる。読んでない学生は当然答えられないのだが、読んできた学生も十分には答えられない。これは私の予想通りで、「読む」ということの水準に問題があるのだ。第一に、コースナビにアップされた文献をダウンロードして(印字して)読むのと、ただ画面だけスクロールして読むのとでは、読みの深さが違う。文献を「読む」のと「眺める」のとの違いである。第二に、ダウンロードして(印字して)読む場合でも、傍線を引いたり余白に書き込みをしたりしながら読むのと、そうした作業をしないでただ読むのとでは、読みの深さが違う。「能動的に読む」のと「受動的に読む」のとの違いである。「能動的に読む」とは著者と対話をしながら読むということである。文献と格闘しながら読むということである。「なるほど!」とか、「そうかな?」とか、「要するにこういうことね」とか、「自分はこう考える」とか、読みながら考えたことや思いついたことを書き留めていくのである。こうした作業を経ることで、文献の内容は読み手の中にしっかりと入っていく。時間が経っても内容を覚えているし、忘れたとしても、書き込みを見ているうちに思い出す。書き込みをしながら読むこと(そのためには文献は自分の所有にすること、あるいはコピーにとること)、今日は最初にこのことを伝授(というと大げさだが)した。
4限は演習「ケーススタディの方法」。社会を抑圧的なシステムとみなすが、強い自己と巧みな戦術を駆使して対処し、競争の勝者となることを通じて、システムへの適応(あるいはシステムの変更)をめざす物語の例として、『ドラゴン桜』をとりあげる。原作は漫画だが、広く知られるようになったのはTVドラマ化(2005年秋)されてからである。いまから6年前。受講生(3・4年生)たちが中3・高1の頃だ。半数近くの学生が当時観ていた。授業では、ドラマの初回のラストの桜木建二の語りと、ドラマの最終回のラストの桜木の語りを比較することによって、そこに見られる連続性と不連続性に着目した。毎週一話ずつ観ているときは、不連続性には気づきにくいものだが、DVDで初回と最終回をダイレクトに比較するとそれに気づくのである。・・・というのが私のねらいだったが、「山ピー(山下智久)若い」とか、「長澤まさみ、かわいい」とかの方に関心が向いていた学生もいたようである。私も、「まさかサエコがダルビッシュと結婚して離婚するとは当時は想像だにしていなかったな」という感慨をもったわけである。
5限の時間は、「ライフストーリーの社会学」の授業支援をしてくれている1年目の職員の方々とのミーティング。授業にクリッカーを導入してその効果を見たいという提案が彼らからあったのが夏休み前。はい、いいですよ、15回の授業の中の数回なら、と気楽に応じたのだが、やってみると面白いので、結局、毎回クリッカーを使って授業をするようになった。今週で全15回のうちの3分の1が終るが、これからは物珍しさの段階からどう効果的に使うかという段階になるだろう。
今夜は居残り当番の日。「maruharu」で腹ごしらえをする。ラ・フランスの寒天、ベーコンとセロリのクリームスープ、野菜サンド(+コーラのサービス)。
お腹がよくなったら、眠くなった。一仕事するはずだったが、半仕事くらいで、9時半過ぎに大学を出る。昼間と違って、風が冷たくなっている。木枯らし1号か?