9時、起床。おでん(昨日の夕食の残り)の朝食。
今日は鶯谷の菩提寺でお十夜法要がある。10時過ぎに私と妻と母の3人で出かける。鶯谷駅の改札を出て、袴線橋を渡る。山手線の他の駅にはない、一番鶯谷駅らしい風景だ。
根岸一丁目の交差点を渡りながら、東京スカイツリーの写真を撮る。渡る前でも、渡り終わった後でもなく、渡り終る手前の5メートル付近で撮るのが一番いいアングルなのである。ただし、よい子はまねをしてはいません。
菩提寺のある下谷、その周辺の入谷や根岸には、お寺が多い。法事や墓参りに行く人が目につく。
菩提寺に到着して、とりあえず墓参りをする。
そして座敷にあがって食事(おとき)をする。例年、用意されているお弁当は京樽の茶巾寿司と決まっていたが、今回は上野松坂屋のおこわ弁当だ。
食事の後は余興(清興)。今回は、ほのぼのパフォーマンスの「あいあいず」さんと、落語の若木家喜楽さん。 どちらも2回目の出演である。
余興の後は、先代の住職による法話、百万遍くり念仏、そしてお十夜法要。
法要は3時に終り、妻は浅草橋・日本橋にワイヤー&ビーズの関係で出かける。母は蒲田に戻って、友人の日本舞踊の発表会に顔を出す。私は恵比寿の東京都立写真美術館へ。今日のお目当ては「畠山直哉展 ナチュラル・ストーリーズ」。
「畠山直哉展」は期待以上に素晴らしいものだった。これまでの彼の仕事のアンソロジーだが、「崇高」という言葉がピッタリの作品群だった。アルプスの山々や氷河の写真だけがそうなのではなく、露天掘りの鉱山やボタ山も崇高なのだ。古い洗炭所のビルが壊されるところを撮った写真も崇高で、崖や岩石をダイナマイトで破壊する瞬間の写真も崇高である。そのときたまたま爆破現場の上空を飛んでいた鳥が噴煙の中から再び姿を現す写真は神々しいまでに崇高である。崇高とは人知を超えた美しさということである。「自然破壊」というような批判的まなざしはここにはない。
だが、会場の一角の一群の写真は、崇高ではない。それは今回の展示会に急遽加えられたもので、津波に襲われた陸前高田の風景を撮ったものである。陸前高田には畠山の実家があった。そして今回の震災で彼は母親を失った。陸前高田の一群の写真が、今回の展示会の当初のコンセプトに破調をもたらしているともいえるし、人間と自然のかかわりをこれまでの畠山の作品よりもさらに高い次元でみつめるものとなりえているともいえる。どちらにせよ、畠山に迷いはなかったと思われる。
「畠山直哉展」を観終えて、館内のカフェで一服してから、もうひとつの展示会「こどもの情景 第三部 原風景を求めて」を観る。さまざまなテーマを設定して子供を被写体としたたくさんの写真が並んでいる。興味深いテーマがいくつかあったが、「畠山直哉展」でお腹がいっぱいになったので、感想はまた再びここを訪れたときに書くことにしよう。