9時、起床。ベーコン&エッグ、パン、牛乳、メロンの朝食。
今日は土曜当番。午前中から教務室に詰める。いい天気だ。窓を開けて(網戸にして)、さわやかな空気を入れる。・・・そんなことをツイッターで呟いたら、長谷先生から、「ブログの更新忘れてませんか?」と返信があった。忘れていたわけではないのだが、まだである。草稿にちょっと手を入れて、アップする。ほどなくして長谷先生から「長編力作ありがとうございました。私は自分が誰かの夢の登場人物ではないかという妄想に苦しみました」と返信があった。
昼食は「五郎八」に食べに行く。揚げ餅そば。食べ終わる頃、女将さんが「お稲荷さん、めしあがります?」というので、ありがたく頂戴する。
店を出て、横断歩道を渡ると、八百屋の店先に西瓜が出ていた。夏が近づいていることを確信する。
生協戸山店で、高橋源一郎『さよなら クリストファー・ロビン』(新潮社)を購入。レジにもっていたら、店員のTさんがやってきて、今度学芸大学の生協に異動することになりましたと挨拶をされる。Tさんとは中原淳一つながりである。新しい職場でも元気でやってください。
自販機でジュースを買って、36号館前の椅子に座って、『さよなら クリストファー・ロビン』の冒頭の一篇(表題作)を読む。
「ずっとむかし、ぼくたちはみんな、誰かが書いたお話の中に住んでいて、ほんとうは存在しないのだ、といううわさが流れた。」(5頁)
名作『さようなら、ギャングたち』を連想させる、いかにも高橋源一郎の作品らしい始まりである。そして長谷先生のツイッターの返信に通じるものがある。実際、作品の登場人物たちはみんな童話の主人公たちなのである。たとえば、浦島太郎とか。
「その老いさらばえた元漁師は、杖をつき、毎朝、海亀を求めて、湿った砂浜を歩いていた。だが、そのさびれた岸に流れ着くのは、奇妙な文字が印刷されたラベルの瓶や、夥しいプラスチックの屑ばかりだった。そこには、いまや、海亀どころか、生きものの影すら見えなかった。もちろん海亀をつつき回す少年などひとりもいなかった。
その元漁師は、天に向かって、杖を振り、「煙が空に消え去ったとき、その煙と共に、若さも故郷も失ってしまったが、わたしは少しも後悔などしていない。どれも、なされねばならぬことばかりだったのだから」と叫んだ。だが、元漁師に応えるものはどこにもいなかった。
それからも、なおしばらく、元漁師が、ぶつぶつとなにかを呟きながら、脂じみた一枚の布のような服のすそを風にはためかせて、砂浜をうろつき回る姿が見られた。そして、ある朝、海に向かう、乱れた長いふたつの足跡と杖跡を残して、元漁師の姿は忽然と消えたのだ。
あるものは、その漁師は幸運にもまた海亀と出会い懐かしい海の底へと戻っていっただといった。また、あるものは、確かにその元漁師は、海亀は見たには違いないが、それは老いた脳裏に浮かんだ幻であって、その幻を追いかけて、海へ入っていったのだといった。けれど、別のものたちは、小声で、やはりあのうわさは真実で、元漁師は誰かのお話の中の登場人物であり、彼の出番がなくなったので消え去ったのだといった。そして、そんなうわさを口にしたものは、例外なく、では自分はどうなのだと思い返し、胸の奥に冷たいなにかを感じて、すぐに口をつぐんでしまうのだった。」(6頁)
そう、「さよなら クリストファー・ロビン」は「消え行く物語の物語」なのである。クリストファー・ロビンとは『くまのプーさん』に登場する5歳の少年で、プーさんと名付けられたテディベアの持ち主である。その少年に「さよなら」と言っているのは、もちろんプーさんである。
「ねえ、クリストファー・ロビン。
それでも、ぼくたちは、頑張ったよね。
世界がどんどん「虚無」に侵されてゆく、とわかってからも、ぼくたちは絶望なんかしなかった。なぜって、それと戦う方法を見つけたやつがいたからだ。うわさを逆に利用することにしたんだ。
「おれたちが、誰かさんが書いたお話の中の住人にすぎないのだとしたら、おれたちのお話を、おれたち自身で作ればいいだけの話さ」とそいつはいった。そして、ひとつお話を書いて、寝ることにした。そしたら、次の日には、そのお話通りのことが起こったんだ!
ワオッ!
あの頃、ぼくたちは、希望に満ちていた。「外」には、「虚無」が押し寄せているというのに、元気一杯だった。」(20-21頁)
「最後に残ったのは、クリストファー・ロビン、きみとぼくだけだった。だから、ぼくときみは、力を合わせて、ふたりだけのお話を作り続けた。大好きだったものはほとんど消えてしまったけれど、ぼくたちは、手を携えて、この小屋に立てこもり、ドアのすぐ外にまで押し寄せてきた「虚無」と戦ったんだ。
けれど、クリストファー・ロビン、きみも、ついに敗れ去る日が来た。
楽しいお話をして、それぞれのベッドに戻ろうとした時だった。クリストファー・ロビン、きみはぼくにいったね。
「ねえ、プー」
「なんだい、クリストファー・ロビン」
「ぼくは、きみのことが大好きだ」
「ぼくもだよ、クリストファー・ロビン」
「プー。ぼく、もう、疲れちゃった」
「そうだね。きみは、ずいぶん頑張ったから」
「だから、プー。ぼくは、今日、なにも書かずに眠ろうと思うんだ。それは、いけないことだろうか」
「クリストフォー・ロビン、きみが、そうしたいなら、そうすればいい。ぼくたちは、そんな風に生きてきたじゃないか」
「ありがとう。そして、ごめんね。ずっと一緒にいられなくて」
「いいんだ。いままで、ずっと一緒だったから」
[さようなら、プー」
「さようなら、クリストファー・ロビン」」(23-24頁)
注釈をつけておくと、これは作品の最後の部分ではない。もう少し話は続くのだ。
大学を6時に出て、7時、帰宅。
一週間の疲れが出たのだろう、10時頃に眠くなり、ブログの更新はせずに寝た。
真夜中に目が醒めて、PCのスイッチを切っていなかったことを思い出し、書斎に行く。PCの画面にはツイッターのタイムラインが映し出されていた。私のゼミの卒業生の一人が、「助けて」と呟いていた。彼女は自分がなんで泣いているのかわからないようである。ゼミの仲間が二人、彼女に返信を書いていた。彼女は、今度話すね、かなりくだならに話だけどと、少しばかり元気を取戻した様子だった。
やはりブログの更新をしてから寝ることにした。「フィールドノート」は私とよく似た人物を主人公にしたお話である。
クリストファー・ロビン、君がやめてしまったお話作りを、私はもうしばらく続けてみることにするよ。