フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月5日(水) 晴れ

2012-09-06 02:19:43 | Weblog

  7時半、起床。今日は朝から晴れている。この3日間は残暑がぶり返すらしい。それもよし、夏の名残を味わおう。

  バタートーストとリンゴジュースの朝食。 

  午前中は原稿書き。久しぶりにいいペース。大きな波が「キタ―ァ!」という感じなり。波に乗って書き進む。毎日こうだったらどんなにか楽しいだろう。ただし、こういうときの文章は後から読み返すと上滑りになっていることもあるので、注意すべし。

  昼食は外に食べに出る。母からすると、こういう私の行動は不可解きまわりないものらしい。なぜ家で食べないのか、なぜわざわざ外に食べに出るのか(私が作ってやるのに)と。「散歩+食事」というのがいい気分転換なんです。頭脳労働者にはそれが必要なんです。玄関を出るとき、「とめてくれるなおっかさん、せなかのいちょうが泣いている」という駒場祭(1968年)のポスターのコピーが頭をよぎる。と同時に、「わかるかな~、わかんねえだろうな~」という松鶴家千とせのギャグ(1970年代中頃)も頭に浮かぶ。

  電話でピーチメルバを予約してから「まやんち」へ行く。スタッフの方たち全員、私のことを「ピーチメルバの男」として認識されているようで、「はい、おまちしております」と話は早い。根菜のカレーライス、デザートにピーチメルバとアイスティー(アールグレイ)。

  持参した『植草甚一コラージュ日記 東京1976』を読む。帯に「ぼくの一日は散歩と読書で暮れていく」と書かれている。もちろん誇張表現である。AKB48の篠田麻里子が「篠田麻里子の95%はカワイイでできている」とCMで言っているのと同じである(違うか)。実際に日記を読んでみればそれはわかる。

   「一月十八日・日・いい天気だ。けれど出かけないで仕事片づけよう。アサ六時半に目があいた。ペラ七枚書いたユーモアの原稿どうもシェームフルなので、起き上がって書きなおし始めたら違ったのが八時にペラ六枚できた。きのう新宿駅の中村屋売店で買った「マンゴ・ジャム」わりあいにイケる。九時になったらペラ九枚できたが眠くなったので、ちょっとばかり寝ることにしよう。そのほうがいい。
  思ったとおり十二時に目がさめ、机に向かってフィリップスでコーヒーをいれる。なれたせいかこのコーヒーわかしは仕事中にいい。日本で真似したやつは格好もよくないし、どんなぐあいなんだろう。原稿はボチボチやっているうちに八時に三十枚できあがった。けれど井田さんは気に入らないだろう。丸善で買った本に目を通しているうちに十二時になり、少し書きはじめようとして朝日をやるのがいやになった。」

  当時、彼は68歳。売れっ子の売文業者で、一年中、原稿を書き、締め切りに追われていた。定年退職者でも楽隠居でもない。散歩と読書は原稿の締め切りの間隙を縫ってというか、寸暇を惜しんでのものであって、決して仕事をほっぽらかしてのものではない。「いい天気だ。けれど出かけないで仕事片づけよう」なんてずいぶんと殊勝なことを書いているではないか。J・J氏は働き者だったのだ。ただ仕事と遊びの区別が曖昧だっただけである。

  帰宅すると、先日ネットで注文しておいた『DEATHE NOTE』全12巻が届いたいて。ソファに横になって、第1巻を読んでから昼寝をする。


「そうとも、僕にならできる。いや、僕にしかできないんだ。やろう!! デスノートで 世の中をかえてやる」(夜神明)

  夕方からジムへ行く予定であったが、取りやめて、原稿を書き続ける。結局、今日は(J・J氏を真似して表記するならば)ペラ24枚書いた。もっと書くことも可能だったが、文章が荒れるといけないのと、この勢いを明日に残しておきたかったので、それでやめておいた。

  寝る前に『DEATH NOTE』2巻を読む。