フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月25日(火) 曇り

2012-09-26 02:29:48 | Weblog

  8時、起床。「梅ちゃん先生」も今週で終わる・・・はずだが、いつもと同じような調子で話が続いている。エピソードの集積として成り立っているストーリーなので、フィナーレへ向けての大きなうねりというようなものはないのである。あるとき始まって、あるとき終わる、でも、登場人物たちの人生はまだ続く、そういうストーリーである。

  ウィンナーとキャベツの炒め、トースト、紅茶の朝食。

  昼食は自宅でちらし寿司。

  新宿の紀伊国屋画廊で開催中(本日が最終日)の増田常徳展「不在の表象」に出かける。

   新宿にはたまにしか来ない。銀座は碁盤の目のようなストリートに沿って人が歩いている。渋谷はすり鉢上の斜面を人が上り下りしている。ここ新宿では平坦な面にジワーと人が広がっていく。

  増田さんは1年半前の震災以来、原発問題に強い関心を持って、それを作品にしている。持続する精神。元々、ガスマスクを被った人間は増田さんの作品にはよく登場していたが、おそらくそれはアウシュビッツのガス室や近未来的な化学兵器や生物兵器と関連するものであったろう。それが今回は原発事故の処理にあたる人たちや、危険地域で生活する人たちを描くための表象となっている。描かれている人物はみな地面から浮遊している。それは彼らが幽霊であるからなのか、存在論的な不安をかかえて生きている人間であるからなのか、どちらにもとれそうである。

  紀伊國屋書店で、以下の本を購入。

    野間俊一『身体の時間 〈今〉を生きるための精神病理学』(筑摩選書)

    斉藤環『被災した時間 3.11が問いかけているもの』(中公新書)

  帰りは高田馬場から東西線に乗り、神楽坂で下車して、「トンボロ」で一服。この頃、神楽坂でよく降りるが、それは「隣町」というものが自分には面白く感じられるからである。大森や池上は蒲田の隣町であり、神楽坂は早稲田の隣町である。自宅や職場のある街は日常生活の舞台であるが、その隣町は、少しばかり非日常的な場所である。日常と非日常の狭間といってもいい。見知った街でも、見知らぬ街でもない、そういう隣町を歩くのがこの頃面白く感じる。自分の世界を広げたいような、自分の世界に閉じこもりたいような、どちらの気分もある。

  有楽町で途中下車して、シャンテシネで『最強のふたり』を今日こそ観ようと思ったが、妻に「映画を観て帰るから今夜は外食」とメールしたところ、「ラジャー」ではなく、「豚シャブだったのに」と返信があった。私はとくに豚シャブに目がないというわけではないが、その文面にいささか拗ねたような雰囲気を感じ取ったので、「じゃあ、帰るね」と返信して、有楽町の駅に引き返した。非日常もいいが、日常も大切にせねばならない。