フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月13日(水) 曇り時々雨

2016-04-14 01:25:29 | Weblog

8時半、起床。ちょっとだるい。少し寒気もする。

トースト(葡萄パン)、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、紅茶の朝食。

お昼に家を出て、大学へ(このときはそのつもりだった)。

私のブログを読んだ坂井素思さんからメールが来て、自分も4月末~5月初めに松本へ行く予定なので、時間が合えば春カフェなどいかがですかと言ってきた。松本滞在二日目に会う約束をする。「まるも」で待ち合わせ、「ル・コトリ」でランチをして、「chiiann」でお茶をするというのはどうでしょう。同年配の男性とのカフェ歩きもいいものである。たまにはね(笑)。

ご近所の八重桜の開花が始まった。これでまだ三分咲きくらいだろうか。

昼食を「グッディ―」でとっていこう。

本日のランチセットA(ジャンバラヤ)を注文。

朝起きたとき感じただるさが朝より増している。風邪の引き初めのような感じなり。このままおとなしくしていれば持ちこたえて回復しそうな気もするし、だんだんだん悪くなっていきそうな気もする。分水嶺に立っている感じだ。

今日は授業はにないが、夕方から論系会議がある。明日明後日は授業があるので、今日は会議を休ませてもらおうと決め、メールをする。

東急プラザの「くまざわ書店」で本を買って帰宅する。

フジモトマサル『二週間の休暇』(新装版、講談社)。手に取る決め手になったのは帯の「穂村弘」という文字。解説を彼が書いているのだ。「フジモトマサルワールドの中でも、私がもっとも好きな一冊で何度となく読み返した。読んでも読んでも消えない特別な魅力を感じる」とある。彼がそういうなら間違いあるまい。

巻末の「給水塔占い」によると、『二週間の休暇』の主人公とは違って(彼女は「砂漠鉄塔型」だった)、私の性格は「堅牢ドーム型」だそうだ。「あなたは好奇心旺盛で、細かなことを観察する能力にたけています。多くの情報を敏感に吸収する力が、あなたを成長させ、魅力的な人物としています。今後の人生において、一番大切なことは、集めた情報をどう処理して表現するかです。給水塔から送りだされる水のように、あなたが持ちえたものを皆に分け与えて下さい。出し惜しみをする必要はありません。頭の中身を外に出せば出すほど、今まで隠れていた何かが姿を洗わすでしょう。」

なるほどね。このブログのタイトルを「給水塔」に変えようかしたら。

沼野充義『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』(講談社)。

私はとくにチェーホフのファンというわけではない。評伝という文学形式そのものが好きなのだ。だから書き手の文章に惹かれて多少は知っている人や、ときにまったく知らない人の評伝を読んだりする。その結果として、その人のファンになったりする。優れた評伝というのはそういうものだ。

「イワン・ブーニンというロシアの作家は、チェーホフのいわば後輩として、チェーホフを深く尊敬していたし、個人的にも彼のことをよく知っていた。その彼が書きとめているところによれば、チェーホフは晩年、こんなことを言っていたという。「僕はやっぱりあと七年だけしか読まれないだろうな。でも生きられるのはもっと短くて、六年くらいのものだろう」。チェーホフは世界のものごとや人間模様を冷静に観察できる天才だった。そのチェーホフでさえも、自分については判断が鈍ったのかもしれない。自分と、自分の作りだしたものの運命についてのこの「予言」は二重に間違っていた。/第一に、当時はまだ有効な治療法が知られていない結核に深く冒されていたチェーホフは、こう言ったあと、六年どころか、わずか一年ほどしか生きられなかった。そして、第二に、彼の作品はその死後七年どころか、百年以上たった今でも読まれている。」(1頁)

素敵な書き出しだ。

「チェーホフ以前のロシアにはドストエフスキー、トルストイといった大作家たちがいて、大長編を書くとともに、人生や世界についての壮大なヴィジョンを展開した。しかし、チェーホフはロシア文学の鬱蒼たる森でこういった巨木が倒れた後、朽ちた木を分解して養分に変え、次の世代が成長していくための土壌をつくったキノコみたいな存在だったのだ。もしも、巨木とキノコのどちらが偉いか、と聞かれたら、私としては、そりゃ巨木でしょう、と答えるしかないのだが、どちらが好きかと聞かれたら、やっぱりキノコかなあ、と答えたい。」(5頁)

いいスタンスだ。

村井昭夫『雲の見本帳』(MdNコーポレーション)

気象学の本ではなく、雲の写真の撮り方を説明した本。

「都市化によって、身近な自然がどんどん失われています。そんな現代にあって、雲は「見上げるだけで触れることができる、最も身近な最後の自然」だと思っています。今見ているのと同様な青い空と白い雲が何千年も前からずっと存在していたはず。時間を超越して変わらない自然の姿を、いまも街中で見ることができるのです。おまけに、その姿を見るために、どこかに出かける必要も、特別な道具も必要ありません。雲は私たちの想像以上に変化に富んだ無限の表情を持っており、今見ている雲と同じ雲に出会うことは、二度とありません。だから、その不思議さ、美しさに、気がついた人たちが「雲」を写真に収めたいと思うのは、私を含めてある意味当然のことでしょう。」(4頁)

私も子供の頃から「雲」の不思議さ、美しさに気づいてしまっていた一人だった。「海と山、どっちが好き?」という定番の質問に、「海がベターだけど、一番好きなのは空」と答えていた。そして、その空は、雲一つない青空ではなくて、白い綿雲や入道雲やすじ雲が浮かんでいる空だった。

子供の頃、一番好きな詩は山村暮鳥の「雲」だった。

 おうい雲よ

 ゆうゆうと

 馬鹿にのんきそうじゃないか

 どこまでゆくんだ

 ずっと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか

いま、卒業生の結婚披露宴でスピーチを頼まれると、本体部分はその都度違うが、〆にはジョン・ラスキンの「雲」という詩を朗読する。

 世の中の人は今日はよい天気だ

 また、悪い天気だ、なとどいうが、

 天気によいも悪いもありはしない

 みなよい天気ばかりである

 種類が違うだけなのだ

 晴れた よい天気

 雨の降る よい天気

 風の吹く よい天気

 という違いがあるだけ

帰宅して、夕方まで寝る。

夕食はポークソテー。

食事をしながら録画しておいた月9ドラマ『ラブソング』の初回を観る。いいんじゃないですか。次回も観よう。

ヒロインが障害(吃音)をもっているという設定は、『愛していると言ってくれ』の豊原悦司(聴覚障害)、『オレンジデイズ』の柴崎コウ(聴覚障害)、『ビューティフルライフ』の常盤貴子(歩行障害)などけっこうあるが、愛煙家というのは最近では珍しい設定だ。主演の二人(福山雅治と藤原さくら)の年齢差が役の上で23歳(44歳と21歳)、役者としては27歳(47歳と20歳)という、父親と娘の年齢差であるのも珍しい(田村正和が主演のドラマではときどきあったが)。

2時半、就寝。