フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月16日(木) 晴れ

2017-11-17 12:29:34 | Weblog

8時半、起床。

トースト、目玉焼き、ソーセージ、コーンサラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昼前に家を出て、大学へ。

玄関を出ると、目の前を半飼い猫のナツが歩いていた。お隣のNさんの奥様が「ハルちゃん、ちょっと太ったみたいね」と言った。冬に備えて脂肪を蓄えているのでしょう。あるいは冬毛になって「着ぶくれ」して見えるのかもしれません。

地下鉄の早稲田を駅から上がったところにある「ファミマ」。昼食用のおにぎりや、研究室でする大学院の演習用の茶菓子はいつもここで購入する。

キャンパスのスロープを上がりながら。今日も晴天だ。

3限は大学院の演習。

演習を終えて、昼食。おにぎり2個(鮭と昆布)。

5限は講義「ライフストーリーの社会学」。

今日も講義の後に1年生から進級について相談を受けた。前回は文化構想学部の学生だったが、今回は文学部の学生だった。春学期の講義「日常生活の社会学」、秋学期の講義「ライフストーリーの社会学」を履修して、社会学に興味を持ち、社会学コース(文学部)に進級したいと思っているのだが、大久保先生は社会学コースの先生ではないから、はたして自分が興味をもった社会学の勉強が社会学コースでできるのでしょうかという質問だった。もっともな質問だった。社会学そのものがそもそも「〇〇社会学」「△△社会学」というふうにさまざまな事象を対象にすることに加えて、同じ「〇〇社会学」を専門とする教員であっても、量的データの分析を専らとする教員、質的データの分析をもっぱらとする教員、両方やる教員と研究スタイルには個人差がある。だからある教員のある授業を受けて社会学に興味を持ったとしても、それは社会学というもののひとつの側面でしかない。「これが社会学だ」と思い込んでしまうと、後からびっくりしたり、がっかりするということはありえる。コース進級の最終申請まではまだ時間があるから、社会学の一般的テキストや社会学コースの先生方の専門分野や著作・論文にあたってみることを勧めた。

雑用を片付けて、7時前に大学を出る。

8時前に帰宅。

夕食は麻婆茄子、インゲンと豆腐の和え物、春雨サラダ、具だくさんの汁、ご飯。

紅白出場歌手が発表された。なんだかんだ言っても、紅白は面白い。

大晦日の夜は、天ぷらそばを食べ、「紅白歌合戦」を見て(一年を振り返りながら)、家族で女塚神社に初詣に行く。この習慣は変わらない。変わらないということは大切なことである。

一日締め切りを待ってもらった句会(今度の日曜日)に出す作品を作る。

ちょと途方に暮れていたのだが、歳時記を眺めているうちに「俳句の気分」になってきて、なんとか三句を投句することができた。

季語だけを眺めているよりも、具体的な作品が載っている歳時記の方が、刺戟になる。でも、いい作品が多いから、「いいなあ。とてもこんな句は自分には作れない」という反作用もあるから要注意だ。たとえば、「冬」という季語を使った作品を眺めていて、「いいなあ」と思った作品。

 女には紅さす指のありて冬  稲垣きくの

 何か書けば何か失う冬机  長谷川秋子

「冬」という季語だけを眺めていたのでは(少なくとも短時間では)思いつかない発想だ。

紀本さんに投句のメールを送ってから、風呂に入る。

2時、就寝。