フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月15日(火) 晴れ

2009-12-16 23:34:56 | Weblog

  9時、起床。挽肉のそぼろ煮、トースト、紅茶の朝食。朝食をとりながら、ETV特集「迷走 碁打ち・藤沢秀行という生き方」(録画)の一部(1時間半の番組の3分の1くらい)を観る。私は碁は打たないが、同じ盤上のゲームでも、将棋と囲碁はずいぶんとし性質が違うと思う。将棋は相手の王将の捕獲を目指して、争点のはっきりした戦いを繰り広げるが、囲碁は相手よりも広い縄張り(地)の獲得を目指して、争点が盤上全体に拡大・拡散していくような戦い方をする。両方とも強い人もいるが、別々の才能が必要とされる気がする。生まれ変わったら今度は囲碁に打ち込んでみたい。
  昼から大学へ。3限は講義「現代人間論系総合講座2」。今週と来週は増山先生の担当。4限は空き時間。「ごんべえ」に昼食を食べに行く。前回同様、釜揚げうどんを注文する。うどんと薬味とつけ汁だけだから低カロリーと思う。女性にはお勧めのメニューだが、注文している女性客を見たことがない。


文キャン入口付近(内側から)


文キャンの入口付近(外側から)

  5限は大学院の特論。授業を終えて教員ロビーに立ち寄ると、ちょうど長谷先生が届いた宅配便を開けているところで、献本用の本が届いたらしい。蔵出しのお酒をいただくようにその場で一冊ちょうだいする。長谷正人・奥村隆編『コミュニケーションの社会学』(有斐閣)。既視感のあるタイトルような気がするが、実は本邦初のタイトルであるという。へぇ、こんなオーソドックなタイトルがこれまで手付かずで残っていたなんて。ちなみに共編者の奥村隆さんには『他者といる技法ーコミュニケーションの社会学』という本があるが、そちらは副題である。長谷さんと奥村さん、2人の本に外れはない。今度もきっと面白くて深みのある内容の本に違いない。
  帰りがけに生協の本屋、あゆみブックスで以下の本を購入。

  大江健三郎・鶴見俊輔ほか『冥誕 加藤周一追悼』(かもがわ出版)
  大畑裕嗣ほか編『社会運動の社会学』(有斐閣選書)
  山野良一『子どもの最貧国・日本』(光文社新書)
  島田裕己『教養としての日本宗教事件史』(河出ブックス)
  古井由吉『人生の色気』(新潮社)
  川本三郎『きのふの東京 けふの東京』(平凡社)
  東海林さだお『ホルモンの丸かじり』(朝日新聞社)

  深夜、ケータイが鳴る。メールではなく、電話である。私のゼミの学生からである。緊急事態が発生したのであろうか。まさか「先生の声が聞きたくなっちゃって・・・」ということではないであろう。「どうしたの?」と聞くと、「テープ起こしをしたファイルが消えちゃったんです・・・」という。前者だった。詳しく話してごらんというと、彼女はライフストーリー・インタビューのデータを私に言われたとおりまずPCのハードディスクとバックアップ用にCDに保存し(ここまではよろしい)、CDのデータを聴きながら文章化作業をしてそのワードファイルをCDに保存していたのだという(当然、ハードディスクの方で作業は行うべきだった)。そしてベタ起こしの原稿が完成したので、それを元にして編集版のライフストーリーを作成しようとベタ起こしの原稿を開こうとしたらCDは空っぽだったという。音声ファイルもワードファイルもないのだという。彼女の声が上ずっているので、「泣きそうなのか?」と尋ねると、「はい」というので、泣くのはもう少し我慢してもらって、いくつかの操作を指示してやってもらったが、やはりファイルは見つからない。幸い音声データはPCのハードディスクには保存されているので、最悪の事態(インタビューのやり直し)は避けられたが、1時間半のインタビューのベタ起こしはその10倍相当の時間がかかったであろう。その成果がパーである。泣きたい気持ちになるのはわかる。PCを使う者が誰でも一度は通る道だ。とにかく明日、研究室にそのCDを持ってくるように言って、「さあ、もう泣いてもいいぞ」と言って電話を切る。 

  ♪泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ (石嶺聡子「花」より)


12月14日(月) 晴れ

2009-12-15 03:17:45 | Weblog

  9時、起床。ベーコン&エッグ、トースト、紅茶の朝食。フィールドノートの更新をしてから、NHKスペシャル『魔性の難問 リーマン予想・天才たちの戦い』(録画)を観る。大変に面白かったが、どうしてもひっかかることは、素数が出現する際の(未知の)法則性を示唆するものとされるゼータ関数上の零点の分布の数式が原子核のエネルギー間隔を表す式と類似のものであることを論拠として、もし素数の規則が明らかにされれば、宇宙を司る全ての物理法則が自ずと明らかになるかもしれないという大胆な予想(予言?)をナレーターが述べるところだ。2つの数式の類似はたんなる偶然とは考えられないのだろうか? 偶然ではないと証明されているのだろうか? その肝心の部分が番組では説明されていないように思える。数の不思議というものを宇宙の神秘と関連づける発想は昔からあり、たぶんピタゴラス学派まで遡ることができる。彼らは宇宙の根源(アルケー)は数であると考えた。たとえば、男は3で女は2、結婚は3+2=5なのである(何のこっちゃ?)。一般に天才的数学者と言われる人々は、審美的かつ神秘主義的なところがあり、したがって変人でもある。それは世間が天才的数学者を見るまなざしでもあり、おそらくは相乗効果が働いている。今回のNHKスペシャルもそうしたまなざしで制作されている。だから面白いのだけれど、大風呂敷なところがある。リーマン予想が証明されていれば、リーマンショックは回避できたかもしれない(もちろんそんなこと番組では言ってないが)、みたいな。
  昼食は、明太子、大根の味噌汁(卵入り)、ご飯。散歩には出ず、金曜日の授業(ライフストーリーの社会学)の下準備で小熊英二『1968』(新曜社)を読む。難解ではないが、とにかく厚い。ひたすら読む。深夜まで読む。妻がコンビニにコピーを取りに行くというので、ついでにコーラを買って来てもらう。このコーラを一息で飲んで、ゲップを出さずに、『1968』を最後まで読みます・・・って出来るわけがない。

 


12月13日(日) 曇り

2009-12-14 13:37:30 | Weblog

  9時、起床。ウィンナーソーセージとキャベツの炒め、トースト、紅茶の朝食。今日は佐藤正午の小説『身の上話』(光文社)を読んで過ごす。昼頃から読み始めて深夜に読み終わる。途中、昼食をとりに外出。「梅Q」でカニ釜飯を食べる。釜飯は注文してから出てくるまで少々時間がかかるが、本があれば問題ない。とくに『身の上話』のように読み出したらと止らない本の場合は、注文したものが運ばれてきて読書を中断しなければならないのが残念なくらいだ。釜飯は蓋を開けて、ご飯茶碗によそう前に、しゃもじでよくかき混ぜる。釜の底のおこげが香ばしい。


特製カニ釜飯は1500円

  帰りに「千代田鮨」で子供たちに鮨を買って帰る。午後2時を過ぎるとランチサービスの鮨がさらに半額になるので、店員が「半額」シールを貼るのを待って(5分くらい待っただろうか)、2パック購入。これだけでは足りないだろうから、巻物とお稲荷さんと鯖鮨のセットを1パック購入。


こちらは490円→245円(!)

  『身の上話』は夫が妻の身の上話を語る(誰に語っているのかはネタバレになるので書かない)という形式の小説。地方の海辺の町でつつましく暮らしていた若い女が、ある日、仕事(本屋の店員)を放り出して、東京から営業で来ていた妻子ある男について東京に行ってしまう。店の同僚に頼まれて購入した43枚のサマージャンボ宝くじを財布に入れたまま。営業マンの男は女が翌日には海辺の町に帰るものと思っていたが、女は帰らない。女の携帯電話には職場の同僚や、地元の彼氏、母親(継母)からひっきりなしに連絡が入る。しかし女は帰らない。女は銀行の普通口座に100万円ほどの預金があった。当面、東京での生活には困らない金額だ。しかし、一向に戻る気配のない娘に業を煮やした父親がその100万円を引き下ろしてしまったので、女はたちまち生活費に困ることになった。そんなとき、宝くじの当選番号の発表があって、43枚のうちの1枚が1等(2億円)に当選していることを知る。さて、ここから話は予想もしていなかった方向に展開するのだが、佐藤正午の小説はストーリーが面白いだけでなく、人間の(とくに男と女の)心理描写が見事で、これぞ本当の中間小説(純文学と大衆文学の間)ではないかと思う。

  夜、風呂に入るとき、小雀を連れて行く。洗面器にお湯を1センチくらい入れて、そこに小雀を置いてやると、別にびっくりしたような様子はなく、けれどこちらが期待した水(お湯)浴びを始めるでもなく、じっとしていた。ちなみに雀は体が濡れてもすぐに乾く。羽毛は自然のコーティングがされているし、体温が40度もあるからだ。


別に嫌いじゃありませんけどね・・・


12月12日(土) 晴れ

2009-12-13 01:51:50 | Weblog

  9時、起床。ただでさえ土曜日は一週間の疲れが出る日なのだが、医者からもらった薬を飲みながら一昨日3コマ、昨日も3コマと頑張った反動だろう、風邪の症状がぶり返した。よく晴れた暖かな一日であったが、ずっと自宅に篭っていた。朝食は親子丼(ミニサイズ)、昼食は炒飯、夕食は秋刀魚の塩焼き。食欲はちゃんとあるのがせめてもである。歯科医院へ電話をして明後日の抜歯の予定をまた1週間延期してもらう。


小雀と過ごす時間の長さかな

  平日の午後の時間は小雀は書斎でひとりでいる。しかし今日は私や妻と一緒の時間が長いので、かまってもらいたいのであろう、ディスプレイをつついたり、キーボードを打つ指をつついたり、手の甲に乗っかったりしてくる。もしきょうだい雀がいたら、一緒に遊ぶのだろうか。我と来て遊べや親兄弟のない雀。


指をつんつんつつく


手の甲に乗る


12月11日(金) 雨

2009-12-12 14:06:40 | Weblog

  9時、起床。ロールキャベツ、トースト、紅茶の朝食。ロールキャベツは夕べの残りである。私は夕食を外で食べてくることがしばしばあり(昨日もそうだった)、その場合、夕食の献立が翌日の朝食になるのである。決して朝から妻がロールキャベツを作っているわけではない。授業の準備をして昼前に家を出る。
  3限は講義「ライフストーリーの社会学」。今回で10講目。残すところ5回となった。資料のVHSの調子がよくなかった。テープの劣化のせいだろうか。VHSで録画・編集した映像資料はたくさんあって、授業でも活用しているのだが、それらをそろそろDVDにダビングしておくべきときなのかもしれない。


スロープに冷たい雨の降るなり

  4限・5限は空き時間。「ごんべえ」に昼食をとりにいく。釜揚げうどんを注文。これを注文すろと必ず「少々お時間がかかりますが、よろしいですか」と聞かれる。「かまわんよ。急ぐ旅ではないから」と答える(水戸黄門みたいだ)。確かに他のメニューに比べると時間がかかるが、それは他のメニューが迅速すぎるからであって、実際はそれほどのことはない。普通の店で普通に注文したときと同じ程度の待ち時間だ。釜揚げうどんはうどんそのものを味わうには最適の一品であるが、残念なことに学生がこれを注文しているところをめったに見ない。釜揚げうどんを知らないのかもしれない。というのは、私が釜揚げうどんを食べていると、物珍しげな視線を向けられることが多いからだ。つけ汁に葱、胡麻、紫蘇、大根おろし、生姜、海苔、七味といったたくさんの薬味を入れて、熱々のうどんをくぐらして食べる。実に、うまい。研究室に戻り、午前中にできなかったフィールドノートの更新と授業の準備。
  6・7限はゼミ。今日は3名が諸々の都合で欠席だった。いままでで一番多いかもしれない。しかし、いつもよりゼミが静か、ということはなかった。前半のテーマは「家族とライフストーリー」。当人が意識しているかいないかは別にして、家族が子供のライフストーリーに与える影響は非常に大きい。その影響の中にとどまろうとするのか、そこから抜け出そうとするのかで、ライフストーリーは大きく二分されるといってもよいくらいだ。ゼミ生は圧倒的に女子が多いのだが、彼女たちの話を聞いていると、母-娘関係の絆は非常に強いと感じる。


本日のスイーツはコロネ(チョコとカスタード)

  後半はライフストーリー・インタビューのケース報告を3件。先週に引き続いて10時を過ぎた。幹事のサバサバ・サオリから、10時を越えないようにしましょうと言われる。はい。地下鉄の駅に向う途中、松屋の前を通ると、そのサバサバ・サオリら数人のゼミ生がカウンターに並んで遅い夕食をとっていた。昔、この手の店で女子学生の姿を見ることはまずなかったが、時代は変わったのだ。11時半、蒲田着。「満月」で天丼を食べる。「並」と「上」の区別はなく、1600円也。「すす金」の鰻重(上)と同じだ。風邪気味のときは滋養をとらねばならないのだ。

  帰宅して、風呂を浴び、『不毛地帯』第9話(録画)を観る。壱岐正の娘が鮫島の息子と結婚した。結婚式の前の夜、壱岐が娘をおんぶする場面はちょっと感動的だった(娘が小さい頃、壱岐はシベリアに抑留されていたので、娘をおんぶしたことがないのだ)。娘の体格にもよるが、年頃の娘をおんぶするのはけっこう大変だと思う。完全にしゃがんだ体勢からだと立ち上がれない可能性がある。ドラマでは立っている壱岐の肩に娘が両手をかけて背中にパッと飛びつくようにしていたが、あれなら大丈夫だろう。覚えておこう。