フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月22日(火) 晴れ

2011-02-23 07:42:56 | Weblog

  7時半、起床。豚肉の生姜焼き、キャベツ、パン、紅茶の朝食。10時前に家を出て、大学へ。昨日から高層棟の解体工事が始まった(今日は社会科学部の入試で戸山キャンパスも試験会場として使われるため工事はお休み)。一文、二文の卒業生にはおなじみの建物がいよいよ消えることになる。

   11時から総長と理事の方々が戸山キャンパスにやってきて、教務と懇談会。先方の人数が当方の二倍ほどで、なんだか事業仕分けに臨む気分である。総長は1時間ほどで次の会議のために退席されたが、理事の方々とはさらに1時間近く懇談をした。
  懇談会の後、村田先生、肥田先生と連れ立って、「maruharu」へ昼食をとりに行く。野菜サンドとコーヒー。弁当的生活に終止符を打つ。

  1時半から基本構想委員会。3時頃まで。その後は夕方まで事務的な打合せが断続的に続く。早めの夕食を「メルシー」にとりに行く。今日は、パン(朝食)、パン(朝食)、麺(夕食)で、ご飯を口にしなかった。

  夕食を早めにとったのは研究室でゼミ論集の編集作業をするつもりであったからだが、校正原稿を自宅に持ち帰っていたことを思い出し、それならば、家に帰ってやった方がよいと思い直し、8時に帰宅。これなら最初から自宅で夕食をとればよかった。
  中東諸国の激変が連日のニュースで伝えられている。選挙どころか、世論調査の数字で総理大臣が簡単に変わる国と、ああでもしない限り政権が変わらない国と、どちらがよいのかと考えてしまう。われわれの方が健全なのだろうか、それとも政治というものに希望を抱いている点で彼らの方が健全なのだろうか。


2月21日(月) 曇りのち晴れ

2011-02-22 08:31:18 | Weblog

  7時、起床。クリームシチュー、パン、オレンジジュースの朝食。大田区男女平等推進区民会議の報告書の「はじめに」の原稿を書いて、メールで担当課に送る。
  昼食は妻がジムの帰りに買ってきた握り寿司。息子が足が痛いと言っているのでどうしたのかと聞くと、昨日、大学の研究室の面々と高尾山に登ったのだという。この寒いのによくやるよと思う。何かのノリで登ったに違いないが、高尾山とはいえ冬山である。甘く見てはいけない。
  昼食のあと昼寝をしてから、ゼミ論集に載せるゼミ生の一人一言の原稿を編集する。ようやく先日、最後の一人が原稿を送ってきたのだが、ゼミ仲間とトルコに10日間ほど旅行に行っていたとのこと。以前、トルコに旅行に行って帰ってきた学生から「先生はトルコ人に似てますね」と言われたことを思い出す。本当にそうなのか、聞いてみよう。
  今回、ゼミ論を書いた18名の学生は、全員、2007年4月に入学した文化構想学部第一期生で、当然、ゼミ一期生でもある。ゼミは2年次の秋に選考が行われ、3年次・4年次と2年間にわたって継続される。半期の授業がほとんどを占めるカリキュラムの中にあって、ゼミは特異な存在である。おそらく学生たちにとってゼミはサークルと並んで大学生活における「居場所」として機能しているのではないかと思う。
  ゼミの担当教員にとっても、2年間継続するゼミというのは初めての経験だった。旧学部(第一文学部・第二文学部)時代にもゼミと称される授業はあったが(卒論ゼミや調査実習ゼミなど)、それらはどれも1年間で終るものであった。2年間のゼミというものをどう運営していったらよいのか、確固たるノウハウがあったわけではない。とくに2年目からは4年生(一期生)と3年生(二期生)という二階建ての構造になったので、2つの学年を時間的・空間的にどのように分離ないし融合してやっていくかで頭を悩ました。結局、6限は3年生クラスを指導し(4年生クラスは自主ゼミ)、7限は4年生クラスを指導する(3年生クラスは自主ゼミ)というのを基本パターンとしたが、この分離方式が最善であったとは思わない。これからも、まだしばらくは試行錯誤が続くと思う。

  6時半から、大田区男女平等推進区民会議。次期プランの最終案の説明を受け、区民会議の報告書について審議する。来月の終わりに、もう一度、最後の区民会議を開くことになった。2期4年間務めた仕事がようやく終る。


「歓迎」で広東麺を食べてから帰る


2月20日(日) 曇り

2011-02-21 02:20:51 | Weblog

  7時、起床。入試業務で朝から大学へ出る日が続いたせいで、早く目が覚めてしまって、そのまま起きる。ブログの更新をしてから、バタートーストと紅茶の朝食。
  9時過ぎに家を出て、床屋へ行く。あっという間に終ったような気がしたのは、居眠りをしていたからだろう。床屋を出て、その足でジムへ行く。午前中にジムへ行くのは初めてだったが、けっこうたくさんの人がいた。軽めの筋トレを2セットと有酸素運動を35分。弁当的生活で太った分を、それが定着してしまわないうちに解消しなくてはならない。
  昼食は「天味」の上てんぷら定食かき揚げ付。せっかくジムで運動してもその直後に天ぷらを食べては努力が水の泡ではないかと思う人がいるかもしれないが、そうではない。ジムにいかずに天ぷらを食べたときより、ジムで運動をした分、摂取するカロリーは明らかに小さくなっているからである。それがスローダイエットの考え方である。
  私は食べたものの写真をまめに撮る方であるが、例外がいくつかあって、カウンターで食べる鮨や天ぷらは写真に撮らない。鮨は手で食べるので写真を撮るためには一々指をお絞りで拭かなければならず、それでは食事のリズムが寸断されてしまう。天ぷらは揚げたてをただちに口に運ぶに限る。写真を撮っている暇はない。海老、きす、あなご、海老、茄子、南瓜、小海老のかき揚げ。最後に出された小海老のかき揚げを小天丼にしてもらったので、その写真だけ撮る。

  食後のデザートは「甘味あらい」のあん豆寒にしようと、蓮沼駅まで歩いたが、身体が冷えてきたので、池上へ行くのは断念して、蓮沼駅前の「コロラド」でコーヒーを飲む。「コロラド」はドトールコーヒーが経営するチェーン店だが、フルサービスの落ち着いた雰囲気で、私は好きである。

  しばらく「コロラド」で本を読んでから、帰宅する。蓮沼駅前から自宅までは15分ほどだろうか。ふだん歩かない道を歩くのは面白い。 

  帰宅して、風呂を沸かして入る。昼下がりの入浴。浴室の窓から外光が入ってきて、温泉に来ているようなぜいたくな気分になる。ひさしぶりのジムで少々疲れた。風呂から上がってしばらく昼寝をした。オーバーホールの一日だった。


やっぱりFMラジオから流れてくる音楽が好きみたいである


2月19日(土) 曇り

2011-02-20 07:44:38 | Weblog

  8時、起床。コンビニにパンとジュースを買いに行く。そんなに寒くない。ベーコン&エッグとパンとオレンジジュースの朝食。
  9時に家を出て大学へ。10時半から教授会。12時から基本構想委員会打合せ(お弁当を食べながら)。1時からカリキュラム委員会打合せ。
  一連の会議が終り、次の会議まで30分ほど時間が空いたので「maruharu」へ珈琲ブレイクに出かける。常連客の一人であるSさんが来ていた。Sさんは職場が早稲田にあったのだが、昨年末に退職をされて、いまは本格的な求職活動を開始する前の一休みといったところだ。住まいも吉祥寺から三軒茶屋に引っ越されて、自転車に乗って新しい街を探索中で、物価がけっこう高いことに驚いているそうだ。Sさんは、私の見るところ、「maruharu」の常連客の中で一番の聞き上手である。興味津津といった表情を浮かべながら相手の話に聞き入る姿を見ていると、もしSさんがライフストーリーインタビュー調査をやったらきっといい調査員になるだろうと、私はいつも思う。現代は表現主義的(表出主義的)個人主義の時代だ。自分のことを語りたい、自分の語りに耳を傾けてほしいという欲求を多くの人がもっている。しかし、自分のことを語りたい人ばかりでは「話し手ー聞き手」のペアが生まれない。自分のことを語りたいだけの人同士がペアを組むと、相手の話に形ばかりの相槌を打ちながら、自分の話す順番が回ってくるを待っているだけという状態になる。そこにあるのは会話ではなく、会話風の独り言である。カフェという場所は、そこでたまたま一緒になった客同士が会話をするのに適した場所である。個人化した社会の真っ只中で、自分のことを少し語りながら、より多く相手の語りに耳を傾けるレッスンをするのに適した場所である。

  4時から教務的会議。来週、新総長との懇談会が予定されているのだが、そこでどんな話をするかの相談。7時前に大学を出る。夕食を家で食べるのは久しぶりだ。


2月18日(金) 晴れ

2011-02-19 01:43:26 | Weblog

  7時、起床。ソーセージとキャベツの炒め、ご飯の朝食。8時に家を出て、大学へ。この時間、京浜東北線は後ろから3両目の車輌が女性専用である。私は前の方の車輌に乗るので、様子はわからない。品川駅で女性専用が解除されるのだが、当然、解除された直後は女性客ばかりだろう。そこに男性客が乗り込むのはかなりの度胸を必要とするのではないだろうか。そのあたりの様子を観察してみたいと思うのである。
  今日も昼食と夕食は弁当だった。私は決して弁当が嫌いではない。運動会や遠足のときの弁当、旅上で食べる駅弁は楽しいものである。しかし、連日の弁当、いや、弁当的生活は楽しいとはいえない。弁当的生活とは、食べたい時間に食べたい場所で食べたいものが食べられない生活である。つまり「食べる」という行為についての自由がない生活である。弁当そのものが美味しいかどうかとは別問題である。

  9時に大学を出る。電車の中で留守電に気づき、1417に電話をして、メッセージを聴く。ある人が亡くなったことを知る。それまで頭の中であれこれ考えていたことが、一瞬のうちに、どうでもよくなる。人の生死と比べたら、たいていのことはどうでもよいこと、どっちでもよいことである。