このところ寒くて、今年から始めた自転車による貝塚めぐりにも行っていなかったが、この日12/19日は比較的暖かかったので、近いところにある貝塚を巡ってきた。なにしろ、確認されたいるだけで市内には100ヵ所ほども貝塚がある。全国では1600あまりと言われているので、6%位が少なくとも千葉市内に集中していることになる。おそらく、本格的に調査すればさらに増えるだろう。いたるところで古い貝が出てくるので、あたり前になってしまい、その歴史的な重要性が見落とされてしまっているような気がする。ちなみに、千葉県に範囲を広げると、500ヶ所を超えると言われており、全体の3分の1近くになる。
さて今回は、千葉市みつわ台という所にある「東寺山貝塚」と、源町にある「廿五里(つうへいじ)貝塚」に行ってきた。千葉市内の中心部にある我が家からは自転車で20~25分くらい。
「東寺山貝塚」。縄文中期から後期の遺跡。現在は鹿島神社と、この裏にある公園になっている。
境内に、落ち葉を焚くために掘られたらしい穴があり、ちょうど貝の層が見えていた。写真では見にくいが、底にあるのが葉っぱで、中間に貝の層が観察できる。
貝の層のあたりを拡大したもの。円で囲んだあたりがそれ。仮に普通の民家で、たまたま家の庭を掘ってみたらこんな貝殻が出てきても、歴史的な遺跡とはだれも思わないだろうなあ。前に住んでた人が、穴掘ってゴミを捨てたんだろう、てなもんだ。しかし、よく見ると、貝殻はかなり整然と置かれている。「再生」を願い、祈り、土に帰されたのだろう。そう考えると、貝塚を神社や公園にするのは良いのかもしれない。祈りの場とし、時に子どもたちの遊ぶ声が聞こえることにより、命が繋がっていることを魂が感じ取れる場になる。
神社の裏手、この奥が公園になっている。よく見ると、小石などに混ざって貝殻が見つけられる。
見つけた貝殻を、落ち葉に載せて撮影してみた。小さな巻貝が、千葉市で出土する中では最も多い「キサゴ」。これで、直径12~3ミリ位だろうか。ほかに、アサリらしい貝の破片もあった。貝塚には埋葬された遺体も出土するが、このキサゴが敷き詰められた上に遺体が置かれ、さらにその上にもキサゴが置かれている例もあるという。ここからも、縄文の人々にとって貝は神聖なものであったことが推測される。
こちらは、東寺山貝塚から300メートルほど離れたところにある「廿五里(つうへいじ)貝塚」。「廿五里」と書いて、「つうへいじ」と読ませるが、普通の人は読めない。もちろん、わたしも読めなかった。いわれを調べてみたが、結局は誰にもわからないらしい。周辺は「殿山ガーデン」という乗馬などができる施設で、勝手に入ることはできない。それにしても、貝塚の上を駐車場にするとは・・現代人の病理としかいいようがない。
市の設置した案内板。案内板を立てるだけでなく、せめて畳一枚程でもいいから貝の層が観察できるようにしておいてもらいたいものだ。
古くなっていて読みづらいが、ここは正確には「廿五里南貝塚」で、ここから100メートルほどの所に「廿五里北貝塚」があるらしい。今は、畑になっているらしいが、今回は見つけられなかった。