文化逍遥。

良質な文化の紹介。

加曾利貝塚、2019/11/1

2019年11月04日 | 考古・エッセイ
 墓参の帰りに、加曾利貝塚に寄ってきた。



 特別史跡に指定されてから、再び始まった発掘調査の様子。今年の台風15・19・21号などの影響で、だいぶ樹木や復元された住居などが痛んでいたが、発掘は止まることなく進められているようだ。

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千葉市の貝塚―月ノ木貝塚、2019/4/28

2019年05月01日 | 考古・エッセイ
 花粉の飛散がどうやら終わりに近づき、やっと一息ついたところ。一方で、このところ雨が続き、なかなか外に出る気にならなかった。しかし、4月28日(日)は晴天で、気温も18度ほど。久々に、自転車に乗って千葉市中央区の二戸名町にある月ノ木貝塚まで行ってきた。30分程のポタリング。写真は、携帯で撮影。夕方近くになったので、光が足らず鮮明度がイマイチ。

 ここは千葉市に5カ所ある国の史跡のひとつで、周辺の自然も残っていて縄文の頃を偲ぶことが出来、個人的には好きな場所だ。








貝塚の裏、土手になっていて、上から落ちてきた貝などが観察できる。

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千葉市、荒屋敷貝塚2019/4/15

2019年04月17日 | 考古・エッセイ
 4/15(月)墓参の帰り、千葉市貝塚町にある荒屋敷貝塚に寄ってきた。



 携帯で撮影。この辺りは、貝塚町というくらいで、周辺には大小20余りの貝塚がある。ここは、その中でも最も大きい径180メートルの国指定の史跡。見てのとおりで、今は草原状態。周辺も含めて、発掘調査は、ほとんど「手つかず」と云ってもいい状態。本格的な発掘調査がなされれば、土器や土偶など、重要文化財あるいは国宝級の遺物が出土しても不思議ではない。

 おそらく、縄文期の人々は、貝に対して特別な思い入れがあったと感じる。自分の父母や祖父母、さらにその先に続く先祖たち、それらの人々が利用した貝、そしていつかは自分の使った貝も子や孫が見守ってゆく。そこに時の流れの中でも流されず生きているという「安心感」があったのではないだろうか。あえて言えば、「自己同一性」を確認していたように思われる。加曾利貝塚など比較的発掘が進む史跡では、貝層の中に人骨も埋葬されているのが確認されている。かつて貝塚は「ゴミ捨て場」と、考えられていた。しかし、縄文期の人々は貝をゴミだと思っていたわけではない。わたしは、そう確信している。

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加曾利貝塚出土の石剣など

2019年02月12日 | 考古・エッセイ
 千葉市の加曾利貝塚は、2017年に国の特別史跡に指定されてから発掘調査が再開され、新たな出土品が発見されている。現在、昨年(2018年度)の出土品の一部が、我が家から歩いて10分ほどのところにある生涯教育センター(千葉市中央図書館)に展示されている。ちなみに、ここはJRの千葉駅から歩いても7~8分で行ける。


 ガラス越しに携帯で撮ったので、反射があって見にくいが御容赦願いたい。






 「石剣」となっているが、見たところ「石剣」というよりは「石棒」に近く「男性器」のようにも見える。長さは、30~35センチくらいだろうか。いずれにしろ、祭祀の際にシャーマンが使った神聖な祭器だろう。しかし、昔の人はどうやって石をこのように綺麗に削り出したのだろうか。おそらく、現代人からは想像も出来ないほどの時間をかけて他の硬い石と擦り合わせたのだろう。あるいは、研磨剤に出来る砂などがあって、それを使って削り磨き上げたのかもしれない。その作業こそが神聖なものだった可能性もある。


 こちらは、土製の耳飾り。大きさは、直径3~4センチくらいか。なかなかにオシャレなものだ。地中に数千年の間眠っていたとは思えないほどの状態。

 加曾利貝塚全体で、まだ7%ほどしか発掘調査は終わっていないという。千葉市だけでも100カ所あるという貝塚の調査はほぼ手つかずな状態なのだ。いつも思うことだが、しっかり調査して遺跡の重要性を後世に伝え、縄文期の文化が豊かで流通なども進んでいたことを知らしめられると良いと感じた。

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貝塚で初詣

2019年01月10日 | 考古・エッセイ
 1/8(火)、自宅から自転車で15分程の所にある千葉市東寺山貝塚に行ってきた。ここは、貝塚が公園と神社になっているので、少し遅い初詣もかねている。


 公園と写真上に見えるのが神社。この下には貝の層がある。


 信仰心には無縁なわたしだが、遺跡の一部を神社としておくのは保存の観点からは良い事だと考えている。無謀な開発から守れるし、神社だったところに住みたいと思う人は少ないだろう。遺跡の保存料と思って、僅かだがお賽銭をあげてきた。


 北国は雪による交通の弊害も生じていると報道されているが、こちら南関は先月の23日以降雨が降っておらず異常乾燥注意報が出っぱなし。この日もカラカラの晴天。洗濯物が良く乾くのはありがたいが、火事が多いし、インフルエンザの流行も懸念される。




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加曾利貝塚、2018/11/11

2018年11月13日 | 考古・エッセイ
 例によって、墓参のついでに加曾利貝塚へ寄った。この日は、気温20度を少し上回る程度で自転車で走るのにはちょうど良い気候。


 特別史跡に指定されてから、発掘が再開されている。遺物に優劣を付けるのは疑問に思うが、国宝に指定されるような土偶や土器などが出土すれば保存の機運が盛り上がるので、それもいいかな、と思う。さらに、この周辺には20を超える貝塚があり、詳しい発掘調査はほとんどなされていない所もあるので、それに関する予算がつけばさらによい。


 復元された住居。縄文期には、石斧など使って木を切り出すより他に方法がないので、簡素な家を建てるのもさぞ時間と手間がかかっただろう。そして、それは数千年前ここで暮らした人々が生まれてから死ぬまで、ほぼ同じ光景の中で生活していたことを推測させる。その環境が、人の心の安寧に大きく寄与したことは確実、とわたしは思っている。現代人の抱える不安を考える上でも、縄文期の人々のあり方を考察しなおすのも一つの方法ではないだろうか。

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千葉市の貝塚―東寺山貝塚、2018/10/24

2018年10月27日 | 考古・エッセイ
 24日(水)午後、千葉市若葉区東寺山町というところにある東寺山貝塚に行ってきた。我が家から自転車で20分程のところにある。
 昨年暮れにも行ったのだが、ここは今は神社になっていて、地元の人でもあまり知る人はいないだろう。周辺は、公園や緑地になっていてゆっくりした気持ちになれる所だ。



 昨年暮れに来た時もこのような穴があって落ち葉を燃やすためにあるのだろうと推測したのだが、今もあるところを見ると、あるいは貝塚の観察のために掘られているのかもしれない。


 ちょっと見にくいが、白線で囲ったあたりが貝の層。千葉市内の他の貝塚ではキサゴという小さな巻貝が多いのだが、ここを見る限りでは、二枚貝が多く見られるように思われた。しっかり発掘調査して、保存に努めるべきだろう。

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千葉市の貝塚―月ノ木貝塚

2018年09月22日 | 考古・エッセイ
 9/19(水)午後、千葉市中央区仁戸名という所にある「月ノ木貝塚」に行ってきた。自転車で市内にある貝塚を回って楽しんでいるが、夏の間は暑いので行けなかった。この日は、最高気温25度ほど、湿度は40%台まで下がった。ママチャリをゆっくり走らせていると風が心地よく、少し汗ばむ程度。
 月ノ木貝塚までは、我が家から35分程のサイクリング。縄文時代中期の貝塚で、東西150m南北200mの北側を開口部とする、かなり大規模な馬蹄形貝塚。貝層(貝が積み重なっている所)は深さ1.4mにもなる所があり、貝層の上部と下部は、ハマグリ、アサリ、シオフキ、中部はイボキサゴが多いという。1951年の発掘調査では、4軒の竪穴式住居が発掘され、土器や石器のほかに、貝輪、土製耳飾、タカラガイの加工品、クジラの骨などが出土している。



 千葉市には、特別史跡の加曾利貝塚を含め、国の史跡に指定されている貝塚が5カ所あるが、ここもその内のひとつ。他の貝塚と同じく、海から数キロ内陸に入り込んだ川の近くにある高台に位置している。丸木船の様なものを使い、河口で採取した貝や魚などを運んだと考えられている。ここは特に海から遠く、縄文期でもかなり運ぶのに大変だったのではないだろうか。今年は、大雨や高潮による災害が発生しているが、温暖だったと言われる縄文期もそのような災害が発生しやすかったとも考えられ、当時の人達は自然災害を避けるためわざわざ海から遠い高台を選び生活していたのかもしれない。


 この辺りが中心部だろうか。今は、草木に覆われている。


 貝塚に来ると、空気が胸の奥にまで自然に入ってくる気がする。樹木や、あるいは貝の出すイオンの様なものが作用するのか、と勝手に考えている。いずれにしろ、気持ちが落ち着く空間であることは間違いない。


 樹木の下に見える白いものはすべて貝の破片など。下の写真は拡大して撮ったもの。




 ハマグリやアサリ、小さい巻貝はイボキサゴ。


 市内のほぼ真ん中を流れて東京湾にそそぐ「都川(みやこがわ)」。写真奥が上流方向。
 市内の貝塚は、この川の支流近くに位置するところが多い。つまり、この川を中心にして所どころに集落が散在していたのが、縄文時代の村の風景といった感じか。昔の人達は、舟で行きかう時どんな挨拶を交わしていたのだろう。あるいは、挨拶どころではなく、収奪や略奪があったのだろうか。青森県の三内丸山などは、大規模な見張り台がある。なので、そこから推測すると決して安穏な生活を営んでいたわけではないだろう。が、わたしが子どもの頃、今の幕張メッセあたりの遠浅の海でアサリやハマグリなど貝類が無尽蔵と言ってよい程とれたし、貝塚の貝や魚・獣などの骨の種類・量の多さから考えて、他人のものを取る必要はなかったのではないか。個人的には、そう推測している。

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2018年9月、加曾利貝塚

2018年09月14日 | 考古・エッセイ
 長く酷暑が続いた今年の夏もやっと終わりが見えてきた。なにしろ今年は関東で6月の下旬には梅雨が明けたので、平年より一ト月近く早く厳しい暑さがやって来たわけだ。しかもそれが記録的な高温で、熱中症で救急搬送される人も、亡くなる人も記録的な多さだった。
 というわけで、最高気温25度ほどになった9/13(木)、例によって墓参がてら加曾利貝塚に寄ってきた。


 特別史跡に指定されてから改めて発掘作業が始まり、今も継続中。まだ、全体の3割も終わっていないとされ、延々と続く。出土品を破損しないように手作業で行われる。根気のいる、気の遠くなるような仕事だが、世代を超えて引き継がれることだろう。


 こちらは、南北あるうちの南貝塚の断面が観察できる施設。


 中に進むと・・・


 内部は、こんな感じ。貝や魚の骨はもちろんのこと、獣骨なども散見できる。

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東京国立博物館「縄文特別展」

2018年07月29日 | 考古・エッセイ
 7/27(金)、上野の東京国立博物館へ「縄文特別展」を観に行ってきた。





 縄文期の遺物のなかで国宝に指定されている6点が全て揃って展示されているので、かなりな人出が予想され、行くのを躊躇していた。が、やっぱり観たくなった。この日は、このところの異常な暑さもひと段落。混雑を避けて、午前中に入館した。入場制限などは、今のところ行われていないようだが、夏休みに入ったこともあり子供も多く、やはり落ち着かない。それでも、行って良かった。

 縄文期の遺物の魅力は、何と言っても、その静謐さにある。静かに、心の最も深いところに静けさがある事に気付かせてくれる。中には実用的なものもあるけれども、多くは創りたくなった人がゆっくりと時間をかけて自然に完成された神聖なものだろう。誰かから認められたいわけでもなく、交換価値を込めたわけでもなく、言ってみれば天命に従い自然に出来あがったものだ。そこに作為は無く、あるのは人の営為と祈り。おそらく、制作者はシャーマンに近いような人で、地域の集団から尊敬されていた、とわたしは推測している。

 展示品の中には、このブログ2018/4/2に取り上げた犢橋(こてはし)貝塚などからの出土品(展示No.207深鉢形土器、東京国立博物館蔵)や、2016/5/6に取り上げた松戸市立博物館の所蔵品(展示No.26関山式土器)もある。今回の特別展をきっかけにして地域の歴史と縄文期出土品の素晴らしさに目を向けてくれる人が一人でも増えることを期待したい。

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千葉市の貝塚―園生(そんのう)貝塚~千葉山遺跡

2018年04月27日 | 考古・エッセイ
 4/26(木)午後、気温23度ほど。自転車で走るには良い気候で、花粉も少なくなってきた。今回行ったのは、我が家から自転車で15分程の所にある「園生(そんのう)貝塚」と、そこから500メートル程のところにある「千葉山遺跡」。


ひっそりとたたずむ園生貝塚の石碑。地元でも知る人は少ないが、ここも加曾利貝塚に劣らぬ貴重な遺跡で、径は130メートルと云われ周辺にも他の貝塚があるといわれている。


今は写真のように立ち入りが出来ないが、取りあえず保存樹林となっている。水系としては、この台地の下を流れる「草野水路」という細流がある。現在は「草野水路」などと、味気ない名前で呼ばれているが、昔は「小仲代川」と云われていたらしい。その川を利用して貝などの海の幸を舟で運び生活していたと考えられている。


写真奥に見えているのは千葉都市モノレール「穴川」駅。



こちらは、園生貝塚から500メートル程の所にある中世の遺跡「千葉山」。千葉氏の歴代の墓があった所とも云われ、高台になっているところから千葉氏の軍事的な重要拠点のひとつだったのではないかと感じた。




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千葉市の貝塚―犢橋(こてはし)貝塚

2018年04月02日 | 考古・エッセイ
 3/31(土)、気候も良いので自転車に乗って出かけた。この日は、久々にスポーツタイプの自転車を使った。2015年暮れに椎間板ヘルニアを患い、それ以来腰を痛めるのが怖くてスポーツタイプの自転車に乗るのは控えていた。が、最近はかなり良くなってきたので少しずつ使ってみることにした。この日は、花見川サイクリングコースまで行ったが、その途中にある国の指定史跡である犢橋(こてはし)貝塚に寄った。


昨年、新たに自転車を買った時に、これを処分しようかと思った。しかし、長年乗りなれた自転車をまだ使えるのに捨てるのは忍びなく、結局ブレーキ系統などを整備点検してもらっておいたのだった。やはり、少し長い距離を走るにはこのタイプが楽だ。体の力を無理なく車輪に伝えてくれ、自然に前に出る感じがする。ちゃんと整備していればまだまだ使えそうだし、捨てなくて良かった。ちなみに、後ろの籠には水筒やカメラなどを入れている。






この貝塚は、今は公園として整備されている。ここは、花見川から数百メートルの所にあり、少し高台の大地に位置している。千葉市の他の貝塚とは水系が異なるが、川を使って舟で貝を運んだと考えられることや、少し高台に位置している点は共通している。ちょうど桜も満開。

 この後、花見川サイクリングコースに向ったが、それについてはページを改めて書くことにしよう。

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東京国立博物館

2018年03月22日 | 考古・エッセイ
 3/17(土)、上野の国立博物館へ行ってきた。国立博物館は各地にあるので、ここは東京国立博物館を略して「トーハク」と呼ばれている。本館自体も重要文化財だが、内部はかなり改装が進んで、展示ケースや照明にかなり工夫がみられる。特に本館1階は、LED照明に換わり、全体に明るくなった感じだ。LEDの方が、展示物に影響が少ないのだろうか。博物館は、後世に貴重な文化財を残すのも大切な責務だ。展示替えの時などは、さぞ気を使うことだろう。オッチョコチョイのわたしなどは、とてもじゃないが務まりそうにないなあ。

 5/13まで「アラビアの道」という、サウジアラビア王国の所蔵する宝物が特別展として表慶館で展示されている。




こちらは、人が多くて落ち着いて見ていられなかった。なので、早々に切り上げて、平成館1階の日本の考古特別展に移動。

 特に、今回展示されている群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土の盛装女子埴輪が見たかった。古墳時代・6世紀ころのもの。埴輪の目をじっと見ていると、モジリアニの絵を見ているような気になるから不思議だ。館内は写真撮影が出来ないので、内部の映像が無いのは残念だが、ここの考古展示室は本当に充実している。全国の貴重な出土品が一堂に集まっているのを見られるのだから贅沢なものだ。


これは、7月3日から始まる「縄文特別展」のリーフレット。ここに写っているのは、東京国立博物館が所蔵している青森県つがる市出土の「遮光器土偶」と呼ばれるもので、実物の大きさは20センチ位だろうか、この日も見ることが出来た。目がアラスカの先住民などが使う遮光器を付けた様子に似ているので、こう呼ばれているが、実際にこの土偶が遮光器を付けたものかは不詳。おそらく、デフォルメされた象形なのではないだろうか。この土偶も他の多くのものと同じく、体の一部がない。この土偶の場合は左足が無いのだが、出来上がった時から欠けていると思われるものも多いらしい。焼成の段階で割れたのか、故意に欠いたのかは推測するしかない。あるいは他の理由で失われたものか。有力な説として、悪いところを土偶に移して祓い回復を祈った「形代(かたしろ)」とした、というものがある。そう考えると、お腹の大きい女性像などは、出産で亡くなった子どもか妊婦を想い作られた様な気もしてくる。いずれにしろ、現代人には遠くなってしまった「祈り」の心が土偶には込められたいる。あらためて、それを強く感じた次第だ。


博物館裏にある庭園の桜。携帯で撮影。この日は、東京でも桜の開花発表があった。普段は入れないが、この時期だけ解放されている。

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千葉市の貝塚ー花輪貝塚

2018年01月10日 | 考古・エッセイ
 1/9(火)、風は強かったが暖かかったので、自転車で墓参に行き、その帰りに花輪貝塚に行ってきた。千葉市の加曾利町という所にあり、加曾利貝塚から1Kメートル程のところに位置している。




国指定の史跡だが、私有地なので勝手に入れない。加曾利貝塚と比べても、規模も保存状態も引けを取らない史跡にみえたので、国か自治体が買い取って、しっかり整備して欲しい、と感じた。


千葉の貝塚の特徴として、海から内陸に数キロの所で、少し高台になっていて、近くに川があり舟を使って貝を運べるところに位置していることがある。ここも例外ではなく、この近くに今は細い流れになっているが、川があり、このような高台にある。おそらく、水害などの自然災害を避けるために、そのような場所を選んだのだろう。縄文期、このような貝塚を中心に集落が形成され、谷を超えて近くの他の集落と婚姻関係などで交流していたのかもしれない。そんな想像をめぐらすと、今は住宅地になっているところも違った光景が見えてくるようで、興味が尽きない。

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千葉市の貝塚―みつわ台付近

2017年12月21日 | 考古・エッセイ
 このところ寒くて、今年から始めた自転車による貝塚めぐりにも行っていなかったが、この日12/19日は比較的暖かかったので、近いところにある貝塚を巡ってきた。なにしろ、確認されたいるだけで市内には100ヵ所ほども貝塚がある。全国では1600あまりと言われているので、6%位が少なくとも千葉市内に集中していることになる。おそらく、本格的に調査すればさらに増えるだろう。いたるところで古い貝が出てくるので、あたり前になってしまい、その歴史的な重要性が見落とされてしまっているような気がする。ちなみに、千葉県に範囲を広げると、500ヶ所を超えると言われており、全体の3分の1近くになる。

 さて今回は、千葉市みつわ台という所にある「東寺山貝塚」と、源町にある「廿五里(つうへいじ)貝塚」に行ってきた。千葉市内の中心部にある我が家からは自転車で20~25分くらい。


「東寺山貝塚」。縄文中期から後期の遺跡。現在は鹿島神社と、この裏にある公園になっている。


境内に、落ち葉を焚くために掘られたらしい穴があり、ちょうど貝の層が見えていた。写真では見にくいが、底にあるのが葉っぱで、中間に貝の層が観察できる。


貝の層のあたりを拡大したもの。円で囲んだあたりがそれ。仮に普通の民家で、たまたま家の庭を掘ってみたらこんな貝殻が出てきても、歴史的な遺跡とはだれも思わないだろうなあ。前に住んでた人が、穴掘ってゴミを捨てたんだろう、てなもんだ。しかし、よく見ると、貝殻はかなり整然と置かれている。「再生」を願い、祈り、土に帰されたのだろう。そう考えると、貝塚を神社や公園にするのは良いのかもしれない。祈りの場とし、時に子どもたちの遊ぶ声が聞こえることにより、命が繋がっていることを魂が感じ取れる場になる。


神社の裏手、この奥が公園になっている。よく見ると、小石などに混ざって貝殻が見つけられる。


見つけた貝殻を、落ち葉に載せて撮影してみた。小さな巻貝が、千葉市で出土する中では最も多い「キサゴ」。これで、直径12~3ミリ位だろうか。ほかに、アサリらしい貝の破片もあった。貝塚には埋葬された遺体も出土するが、このキサゴが敷き詰められた上に遺体が置かれ、さらにその上にもキサゴが置かれている例もあるという。ここからも、縄文の人々にとって貝は神聖なものであったことが推測される。



こちらは、東寺山貝塚から300メートルほど離れたところにある「廿五里(つうへいじ)貝塚」。「廿五里」と書いて、「つうへいじ」と読ませるが、普通の人は読めない。もちろん、わたしも読めなかった。いわれを調べてみたが、結局は誰にもわからないらしい。周辺は「殿山ガーデン」という乗馬などができる施設で、勝手に入ることはできない。それにしても、貝塚の上を駐車場にするとは・・現代人の病理としかいいようがない。


市の設置した案内板。案内板を立てるだけでなく、せめて畳一枚程でもいいから貝の層が観察できるようにしておいてもらいたいものだ。


古くなっていて読みづらいが、ここは正確には「廿五里南貝塚」で、ここから100メートルほどの所に「廿五里北貝塚」があるらしい。今は、畑になっているらしいが、今回は見つけられなかった。

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