文化逍遥。

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ウツについて

2012年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム
最近なにかと話題になることが多い鬱病。
実は、わたしも6年ほど前になるが罹患したことがある。
認知症の母の介護と近隣のトラブルに巻き込まれ、神経が高ぶり睡眠も食事もとれなくなった。
体重は10キロほど落ち、仕事も半年ほど休まざるを得なかった。精神・神経科にかかり、軽いトランキライザーを1年以上も飲み続けなければならなかった。
その後母の周辺症状は落ち着きを見せ、皮肉なことに、やがて寝たきりになって徘徊などの問題行動を起こそうにも起こせなくなり、トラブルになった住民もいなくなったことでストレスからかなり遠ざかることが出来て薬をやめることが出来た。
ただし、食事、特に朝食がおいしいと感じられるまでにはなお4年ほどかかったものだった。
わたしの古い友人の中にも、子どもの障害や病気に思い悩んだりして鬱になり今も薬を手放せない者が複数いる。

テレビなどでは、鬱病の基本的な治療として休養と投薬、と強調されている。
最近の研究では、鬱と脳の機能障害の関連も解明されてきているとも言う。
体を酷使しすぎれば怪我をしたり骨折したりするように、こころも過度に働くと障害を受けるということだろう。
が、病気の家族など避けることのできない問題を抱えきれないほど抱えている者には、休養などはほど遠い。
さらに、薬にもリスクが付き物だ。
わたしも、抗鬱薬を飲んだことがあるが副作用が出て使えなかった。

認知療法も、教科書どうりの対応で改善される程度のものならさほど深刻な鬱とは思えない。
鬱の深刻さを厭というほど分かっているだけに、最近のテレビなどでの取り上げたかに疑問を抱かざるを得ない。
鬱病に罹患したことで仕事を辞めざるを得なかった人も多いだろう。
社会全体で鬱病の深刻さをもっと理解して、精神科へ掛ることへの偏見が無くなり、職場や学校などでの適切な対応が広がるように願わずにいられない。


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