文化逍遥。

良質な文化の紹介。

入船亭 扇橋師匠を悼んで

2015年07月14日 | 落語
 入船亭 扇橋師匠が7月10日亡くなった。84歳だった。
 古典落語を地で語れる数少ない噺家さんだった。もっとも時代の変化が激しすぎるので、若手に古典落語を自然に語れ、というのも無理な話だ。わたしは1957年(昭和32年)の生まれだが、子どもの頃は家の前、道一本隔てて「長屋」があった。そこでは流しも便所も共同で、昔ながらの共同体意識も生きていた。また、近くの畑には隅に「肥溜」があり、下肥(人糞)が匂いを発していて、かくれんぼをしていた友達が落ちてちょっとした騒ぎになったりした。千葉市の中心街に近い我が家でも水洗トイレになったのは、わたしが中学生の頃なので1970年頃だった。つまりは、それ以降に生まれた、現在40代半ばより若い噺家さん達には長屋での生活を描く古典落語の世界を身を持って語ることはすでに困難になった、と言える。客も理解出来ない言葉や情景が多くなるので、古典落語を理解してもらうには情景描写によほど工夫しなければならなくなっている。

 扇橋師匠の生の高座に触れたのは、もう20年近くも前だろうか。演目は記憶していないが、三宅坂の国立演芸場だったように思う。静かに語りかけつつ、古典の世界に引き込む話芸に底力を感じたものだった。落語では首を左右に振って人物を演じ分けるが、これを落語の符牒で「上下(かみしも)を振る」と言うらしい。昔は、年長者などは必ず上座に座るので、高座に上がり上座・下座を表しつつ登場人物の「立ち位置」を明確にすることに語源があるのではないか、と個人的に考えている。この「上下(かみしも)を振る」のを大げさにやる噺家さんも多い。特に若手はいわゆるクサくなりやすい。扇橋師匠の高座は、この所作が実に自然だった。聴き終わった後、落語を聴いたという実感を得ることが出来た。晩年は体の不調に苦しんだようだった。ご冥福をお祈りしたい。

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