一度だけだが、岡本文弥(ぶんや)師匠の新内を生で聴いたことがある。1995年8月、東京の「お江戸日本橋亭」で、師匠100歳の時だった。翌1996年10月6日には101歳で亡くなられている。なので今思えば、極めて貴重な公演に接することが出来た、と感じている。下の画像は、その時のプログラム。さらに、CDや本も会場で買い求めたもの。
師匠は、さすがに足腰は大分弱っているように見受けられた。が、声は豊かでハリがあり、若い弟子よりも格段にレベルが高かった。何か、人間の可能性のすごさを感じた。自分にはとても真似できない、というのが正直なところだ。が、少しでも近づきたい、とは思う。
テイチクレコードのCDでTECY-30029。1990年頃の録音と思われる。民話に題材をとった『鶴女房(23分40秒)』と、三遊亭円朝作「真景累が淵」を題材に富元により歌われる『富元豊志賀(25分10秒)』を収録。
「語りもの」と呼ばれる芸は、いろいろ流派があるが「豊後節」という浄瑠璃から派生している親類のようなものらしい。「新内」もその中のひとつ。古典落語に「常磐津のお師匠さん」とか「清元のお師匠さん」というがよく出てくるが、それらも節回しの違う親類という。残念ながら、わたしは詳しいことは知らず、節を聞いてそれが常磐津なのか富本なのか清元なのか、はたまた新内なのかを聴き分けることはできない。
CDの裏面。
解説の中で文弥師匠が印象的な言葉を残しているので、以下に引用しておく。
「伝統芸能を後世へ伝えるためにはその芸能の正しい古風古典を勉強し、その蓄積を土台に新作品を発表普及しなければいけません。昭和の初めからそのように努力してきたのですが、世間は私をキチガイと笑い、邪道と非難しました。・・・」
こちらは、平成7年同成社刊『新内集』。文弥師匠が、新内を学ぶ人のために制作した教則本に近いもの。本の中「こころがまえ」と題する一文から、以下に引用。
『新内は、西の義太夫と並んで「語りもの」の浄瑠璃音曲の代表です。フシと声だけを売り物にする「唄」ではない。新内の芸の正体は「心」であり「腹ハラ」であり、歌う部分も大事だけれどそれと一しょに「コトバ」(一般にはセリフとも)をおろそかにしてはなりたちません。・・』
師匠は、さすがに足腰は大分弱っているように見受けられた。が、声は豊かでハリがあり、若い弟子よりも格段にレベルが高かった。何か、人間の可能性のすごさを感じた。自分にはとても真似できない、というのが正直なところだ。が、少しでも近づきたい、とは思う。
テイチクレコードのCDでTECY-30029。1990年頃の録音と思われる。民話に題材をとった『鶴女房(23分40秒)』と、三遊亭円朝作「真景累が淵」を題材に富元により歌われる『富元豊志賀(25分10秒)』を収録。
「語りもの」と呼ばれる芸は、いろいろ流派があるが「豊後節」という浄瑠璃から派生している親類のようなものらしい。「新内」もその中のひとつ。古典落語に「常磐津のお師匠さん」とか「清元のお師匠さん」というがよく出てくるが、それらも節回しの違う親類という。残念ながら、わたしは詳しいことは知らず、節を聞いてそれが常磐津なのか富本なのか清元なのか、はたまた新内なのかを聴き分けることはできない。
CDの裏面。
解説の中で文弥師匠が印象的な言葉を残しているので、以下に引用しておく。
「伝統芸能を後世へ伝えるためにはその芸能の正しい古風古典を勉強し、その蓄積を土台に新作品を発表普及しなければいけません。昭和の初めからそのように努力してきたのですが、世間は私をキチガイと笑い、邪道と非難しました。・・・」
こちらは、平成7年同成社刊『新内集』。文弥師匠が、新内を学ぶ人のために制作した教則本に近いもの。本の中「こころがまえ」と題する一文から、以下に引用。
『新内は、西の義太夫と並んで「語りもの」の浄瑠璃音曲の代表です。フシと声だけを売り物にする「唄」ではない。新内の芸の正体は「心」であり「腹ハラ」であり、歌う部分も大事だけれどそれと一しょに「コトバ」(一般にはセリフとも)をおろそかにしてはなりたちません。・・』