J.D.ショート(J.D.Short)は、1902年12月26日にミシシッピー州のデルタ地方南部ポートギブソン(Port Gibson)で生まれ、1962年10月21日にセントルイスで亡くなっている。日本では、ほとんど知られていないブルースマンだが、活動歴は長く、ギター・ヴォーカル・ハーモニカさらには足踏みドラムも同時に演奏するワンマンバンドで、ピアノも弾けたらしい。本来は、もっと注目されるべき人と思われる。
若い頃は、クラークスデイルでチャーリー・パットンなどを聴いてブルースに親しみ、1923年頃にセントルイスへ移動。1930年~1933年には、パラマウントやヴォキャリオンに録音を残している。その後は、第二次世界大戦中に陸軍に入ったものの、戦前戦後を通じてセントルイスで小さなクラブやパーティーで演奏を続けた。ハニー・ボーイ・エドワーズやビッグ・ジョー・ウィリアムスとは従弟で、時に共に演奏することもあったらしい。
ORIGIN JAZZ LIBRARYのLP、OJL11。オムニバスLPで、1930年代と思われる初期の録音2曲が入っていて、名前は「Jaydee Short」となっている。
以下4枚の写真は、イギリスBBC制作1963年のヴィデオ『The Blues 』よりテレビ画面をデジカメで撮ったもの。
セントルイスのストリートで、撮影はサミュエル・チャータース。画面左下に「SC」とあるのは、チャータースのイニシャルと思われる。
けっこう恰幅がいい。
ハーモニカは首からのホルダーではなく、ギターに固定されている。
右足でバスドラムを叩きながらの演奏。
GNP CRESCENDOレーベルのLP、GNPS10018。1962年7月にセントルイスでサミュエル・チャータースがフィールド録音したもの。LP裏ライナーノーツもチャータースが書いており、録音時にショートはすでにこの30年ほどセントルイスで暮らしていた、とある。チャータースのインタビューなども入っているが、残念ながらわたしは半分ほどしか聞き取れない。
音楽的には、伝統的なカントリーブルースを自分なりにアレンジする、といった正統的なミュージシャンだ。ヴォーカルも力強く、ハーモニカもギターにホルダーで付けて吹いているにもかかわらず、咽喉を震わすようなヴィブラートをかけている。
おそらく、昔のハウスパーティーなどでは、この人の演奏で踊ったりしたと思われる。
若い頃は、クラークスデイルでチャーリー・パットンなどを聴いてブルースに親しみ、1923年頃にセントルイスへ移動。1930年~1933年には、パラマウントやヴォキャリオンに録音を残している。その後は、第二次世界大戦中に陸軍に入ったものの、戦前戦後を通じてセントルイスで小さなクラブやパーティーで演奏を続けた。ハニー・ボーイ・エドワーズやビッグ・ジョー・ウィリアムスとは従弟で、時に共に演奏することもあったらしい。
ORIGIN JAZZ LIBRARYのLP、OJL11。オムニバスLPで、1930年代と思われる初期の録音2曲が入っていて、名前は「Jaydee Short」となっている。
以下4枚の写真は、イギリスBBC制作1963年のヴィデオ『The Blues 』よりテレビ画面をデジカメで撮ったもの。
セントルイスのストリートで、撮影はサミュエル・チャータース。画面左下に「SC」とあるのは、チャータースのイニシャルと思われる。
けっこう恰幅がいい。
ハーモニカは首からのホルダーではなく、ギターに固定されている。
右足でバスドラムを叩きながらの演奏。
GNP CRESCENDOレーベルのLP、GNPS10018。1962年7月にセントルイスでサミュエル・チャータースがフィールド録音したもの。LP裏ライナーノーツもチャータースが書いており、録音時にショートはすでにこの30年ほどセントルイスで暮らしていた、とある。チャータースのインタビューなども入っているが、残念ながらわたしは半分ほどしか聞き取れない。
音楽的には、伝統的なカントリーブルースを自分なりにアレンジする、といった正統的なミュージシャンだ。ヴォーカルも力強く、ハーモニカもギターにホルダーで付けて吹いているにもかかわらず、咽喉を震わすようなヴィブラートをかけている。
おそらく、昔のハウスパーティーなどでは、この人の演奏で踊ったりしたと思われる。