King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『流』読了

2015年09月04日 13時24分46秒 | 読書


これはNHKのラジオで今読みたい本の中で今回の
直木賞に審査員全員の得票で選出された作品で
とにかく審査員が皆楽しい読書時間であっという
まに読んでしまったというお墨付きを得た作品だと
いうので、先月のオール読物を買ったわけです。

ところが、なんとオール読物ではほんのさわり程度の
掲載で後はその後のストーリーがかいつまんで紹介
されるというお座成りな扱いでした。

でもそのときのこの作品の印象は変わった設定ではあるが
これは井上靖の夏草冬濤だなと思いました。

夏草冬濤は中学の時、教科書で読み少年期の生き方に
影響を受けた本です。

これは夏休みという解放された子供の純な心がたどる冒険の
話とも読めるし、その冒険の指針にもなり、自身の夏の記憶が
甘くほのかに浮かび上がり心の奥底からボウと照らされる
不思議な感覚に浸る青春の書です。

そんな自身の夏草冬濤を皆持っているのです。

その連帯を感じさせる物語群として、この流も同じ臭いを
発していました。

それはオール読物が番長との決闘シーンで途切れていた
せいなのでしょうが、そのあとの続きを読んで視点として
国民党側の中国人がたどった変遷流転の物語と肉親を殺された
犯人を追うサスペンスの色合いもあり、夏草冬濤のイメージは
なくなるのですが、根底にある基調が南米暴力映画の乗りがあり
これは人により好き嫌いが分れるかもしれません。

いま安保法政が国会審議され可決されようとするときに中国と
台湾、日本の立場からみる歴史観をそれぞれ見てみるとこうも
違うものかという思いもします。

台湾の親日的感情をよく日本の植民地支配が必ずしも悪ではないと
いうイメージに使う人がいますが、そんな簡単なはなしでない
のがこの小説でよく解ります。

日本人の知らない欠落した戦後史観というのが歴然としてあり、
今もそれに悩み苦しんでいる人がいるという事を認識することも
重要であると思います。

まず、終戦の日が8月15日であるとする日本の立場も未だ各式典を
行いますが、それが不戦の誓いとなっているのかときに疑問を
感じます。

というのも戦闘はその後も続き多くの日本人が抑留されたり、
強制労働されたりして、祖国に帰れずにいたのです。

アメリカも中国も戦争が終わった日を8月15日とは思っていません。

ポツダム宣言受諾なら北方四島や樺太南部や南方の島嶼群や各地
権益地までも一方的に放棄する必要があったのか納得できない
こともあります。

そして、戦後70年とする間もアメリカは新たな戦いを続けて
日本では戦後といえば第二次世界大戦ですが、世界的には
未だにテロとの戦いのさなかにあり、そんな感覚のずれの
なか国際的に事情が変わったから集団的自衛権を行使する
法律が必要になったというのはどうしても理解できません。

中国の海洋進出だとかホルムズ海峡に機雷だとか必要な事態を
色々出されても先日の抗日勝利の軍事パレードなどのニュースと
この小説の世界を考え併せても日本人にはまだ欠落している
情報があるように感じます。

この作品は作者の先祖の物語という事で自伝的な要素が強いと
いいますが、読後作者のプロフィールを見ると9歳の時に日本に
移住とあり、その後日本名の名乗りをしていることから、あれ
これは自分の物語じゃなかったのかと少しがっかりした感じを
受けました。

今まで触れない中国と日本との間の話だったので今を知るうえ
でも貴重な読書体験になったと思います。
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『彼岸過迄』読了

2015年07月15日 21時22分34秒 | 読書


『彼岸過迄』を読みました。

田舎から出て来た青年。高等遊民と自称する無職の人。
若い美人の女たち。と出てくる人たちの構成は他の小説と同じです。

今回は、変り者の同宿人とのかかわりから始まって、その変わった職業体験など
始まり方が変わっており、これは新展開かと思わせたものの、探偵のマネ
を下まででその限界をあきらかにしたようで、突如いつものように煮え切らない
三角関係のような関係を主観カメラを変えて語り手を変えかたらせたりすると
より、最初の敬太郎と森本での展開を諦めまったく違う方向になり、それが
いつもの高等遊民の登場と女たちとそれを巡る三角関係と出生の秘密までが
飛び出してきて読者としてはお腹いっぱいな感じになれます。

ですが、漱石の小説全体に見て主人公は何かを解決したり手にしたり、
新しい視点や考えに至るとか解決はいつもないのです。

参禅したり、医者にかかったり、恋をしても幸せになれなかったり、
田舎から出て来たばかりで世間に毒されてないまっすぐな性格から
の都会の生活へ向けた目など読者は色々なものを見せてもらって
美術芸術作品との関係やら都内の店のことから新聞小説としての
博覧的な視点と展開もあるもののより複雑な世界を知り、諸々体験を
してしまった大人としてはやはり物足りないのです。

つまり、小説では何も解決しないのですが、人生経験としてそれは
香解決するという経験を積んでしまった身としてはひどくお粗末な
経験不足の世間知らずの話をずっと読まされているだけのような
気にもなってしまうのです。

後記三部作といわれる最初の本ですから、もう少し漱石につきあって
みます。こころは何度も読んでいるで次は行人でしょうか。
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『門』読了

2015年07月05日 15時05分10秒 | 読書


漱石の『門』を読みました。

『三四郎』『それから』の続きで読んだものですが、
今でこそ参禅するという主人公の行動は新しい行動で
珍しい解決策として注目されますが、明治の当時は
どのように受け止められたのでしょうか。

それと前回のそれからでも感じたように、主人公の
行動と解決策には疑問が沸きます。

それと同時に色々と人生経験を経た今だからそう感じる
のか、若かりしときにこれを読んだ時にはどんなことを
感じたか逆に気になったりしました。

今回も主人公の何もしない行動にいらだったり、こう
すりゃいいじゃんと文句を言ったり、なんとももどかしい
だけで主人公に共感したり、新しい視点を得たりすること
もなく、なんでこんな煮え切らない物語に世の人はずっと
魅了され読み継がれるのかと思うのです。

だいたい漱石の物語の主人公は無産の小役人だったり、
恋も愛も無知な青年だったり、田舎から出て来た無垢な精神
だったり、自らを高等遊民などという実際世の中には
一切寄与しようもない人ばかりなのです。

過去に人を裏切り、それが元で学校をやめ親戚付き合いも
危うくなり、親の財産や債権もあやふやとなってしまうなど
という事もいくらでも抜け出すことやたいした問題でもない
ようなのに度重なる流産やらとそれに加算するかのような
混迷に対比する高等遊民の子だくさんでにぎやかな家庭と
いつも舞台立てはにたようなものです。

しかし、今回の主人公がとった参禅はおやと思わせます。
を例によってこれをきっかけによって精神的救いが訪れた
とか視点を得たとかいう結末ではありません。

しかし、人生において場面は良い方向に向かうかのような
展開に主人公のつぶやきにすべてが集約され参禅した効果も
それに沿うかのような彩となるのです。

ここまで漱石を読んできて、日本の現代の小説というのは
漱石が元であり、それを超えているのかという疑問です。

ノーベル文学賞の候補になり海外でも読者の多い村上春樹
も結局この漱石の焼き直しで、それを超えたかという疑念が
より強くなるばかりです。

それだけ、強い漱石の魅力であり作品の力があるといえる
のかもしれません。

作品中に出てくる美術品が今でも輝きを失わないのと同様
作品における何もしない主人公も結局何かを求める読者と
同じたちばなの人達であり、悩み多ければよりその解放に
近づくという感じになる構造に至っているようで、人生に
於いて色々と何かの答えのようなものを作り出した人には
またその原点を見せてくれるような味わいもあるのかと
考えさせます。

そんなことを考えてまたいくつか作品を読んでみようという
気にさせた初期三部作でした。
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『それから』読了つづき

2015年07月01日 17時41分45秒 | 読書


『それから』の読了、感想の続きです。

これはテーマとなっているものはなんなのかと考えて
本来では悲劇にもならないつまらないことが実際に
行われるべきことがあるテーマのもとに沿うと悲劇
になるという事ではないでしょうか。

主人公に与えられた地位と現況であれば大助は無産で
蓄えた知識を生かすでもなく、世に貢献とか社会に
参加とか何の欲もなく苦も無く暮らしているようです。

三千代さんを救うのも彼の地位と与えたられた状況で
何の問題もなく処理できるのです。

大人となった今読んでみるとそれをしない解決とは
親や社会からも拒否される状況に陥ってしまうという
のを描きたかったその原因を読者に問うているのでは
ないでしょうか。

つまり、大人の男としては親の選んだ結婚相手と結婚して
その財産を築いて独立後、その財と立場とによって親友の
妻を救い、別れさせたうえで何処かに住まわせて妻に
よく事情を説明の上囲ってやるやるという事も出来る
のです。

それを親を怒らして経済的援助を断ち切られ、親友とは絶交
を告げられてすぐ三千代さんと住むこともできないという
何とも不器用なことになっているのです。

それが三千代さんに対する愛だといえるのか。

よく漱石の本に出てくる真面目になってとか真面目ですかと
いわれる真摯な態度がすなわち愛なのでしょうか。

それは若い時には解らなかったけど気持ちだけでは
世の中うまくいかないことを身をもって体験すると
スマートに処理するのも実際必要だし、このケースは
そのことは現実に可能で世の男性は皆そうしていた
はずです。

それをしないで、自分の気持ともともと無産で何もできない
男が悲劇を選んだところに愛をつかむものとただ生きる者の
違いを問いかけるのではないでしょうか。

しかし、色々体験してきた身としてはこの小説のように
生きてはいけないし、やるべきではなく小説だからそう
なるのだと思いたいものです。

だから、題名もそれからなのだと思うのです。

主人公のそれからを皆で考えるという事だと思います。

漱石としては一度赤に染まるような結末を書きたかったんだなあと
真面目ですかとか真面目になってとかいう語句とともに考え
てその心情を思い描く物語でした。
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『それから』読了

2015年06月20日 12時24分13秒 | 読書
『三四郎』を読み、続いて『それから』を
当然のように読み進めました。

若い時に親しんだストレイシープや青木繁の
海の底の女の絵だとかが出てくるたび、ここで
出て来たんだとかおーこれこれと懐かしく感じ
今になってこの本を読んで解ったこととかそういう
ことだったのかとか年をとってわかったことも
多々あり、若い時にこう感じたという事も思い出したり、
現代の作家が漱石によってできているという事実も
強く感じました。

そして、瑞々しく描かれる明治の代が実に現代に
通じる現代人の憂鬱が既に明治時代にも存在し、
我々平成の世の人が如何に物質的に豊かになり、
情報に敏感になったものの既に明治の代にあった物から
脱却できていないという事実も感じ愕然とするのでした。

漱石の本など自殺者や友人の妻に思いを寄せる無産の人
とか世の中に何の影響もないどうでもいい人を主人公に
描いているのに、なぜ現在も読み継がれているのか
それが解る気がしたのが今回の読み直しです。

この項続く
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『三四郎』読了

2015年06月03日 13時28分00秒 | 読書


夏目漱石は中学校の教科書に載ったり
NHKで度々取り上げて感想大会とか特集
とかでとりあげ、札の肖像に使われた
作家ですが、実際に作品を読んでいる
人というのは意外と少ないようです。

先日書斎の片づけをして、古い写真やら
本を整理していたら、やたらと目についたのが
金閣寺の写真です。

修学旅行で二度京都奈良を訪れその後社会人に
なったばかりで一度一人で旅行したり家族で
この間旅行して修復後の金ぴかのイメージが
強い中、昔の写真を眺めたらなんで何度もここに
来てるんだろうという事と、三島由紀夫の
ほんとかも発見して、ああ、そういう事だろうと
思うのでした。

二年ほど前、漱石の美術展というのが企画され
ました。

作品に出てくる作品だけでなく、漱石が想像した
作品も現代作家により新作されたものもありました。

それだけ今も愛される作家のテーマというのは
決して明るいものではなく、『吾輩は猫である』
のようなユーモア作家として軽妙洒脱な軽いもの
でもないのです。

それなのに、彼の見ただろう絵までも集めて
展覧会をやってしまうほど彼の愛好家がいることは
逆に時代性とかテーマとしているところにスポットを当てて
よくかんがえてみるべきだと思います。

という私自身、この作品の思い出というと雨の図書館で
勉強に疲れて高校時代に発刊された岩波の全集を
見つけて懐かしく思い、立ち読みしたら面白くて
一気に読みその後本に出て来た絵を図版で探すと
いう経験です。

ついでに書くと、先の展覧会では三四郎の森の女も
新作されました。

三四郎に出てくる三四郎池を訪れて作品を読んだ人なら
あの絵は本を読んだ人や三四郎という本が好きな人なら
ちょっと違うというイメージを持ったのではないで
しょうか。

まず、絵に当たる光線の具合だとか色のことが描写され
ていますが、それを踏まえた構図ならマネの傘をさす女
のような絵になるはずなのに、段この多いあの池の周りで
女に遭遇した時の絵ならムーランドラギャレットのような
光の使い方になるはずです。

作品のテーマを込めた女の姿であれば表情とか姿かたちも
マハのような表情に謎めかせて人々がその絵の前でストレイ
シープとつぶやくようなものでなくてはならないはずです。

とまあ、いい出せばきりのないことで作品中の模写をして
もらいたいファンの心理に対して芸術家としては現代と明治の
相克まで含めて芸術表現したいところでしょうからああいう
絵になったのでしょう。

三四郎のテーマ本体に言及するより、人々がどのように
接しているかを書いた方が面白いのですが、問題はさらに
複雑化していて、この本を読んだでインスパイアされた
人がさらに自作にそれを取り込んで同じことをやっている
という現象です。

これは、ビートルズに魅せられて自作に同じコード使い
やらビートやらを取り入れてそれがまたヒット曲になって
来た歴史と似ています。

一番の代表的現象としては村上春樹ですが、彼の作品の中に
直接漱石の作品名を使ったり、手法的に寝取り寝取られて自殺
する話だったり、矢鱈と芸術作品をモチーフに使ったりと
色々と作風を踏襲するかのような使い方をしています。

そんなことを踏まえてもう一度読んで感じたことは面白い
という事です。

別に三四郎が恋い焦がれたり何か事件を起こしたり、主体
となって解決したりという事ではなくて、与次郎によって
色々な人と出会ったり事件に巻き込まれたり全てこの与次郎
のせいです。

三四郎の特長的性格とか行動が描写されることはなく、逆に
与次郎や他の学生が新青年は書くあれと意味のないダーダーファブラ
という言葉に酔って騒ぐことばかりで、そんな青春像が当時
新しく新鮮で逆に青年は恋すべしと受け取る結果をリードした
のではないかと思いました。
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『抗夫』読了

2015年05月18日 12時47分54秒 | 読書


これは読もう読もうと思っていた本で実際
読んでみると思うほど読みづらく駄作だとも
思いませんでした。

よく漱石を読む人達は『草枕』のような美しい文体を
求めているのでしょうが、漱石についてよく語り
合う人々は『こころ』のような精神性について
テーマにします。

若い読者がこの小説を読んで感想を述べたものに
作者自らが返事したものが残っているという有名な
文献が残っていたり、現代のベストセラー作家が
この本をわざわざ登場させたりと色々と取り上げられ
いつか読もうと思っていた作品です。

かつて青空文庫をコピー用紙に出力して読んだ時には
ただ退屈な本だと思ったものでしたが、今回読んでみると
これはダンテの『神曲』だと思いました。

このまだ19の少年と家を飛び出し行く手のないところに
抗夫になれと声を掛けられてのこのこついていく
地獄めぐりの旅なのです。

自ら抗夫は最低で人間以下といいつつ、おちぶれる為に
ついて行き、その鉱山がどんなものか我々はまざまざと
体験するわけですが、実際どう働いてこの少年はどうなるのか
それをずっと読者は気にして読み進まされます。

『国銅』『メタボラ』と読んできているのでこの抗夫が
人間以下とか死に場を求めて家出してしまったという話も
それぞれの世界観と対比して楽しめました。

しかし、現実その抗夫になる前から苦難は続き、抗夫からは
バカにされ、華厳の瀑にというセリフがでてきます。

当時自殺がはやったことや知識人層のやるせない感情とか
現代の派遣でしか働けない若者や大学を出て一流企業に
入ってもすぐやめていってしまう現状やブラック企業の
現状など現在にも鉱山はあるし、労働現場は依然厳しく
建設現場や介護現場で人手不足が続いて人件費が上がって
いるような報道がされていますが、それなのに実際には
介護福祉士やヘルパーの人達の労働環境が高賃金であるか
というとそんなことはなく、格差という言葉でその構造を
包み込んでしまっています。

本来我々はその格差を解消し、より豊かな社会を実現
することができるのか、それとも諸行無常という仏教の
理をといているのかこの小説には地獄めぐりと同様に
重要なテーマがあるのです。

それは読者が受け取るかどうかで違いますが、とにかく
鉱山で出会う親方や案内人や安さんそれぞれと出会い少年が
どう変わってどうなったかを体験してみるしかありません。

当時華厳の瀑を自殺の名所として広めたことにこの小説が
加担していなければいいのですが。
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『満月の道』読了

2015年05月11日 11時32分07秒 | 読書

これはkindleで最初に買った本です。

お試しで読みだしたら止まらなくなりました。

こういったお手軽さとクリック一つで読みたい本が
すぐ読めるという中毒性を感じました。

しかし、かさばらず何冊もほんを持ち歩きたい時には
実に便利です。

ただ、あまり思ったよりバッテリーが持たないので
これは突如読むものが無くなる危険もはらんでいます。

さて、そんなkindle環境下での読書となった流転の海ですが、
なんか繰り返しになってきたような感じも受けますが、すんなり
終わりそうもなく色々な伏線が意外な展開になって行ったりと
相変わらずのうまさと安心して読める日本人の原風景をみるような
物語です。

もう第9部で終わりを宣言していますが、ここまでくると過去の
物語とか登場人物もおおくなりすぎて相関関係とか人生のかかわり
とかよく解らなくなってきていますが、それでも熊吾の今後が
どのような結末を迎えるのか、はやく続きが読みたいです。
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『メタボラ』読了

2015年05月02日 11時02分18秒 | 読書

この小説は、新聞に載っているときに猛烈に
読みたいと思っていたもので、実際新聞連載時に
こらえきれず少し読んでしまったもので、その
きっかけになったのはガープ川という章の名前
でした。

ガープといえばガープの世界であり、ジョン・アービングの
奇妙な熊の着ぐるみをかぶったホモっぽい肉体をベンチプレスで
鍛え、兄弟でセックスしてしまう世界を連想する一つの作家の
部屋というか宇宙です。

そしてこの小説が沖縄を舞台にしており、記憶がない男が主人公
らしいことを記憶にとどめ次に久しぶりに新聞をまたこらえきれず
読んだ時には柏崎が舞台になっており、この沖縄と柏崎がどう
リンクしてるのかとても興味が湧きましたが、いつか単行本に
なったときに読んのを大変楽しみにしていました。

しかし、いつか読む本のリストに入ったまま読むことが
なくなっていました。

これは昨今の作家のはやりすたりの激しさと本の流通の変化で
店頭で売れる本、売られる本のあり方が変化したからだとも
思いました。

久しぶりに手にしたこの本は、いろいろ当時の小説を読んだ時
のことや色々思いだすことなどもあり、これも小説を読む醍醐味
であると思うのでした。

そして、本として読むと新聞で読んだ時とまた違うイメージと
力を感じました。

また当時の自分と今の自分の変化もこの作品を通してしることが
出来たこともありました。

壊れていくさまとかこの作家の本領を感じさせる魅力の詰まった
物語ですが、堪能したうえで苦言をいえば、結末のまずさは
この作家の特長かという思いを持ちました。

映画にもなった『OUT』では社会現象化してマスコミにも本人が
登場して結末や本のテーマについてインタビューを受けるという
シーンを見たことを思い出しました。

つまりはこの作家は書いていてその壊れた世界を語る楽しさに
夢中になりすぎて終わりにしたくなくなって突然もうやめるのよ
と親に言われて取りやめにする子供のようなタイプなのではと
思います。

本人は得意に言なって語っている様が主人公の耳をふさいで
ほしいという二度出てくるフレーズに現れていますが、さして
主人公の必然を感じないところが残念なところです。

しかし、この主人公が感じた全能感など共感できるところも
あり、物語から離れられない感じです。

結末が予想されることや主人公が少女趣味的に恋愛してメロドラマ
的に結末するというまずさはあるものの落ちてみたらまだしたが
あったという世界は諸行無常的であり、地獄めぐり的に読むのか
それとも諸行無常の確認なのか読み人の側で受け取り方に差が
出る話でもあります。

少し気になった点を書いておくと、マスコミの間違った宣伝
というのが文化を作るということで、これは朝日新聞の誤報
以来情報の修正というのは大事だという事とです。

誤った常識というのが誤ったまま生きてしまうことが問題で
この本の中でも焦げた魚を出されて激高してがんになるだろうと
騒ぐシーンが出てきますが、これもマスコミが喧伝した嘘です。

旅鼠の集団自殺などこの手の嘘が意外と生き続ける例をみる
ことが多々あり、その影響力を感じます。

何が正しいのかの確認作業のも大事だと思います。
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『国銅』読了

2015年04月16日 10時23分29秒 | 読書

これ本は新聞で紹介されて読みたいと思ったもので
ずっと前に話題になったものです。

その時の内容は、大仏殿の改修が終わり大仏が注目された
時期にこの本が発刊されていたからでしょう。

新聞の記事では、大仏の巡る時代の変遷が語られていて
この国銅もそんな内容が書かれているものと
思って読みだしてその意外な内容に驚かされました。以下続き
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『国銅』読了、続き。

2015年04月15日 10時56分41秒 | 読書
大仏建立は当時基金や大地震疫病など国を
脅かす事態を治めるためになされたと
学校の授業で教わりました。

エジプトのピラミッドにしろ国家事業として
今のニューディール政策的な国家事業でそれは
経済的にも国を建てなおす目的があった、もしくは
意識的にはなくても結果的にその効果があったと
想像されるという教師の話やテレビのドキュメント
などでも語られていました。

平成の時代に改修された大仏殿はマスコミを使い
大々的に喧伝され全国から人を集め過去の改修の
ことも語られました。

この国銅もそんな物語が語られているものと信じて
読みだしたところ他にはない小説でまたそれが意外で
二重に驚いた読み出しとなりました。

二つの特長があるこの物語は、小説の手法の
演繹と帰納といったものがなく、最初から銅が
鉱山から掘り出され銅像になる物語が人足の目から
語られるのです。

つまりテーマとなっているのは非常に仏教的なもの
で、諸行無常の世界です。

しかし、日本人はこういう困難な物語を努力と精勤
で果すというのが大好きなのです。

結果、待っているものは何なのかその意味を問い
考えることがテーマであり、仏像を作るとはという
テーマとも重なり、現在の格差社会とこの奈良時代の
人足と貴人、大僧正と乞食坊主という構図を考える
ようにできています。

実際ネットの感想などを拾ってみても涙なくして
読めないとか親心で主人公の国人を応援し、困難な
事業と国に帰る無事を祈った等の主人公踏襲型の
感想ばかりです。

著者が狙ったのは困難な状況でも努力する姿勢と
知の力が人生そのものを救うという構造で、それは
仏教の諸行無常を考えさせることであり、都では
飾った牛車と豪壮の館と寺が立ち、地方では貧しく
弱いものは命も物も奪われてしまうという当時の
再現は全て現代につながるものです。

これは仏教の知識があって他の宗教との
違いを理解している人が読むのでは違ってくる
のではと最初思いましたが、それを知らなくても
国人と同化してつらい役務も降り注ぐ春の日差しと
小川のせせらぎと思いかえれば極楽であるという
知ることでの作用と現在の自分の仕事を重ねて
思うことでその作用があると思いました。

最近、NHKでいかに国書が改ざんされたかという
歴史ヒストリアが放送されましたが、なぜ今
こんな内容的に偏った政治的なものが放送されたのか
不思議に思いました。

豊臣秀吉の朝鮮出兵は明を征服し世界制覇するという
野望であり、当時明の属国である朝鮮は目的ではなく、
奇襲したのでもなく、明を攻めるから案内せよとの命に
背いたから武力攻撃したのです。

それが属国だからとか武力による国攻めは日常だったとか
はさておくとして、この小説に出てくる渡来人とは朝鮮人
でたたら製鉄など精銅技術などはこの渡来人によりもたらされ
文字も詩も中国のものです。

仏教はインドから伝わりそういった技術や思想などは
国とか国境や人種とは関係なく人類共通の財産であり、
政治的に国としてのくくりでそれらを阻害することや
区別する矛盾も同時に感じました。
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『9年前の祈り』読了

2015年03月21日 11時53分55秒 | 読書


特別な場所と特別な思いが宿る思い出で小説が出来ると
いうのはありそうことです。

最近多いご当地言葉でつづるリズムと独特の場所の情景が
聖地だったり、祈りだったり特別な思いとリンクするという
のも特別珍しいことでもないのですが、この本は描写が
行ったり来たり繰り返される引きちぎられたミミズというのは
なになのか実際の専門家の知見が示されるわけでもなく、
何を際立たせたいのか不明なのです。

そんな上っ面だけなぞるような話が最近は多いのです。

途中過去と現在がごっちゃになって子供を捨てちゃう
異常者の話なのかとどきどきしちゃいますが、まあ
特別変わったことも結局起きないのでこの過去と現在の
行き来を情緒的に楽しむ本なのかという感じです。

つまりはあまり新しさも斬新なアイディアもなく、夢中にさせる
物もなく読書のワクワクとかドキドキもなくという最近の
本のありそうな話でとどまっている感があります。
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『紙の月』読了

2015年03月19日 23時55分33秒 | 読書
角田光代の『紙の月』を読みました。

八日目の蝉で女の三面記事のようなドラマを演じて見せて
そんな犯罪者の女を書かせると現実の事件をそばで見ている
ようなリアル感があります。

つい先日も長野の厚生年金基金を使い込んだ男が海外で逮捕
された事件がありましたが、どちらも似た様に最初の一線を
超えると百万も一億も違いがないという感覚となぜやったかと
いう事ではできるからやったとかやってみたら簡単だったとか
説明になってないような感覚がつづられるのです。

お金は贅沢に過ごすためだったり、男と楽しむためだったりと
快楽と贅を追求するという当たり前のような目的になって
いるけれどその実、元々できる人で見た目も目立つ個性と
強い正義感の持ち主とあるものえたものがあるのに現実には
欠落しているものを埋めるためにやらざるを得なかったという
ところがみられ簡単にそんなはずないと切り捨てられないところ
が見事に現実感をかもしてそんな事件最近あったけとつい検索
してしまうような書きっぷりです。

実際には正常なところで踏みとどまってつらいことを享受し
出来る自分とその恩恵を甘受して生きている人の方が多い
のですが、何がそこから転落させ行くのかは皆興味がある
ところなのです。

またそれをどう現実味をだして語るかも腕の見せ所なはずです。

その不正が日常化するところで愛人に恋人ができたり、破綻と
不幸はセットでやってくるというありきたりの展開でももっと
その日常化する手口は余りに稚拙でそれがばれないほど世の中甘く
ないはずですし、契約社員とかフルタイムのパートなどもっと
厳しい取扱いがされているのも現実で何かその辺にこの小説の
甘さも感じます。

つまり、できる人が陥る陥穽を描いているようでいてその構造
が緩いというか緻密な精神性とか意外と簡単にお年寄りは
お金を出すとかいう現実性との整合がなされればより怖い現実味
を出せたのではないかとも思いました。

後は怖いぐらい頭が切れるとか営業のカリスマ的な魅力と
手腕の所がより作られていれば事件性と犯罪味に富んだ
海外にまで逃げて捕まりそうで捕まえられない女で伝説
になり得たかもと思ってしまいました。
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おじさんが読んだ『カフーを待ちわびて』

2015年03月11日 13時58分32秒 | 読書


第一回ラブストーリー大賞最優秀受賞作だともしらず、
夷狄を待ちながら、ゴトーを待ちながらを連想して
似たものと思っていました。

舞台は沖縄、そして元いじめられっこがユタのおばあと
ゆるゆると暮らすところにロマンスが舞い込むという
若い女性が夢中になってしまいそうな筋立てです。

ところがこちらは勘違いしたおじさんです。

ストーリーの矛盾とか無理な展開とか破滅的な
終わり方とか不満なところも沢山あります。

現実的でないというのは一番納得がいかない
ところですが、ラブストーリーとしては身近に
おこり得ない方が無難なのかもしれません。

大人のドロドロとしたものを色々とみてしまった
物にはSFとかファンタジーの世界かも
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流転の海

2015年02月24日 14時27分37秒 | 読書

合わせて読んだ流転の海『花の回廊』第六部ですが、これはかつて読んでいるはずです。

しかし、いま読み返しても松坂熊吾の年齢に近づいて読むと
また味わいが深いのです。

同時に読んだ西村賢太の薄汚い私小説と比べ暗澹とした気分に
自分まで汚された感じからガラッと救ってくれました。

同じように自分の出生の物語である戦後日本の歩んできた近代史
であり、私小説でもあるのに全然漂うものから描かれているもの
の質が違うのです。

文学的なうまさというか美しさと読んで自分の歩んできたもの
築いてきた精神史なども同じような日本人の平均的な考えも
熊吾の視点と重なる物を感じます。

物語として面白いのはそんな熊吾の分析や先を見通す目や
人物判断が的確的な洞察力がありながら、時に背中に刺青を
しょった男にビール瓶で頭をかち割りに行ったり、なんども
騙されて金を持ち逃げされたりして事業に失敗を重ねている
何か欠落した人格にとても魅力を感じるのです。

どうしようもなくでたらめな激しい気性とか激しやすい種族と
朝鮮人を評しておきながら頭に血が上るととてつもない暴力を
ふるう熊吾に批判できるのかとかいろいろ突っ込みどころもあるのです。

しかし、細かい人物描写や情景の差し込みなど所々にうまいなあ
と感じるところがあるのです。

人間と日本、小説っていいなあと感じる本でもあります。
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