日曜のバスケットの試合の後遺症で体中が痛い朝です。
いつものようにブラジルで朝の珈琲をして、週末になくなった豆の
在庫確保と来月のブレンドの準備といろいろとやることがあります。
しかし、この冷え込みとやっとオープンしたかぐらの様子など聞くと
冬の足音に思わずにんまりとしてきてしまいます。
私が常々言っている大粒豆の冬の深まりとともに味を増すこの醍醐味を
これからまた味わえるという喜びと、そのもっとも味の変化を楽しめる
パカマラやレッドマウンテンを今年は確保したこと。
また今の時期ならブラジルの味の変化を日陰干しやサントスで飲み比べてみる
などいろいろな楽しみ方ができます。
いつもなら10月下旬に富士山のスキー場でオープンの様子がテレビで報道され
るのですが、今年は見なかったばかりか今月になり始めてみた湯沢のスキー場の
様子というのはやっとオープンしたかぐらの映像だったのですが、どこのスキー場
なのか名前が出なかったのです。
私のようにさんざん長年通ったものならあのゲレンデの形状だけであそこだと特定
できますが、湯沢という地名からしたら普通は越後湯沢駅周辺の駅前のスキー場が
オープンしたかのようようですが、かぐらだとかなり山のなかだし、イメージが
違う感じがします。
今オープンしている軽井沢や富士山の人工雪の雪の廊下の様なゲレンデからすると
立派なコースなのですが、今の時期のかぐらはあまり人気がなく他の一本のリフトに
行列ができるようなこともなく滑れます。それらの雪情報としてはもはや社会から
すれば山ではスキーがもうできるんですよという異世界情報を挟む感覚でながされ
実用的にかぐらスキー場がオープンしたという期待的なものでなく、湯沢のスキー
情報の様子として正式なテレビ局のカメラの映像とは思われないスキー客が撮って
どこかにアップしたようなものが瞬間ながれただけでした。もうそんな扱いになって
しまったのかという感慨ともっとこの資源を世界にアピールして集客していかなくては
ならないという感じもします。
反面今の平日のゲレンデの閑散とした状況がかつてのスキー場のように殺気を孕んだ
人であふれるものになったらそれでもスキーに行くかというと私は多分行かなくなるのでは
という気もします。
これはイルカがギタースタンドを使ってなごり雪を歌うのに匹敵するぐらい違和感が
募る難しい問題です。先シーズンで営業を打ち切ったスキー場というのもあり、毎年
衰退に向かう状況に歯止めがかかればという思いはありますが、高齢化の先にスキー
人口の増加はこれから多くは望めない感じも強く、やはり衰退はまねがれないのかも
しれません。
そんな寂しい思いとは裏腹にスキーシーズンの始まりはやはりワクワクとした思いに駆られ
うれしいものです。
実際にゲレンデに立つと人工的な道路の上に積もったようなゲレンデを滑っているときなど
俺は何をしているんだろうと疑問に思うこともあるのに帰ってくるとまたいつ行けるか考えて
いるのです。今そのいつ行けるか考えている状態であり、オープンの報はその実現の具体的
方策の行方を意味し一段と現実味が増すのです。
珈琲豆の味の深まりと同時に冬の進行はワクワク感の進行でもあるのです。