King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ニュースにもならないスキー場オープン

2018年11月26日 10時27分07秒 | 珈琲

日曜のバスケットの試合の後遺症で体中が痛い朝です。

 

いつものようにブラジルで朝の珈琲をして、週末になくなった豆の

在庫確保と来月のブレンドの準備といろいろとやることがあります。

 

しかし、この冷え込みとやっとオープンしたかぐらの様子など聞くと

冬の足音に思わずにんまりとしてきてしまいます。

 

私が常々言っている大粒豆の冬の深まりとともに味を増すこの醍醐味を

これからまた味わえるという喜びと、そのもっとも味の変化を楽しめる

パカマラやレッドマウンテンを今年は確保したこと。

 

また今の時期ならブラジルの味の変化を日陰干しやサントスで飲み比べてみる

などいろいろな楽しみ方ができます。

 

いつもなら10月下旬に富士山のスキー場でオープンの様子がテレビで報道され

るのですが、今年は見なかったばかりか今月になり始めてみた湯沢のスキー場の

様子というのはやっとオープンしたかぐらの映像だったのですが、どこのスキー場

なのか名前が出なかったのです。

 

私のようにさんざん長年通ったものならあのゲレンデの形状だけであそこだと特定

できますが、湯沢という地名からしたら普通は越後湯沢駅周辺の駅前のスキー場が

オープンしたかのようようですが、かぐらだとかなり山のなかだし、イメージが

違う感じがします。

 

今オープンしている軽井沢や富士山の人工雪の雪の廊下の様なゲレンデからすると

立派なコースなのですが、今の時期のかぐらはあまり人気がなく他の一本のリフトに

行列ができるようなこともなく滑れます。それらの雪情報としてはもはや社会から

すれば山ではスキーがもうできるんですよという異世界情報を挟む感覚でながされ

実用的にかぐらスキー場がオープンしたという期待的なものでなく、湯沢のスキー

情報の様子として正式なテレビ局のカメラの映像とは思われないスキー客が撮って

どこかにアップしたようなものが瞬間ながれただけでした。もうそんな扱いになって

しまったのかという感慨ともっとこの資源を世界にアピールして集客していかなくては

ならないという感じもします。

 

反面今の平日のゲレンデの閑散とした状況がかつてのスキー場のように殺気を孕んだ

人であふれるものになったらそれでもスキーに行くかというと私は多分行かなくなるのでは

という気もします。

 

これはイルカがギタースタンドを使ってなごり雪を歌うのに匹敵するぐらい違和感が

募る難しい問題です。先シーズンで営業を打ち切ったスキー場というのもあり、毎年

衰退に向かう状況に歯止めがかかればという思いはありますが、高齢化の先にスキー

人口の増加はこれから多くは望めない感じも強く、やはり衰退はまねがれないのかも

しれません。

 

そんな寂しい思いとは裏腹にスキーシーズンの始まりはやはりワクワクとした思いに駆られ

うれしいものです。

 

実際にゲレンデに立つと人工的な道路の上に積もったようなゲレンデを滑っているときなど

俺は何をしているんだろうと疑問に思うこともあるのに帰ってくるとまたいつ行けるか考えて

いるのです。今そのいつ行けるか考えている状態であり、オープンの報はその実現の具体的

方策の行方を意味し一段と現実味が増すのです。

 

珈琲豆の味の深まりと同時に冬の進行はワクワク感の進行でもあるのです。

 

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シンギュラリティとあんた社長なんだからについて

2018年11月26日 08時49分18秒 | 日々のこと

今盛んに報道されていることは平成最後とか

この我々世代の時代に解決するとかいう時代がかったセリフと

背景にある私こそが時代を動かしている感ではないでしょうか。

 

それを見ている我々も、おおいま時代が動いていると感じたり、

その生き証人になったような自身の意義が上がったかのようなものを感じて

いませんか。

 

それ程でもないですか。

 

私は大いにこの年末の駆け込みとか平成のうちにという動きに警戒感を抱きます。

 

それにこれから来る東京オリンピックに二度目の大阪万博とこれはいかにも前時代的な

生き方を改められない時代ボケした老人支配を感じずにはおれません。

特に万博は世界的戦争を起こせば今度こそ人類の滅亡につながるという大量破壊兵器の

拮抗する世の中で、今度は国の威勢を誇示するもう一つの側面としてスポーツや経済力

国の勢いを示す方策として編み出されたいわば脅しであり、軍事演習と変わりないと

思います。

 

国の威信とかもうすでに完全に時代遅れでありながら、まだやりたがる人がこれだけ

いるということと、税金を国民の批判を受けずに垂れ流すのにこれだけ都合のいい出し物

がオリンピックに万博だという過去の遺物なのにまだ有効な施策だと信じている愚かさ。

 

一方人工知能などの技術革新はやがて人間の知能や知性をも上回り人工知能が支配する

世の中になるという予言が具体的数値となり示されるようになっています。実際数字的に

見れば脳の機能を機械化してもっと早く計算する仕組みは可能でしょう。しかし、人工知能が

人格を持ったり、意識とか自我に目覚めるというのはあまりにSF世界です。

 

しかし、かなり前からこのテーマはSF界には出現していて『2001年宇宙の旅』HALのように

人間と会話するコンピューターは1968年に考えられていたわけです。現在似たようなものが

市販されているので現実化しているようでもあります。

 

そうしてもう一つ、ゴーン氏逮捕の事件も日本人の感覚からすればあれだけ

高額の報酬をただ一人トップだから取り続けるという態度そのものが既に

大罪のように受け止められ続々と報道される海外の高級住宅とその改装費や

姉への支出など世界的企業のトップというとこうもやりたい放題なのかと

本質のコンプライアンスと世界的問題よりも社長のやりたい放題をどうさばくのか

という問題が注目されています。この問題を聞く度、韓国の大統領が変わる度、

前大統領が必ず汚職で逮捕されるという事を思い起こさせます。

 

権力者はやりたい放題で実際その勢いの上にあるうちはよいが一旦隙ができると

本来の行いよりもそのものが私物化だとか権力が強すぎる故にとか指摘が入り

そもそもの権力の中枢に罅が入るというケースです。

 

これには日本の司法制度にも思いが及ぶのですが、そういった何が裁かれているのかという

点に海外から日本では考えられない高額でも世界的には妥当だとかいう指摘まであり、

こういうのがAIにとってかわる世界などとても想像できません。

つまりはカリスマ経営者よりかしこいAIは報酬さえ要求しないとなればこれは

またすごい世界の出現であり、貧富の差も貧困も解決してくれそうです。

 

実際日本には小さい会社が多く、それだけ高額報酬の人が多く効率の悪い社会構成になっています。

それを助けるような外国から安い労働力を入れる法律など社会構造の改革より現状のとりあえずの

維持であり今の地位に固執する人の支持から現政権と政策も支持されて出てきたものでしょう。

社会システムをAIに任せるようになるとやはり議員やら選挙やらも無駄となれば窮屈な封建的社会主義

のような世界になってしまわないかという懸念も出てきます。つまりは不寛容で無駄と格差の社会を

どう是正していくかその効率と格差のない社会とはAIに任せる前にシュミレーションしてみるといいですね。

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