King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

車の窓の霜

2018年11月29日 09時31分26秒 | 珈琲

何かとこの頃会話される言葉とは、じゃあお祭り後という事で。

秩父ではこの時期次の仕事はみんなお祭り後の廻されるのです。

そんなみんなお祭りが大事か。

そんなにお祭りで何もできないのか。

月末でいろいろ処理したり、在庫管理とか帳簿管理とかそんな日常業務も

みんな後回しか。

まあ一年に一度だからとかお祭りだから仕方ないとする人が今年は多いような

気がして、よく聞いてみると何やら曜日並びが今年は三日が月曜と完全に

休日を外しており、この平日人出だと三分の一になるという観測は最初から

あったようで、今年は色々と土曜からイベントを用意してその補填を測った

ようです。

 

だから、いつもやる月一の土曜の夜の商店街のイベントもそれにあわせて

一日に前倒しのようだし、山車サミットだとかユネスコ関連のイベントまで

入れて曜日の不利を補っている感じです。

 

以前は考えられなかったことですが、温暖化のせいで冬の花火と紅葉がセットで

見られるようになってきて団体ツアーなども色々なコース設定が可能となりました。

だからお祭りの人出の引きも早くこの頃は花火が終わる10時にサッーと人がいなく

なります。

 

地元の人はまだこれから各町内に山車を引っ張って行ったり、神社行列も神社に

帰り、お神酒をいただき解散の後また各町内会に帰っていきます。つまり明け方まで

今まで通り屋台の曳航はつづき、夜店の撤収し観光客や観客のない中でも同じように

続いていきます。

 

このお祭りの起源に織物を担いで売りに行っていたのでは買いたたかれるので、

夜祭で人を呼んでそこで商談するようにしたという話を高校の時に聞いた時は

なるほどなあと思いましたが、大正モダンという有名百貨店のポスターが銘仙館に

残っていたり、祭りの起源が室町時代にまで遡るとか漱石の小説にも銘仙の着物と

でてくることから一番秩父の織物が隆盛を極めたのが明治期とすればこの説もあまり

信憑性はなく、江戸時代に祭りにかこつけて呼ぶ話はあったにしても起源とすると

いうのはどうかという気がします。

 

ただ、今お祭りに熱中しているのは今も変わらず地元の人がこの祭りに携わり

つづけているからで、ユネスコに登録されようが観光客が集まろうが去ろうが

関係なく朝まで屋台を引く心意気があるからに違いありません。

 

そんなわけで今日もあったお祭り後にねもまあしょうもないかと受け流す

ことにして、今朝はなかった車フロントガラスの霜がないように心も温かくして

考えるようにしました。

 

 

 

 

 

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