昨年までは100年に一度の台風といいそれが毎年襲うようになり、今近づいている
台風10号は過去にない大きさと警戒されています。一昨日からこの台風のため
雷とともに急に雨が降るという状況が続いており、昨夜は何度も洪水警報やら土砂
災害警報が出て大きな音で携帯が鳴りました。
まだ台風は沖縄辺りで本格的に近づくのは月曜辺りとのことでこの突然の雨はまだ
続くようです。
このように続く災害や毎年繰り返される地震やら台風やら火山の噴火とそしてコロナウィルスと
何をあぶりだそうと次々に襲ってくるのかとどうしても考えますが、それはとても簡単なことなのか
とも思えます。もともと人々が便利に生活し暑さ寒さをしのぐのに使ってきたエネルギーが
温暖化となって地球環境を変えてしまったということなのにずっとこれには見て見ぬふりと
問題の先送りがされてきたのです。
されとてそれではと温暖化以前の原始的な電気のない生活をしたらもとにもどるのかというと
そう簡単でもありません。
しかし、一昨日からの雷雨の中でランニングして雷の光を見ながら思ったのは、あれだけの
エネルギーが毎日発生しているのにそれを生かせないのかということです。地球上には火山や
温泉と雨と水の流れ、潮の流れ海の満ち引きと自然のエネルギーに満ちています。それを
安易に化石燃料を消費してそれを国の主源料として消費し続けてきました。私の子供頃から
ウランや石油などの資源はあと数十年という限りのある資源とされていました。しかし、その
枯渇が直ぐにやってくるように言われてから50年が過ぎてもその枯渇がいつという話はまだ
聞きません。
米でもテキサスの原油が枯渇してもシェールガスという新たな資源を見つけそれは従来の
CO2削減の切り札となると言われていました。ところが当初より排出量は増え、森林火災や
台風など災害が増えているのに何ら対策はされていません。
テレビに出る映像は避難所の人々や川沿いの家が流される映像です。多くのテレビを見ている人は
安全で災害のないところから見ているはずです。そして、その数が増えていることやその度政府の
人間が安全安心のため最善を尽くすといい、壊れた橋や鉄道やら道路は復旧されるのですが、それは
この後も続くのでしょうか。
これだけコロナや災害が続くと政府の援助や助けもいつまでという気がしてきます。今はそれでいいのかも
しれないがこの先の未来は弱い人だけがあぶりだされていく世の中なのか、それとも多くの人の生活にかかわる
ように拡大してしまうのかと気にかかります。現実的にこの増える災害に対して有効な手立てなり、対策はあるのか
政府はそれについて何か手を打っているのか。我々の立場や生活で何かできることはと思っても明日から電気を
使わないで生活するとか発電は自家発電にして電気を買わないようにするとしてもどれだけの効果になるでしょうか。
これは国ぐるみで計画し全国民がとりくまないとこの災害化していく天候不順も生活防衛もできないでしょう。
なんとももどかしい思いに駆られる台風の接近のニュースです。
今朝方見た夢はまるで短編小説のようなもので実に面白いものでした。ざっとあらすじを紹介すると自分の
祖父だかの先祖の話で町の資料館にその先祖の書いた手紙があり、それが自分の出張費の清算について
よろしく頼むという依頼の手紙なのですが、それが余計な接待防止に役立っていたという逸話なのですが
その接待というのが天然ウナギが使われるというもので、静岡県のある町の話で県では天然ウナギを店で
出さないよう指導しており店舗ではもうメニューから消えているのですが、宿泊施設などでは特別料理として
未だに供されていてそのもとにあるのは天然遡上する謎の水系を持つ池の数々に天然ウナギが生息するという
事実です。川では禁漁扱いでも個人の敷地内のそれらの池ではそれは禁止できず旅館などではそれを仕入れて
食べさせているというのです。ふぐ料理が解禁されたようにある地域の天然ウナギはたべていいという歴史を
作る話でした。
何事も現実と法律やら政令やらで一律に律せられるものでないという生きたものという厄介な面があります。
そこで政治家の手腕とかが必要になるわけですが、それがどう生活者の代弁となっているかというのが現実には
なかなかそうでなく利益者の代弁となってしまっているというのがこの温暖化の問題でも解決を難しくしています。
このコロナの世の中で珈琲のある生活が色々気付かせてくれると今まで書いてきましたが、それは毎度感じる
癒しや安堵感をもたらす貴重な時間の訪れだったり、癒さる心だったわけですが、逆にそれを長くこの先もという
考えも当然考えるわけでそれを思うと一人で考えてもしょうがないことばかりとなってしまいます。
毎朝感じる朝飲む珈琲のあるありがたみとか、午後特別の豆で特別の人をお迎えする時とか、夜コンビニスィーツで
デザートとする時にも珈琲があればそれは極上空間に変わります。それらの特別な時間を多くの人に知ってもらい
同じように珈琲で人生の向上を感じられれば温暖化も世の中の存続も望みが持てるのではと考えるのでした。