King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

コロナ禍の世界とペストの記憶

2020年09月20日 14時06分49秒 | 珈琲

コロナ禍での新様式とか人々が経済活動や移動を制限される中、

それでも楽しみや生きる意味とかを見出そうと様々な活動をネットでも

見かけます。

まず、ペストが流行った中世ヨーロッパではこれは神による罰だとする

人々が自らの体を鞭打ちながら諸国を行脚する人たちとか免疫を付けようと便所の

臭いをかぐ人々という行動が記録されています。

科学が進み、医学も1928年のペニシリンの発見で様々な病気が治るようになり、

菌に対しても様々な発見と20世紀末にDNAの全解析と21世紀のその利用により、

より多くの病や生命、医療に革命的拡大で病気も次々に克服していると思われていた

矢先の2015年に中国でスーパー耐性菌の発見があり、急に暗雲が立ち込めだしました。

私たちが普段聞く耐性菌の話は医療関係で医者にしろ患者にしろ簡単な風邪でもなんでも

抗生物質を使用してしまい耐性菌を生んでしまったということでした。ところがこのニュースで

あらわになったのは現実に一番抗生物質を使用している現場は農業であり、酪農や養鶏場では

厳しい経営環境と激しい市場競争現場で薄利多売が強いられ、何トンという量で家畜に抗生物質は

与えられているのです。

そしてついに99%の抗生物質が効かないというスーパー耐性菌が現れ人類の未来に暗雲が立ち込めたのです。

つまりは中世のように簡単な切り傷や奥歯の治療などでもそれらの菌に触れてしまったらもう治療法もなく

死に至ることもあるのです。中世のように簡単な病で死んで行く人が増えていく世の中になってしまったのです。

そんなことも大々的に知られることもない現在ですが、世はその細菌よりさらに小さなコロナウィルスの蔓延する

世の中となっており、これはもう中世の人々のように何の罪なのかと考えているのです。

私も最初このコロナで出現した世の中について色々と考えてきましたが、冬にスキーやバスケットと楽しみにして

いたことが次々になくなり、あげく映画館やスポーツイベントの中止、音楽会さえも中止、さらに自宅で過ごせと

自粛生活という厳戒生活となったのです。その頃私はそういった楽しみがなくなり、それでも珈琲だけは常に

安らぎと幸福感をもたらす癒しの時を与えてくれ珈琲のある生活のありがたみを改めてかみしめる結果になりました。

ここの所聞くニュースではカリフォルニアの山火事や災害化する大雨や台風の襲来とコロナで制限を受ける上にさらに

環境面ではもう人間の住めないところが増えるという感じになっておりさらにこれは何を意味するのかと考えないといけない事態になっているのです。今やっているNHK100de名著はダニエルデフォーの『ペストの記憶』であり、

コロナ禍で私たちが今対面している事態と当時の事象と比べて私たちが今何をなすべきかという誰もが思うことに触れて

いました。当時王政復古から三年目にペストの発生と新しい制度新しい世の中になりそれを否定するかのように

ペストが襲い結果人々の意識にも変化が起きるという人間は簡単に誤った方向に行ってしまうという歴史的な事実と

それを補正するかのように立ち止まり考えさせるような事象として伝染病は繰り返し起きているという人類の歩みと

これから来るであろう細菌感染と人類の住める地域の減少もあり得る環境問題など全人類が団結して取り組まないとならない問題なのです。しかし、米トランプ大統領は未だ温暖化は迷信と取り組む気配もなく、分断の態度は続きます。

人類の英知をもう一度ということでコロナもあったのかと思えば納得の事象でもあり、いやこれはまだ序章と知れば

もっと前向きで積極的な課題と考えないとなりません。そんな意味でもこれから来る事象について環境悪化と更なる細菌禍と

知り考えないといけないのです。ただ、コロナ退散としてアマビエ様をシンボルとして掲げてありがたがったりというのは

中世期のペストの記憶と同じであり、まったく進歩も感じません。そして中世期に戻ろうかというスーパー細菌の登場などこれから描く未来はより現実に沿って考えなくてはならないのではないでしょうか。抗生物質が効かなくなる中、期待できるのは DNA折り紙によるロボットなど新たな武器となるものも開発されています。ただ恐れるのでなく超自然のものに頼るでなく、しっかりと託せるものに投資してきっちりとした未来を見据えることが重要でしょう。珈琲のある生活持続可能であるようにと願います。

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佐藤久成×高橋望オールベートーヴェンプログラムを聞く

2020年09月20日 11時31分56秒 | ライブ・コンサート・展覧会

そもそもこのコンサートは春3月14日に予定されていてそれがコロナで

非常事態宣言が出され延期となっていたものです。

プログラムはヴァイオリンソナタ第1番ニ長調

ヴァイオリンソナタ第5番ヘ長調『春』

ヴァイオリンソナタ第9番イ長調『クロイツェル』

とアンコールにボーム作曲カバァティーナ、ゴセック作曲カボット、

ボーム作曲カンツォーナでした。

 

久々の生のコンサートながら家族の都合で聞きに行けるのか直前まで

解らなかったり、もう既に夏の終わりであり、今更春の曲を聴くのもと

いうのもあり、あまり盛り上がらない気分の中、それでも天の差配か

直前に聴きに行けるということになり、開場時間に家を出ました。

 

そうすると会場は階段座席とホールに椅子を出した席はほとんど埋まっており

かなり上の方に行かないともう空きがないのでした。前回の鴻巣で開場時間の

1時間前から既に並んでいた光景を思い出し、これも佐藤久成人気のあらわれか

などと思いました。

 

佐藤久成だけでサントリーホールを埋める実力を持ちそれがわざわざ秩父で

秩父の高橋望とコンサートが催されるという奇跡とそれに遭遇できた喜びを

感じるのでした。しかし、こんな上の方で大丈夫かという不安もないでもなく

そんなヤキモキとする気持ちを持ちつつも直ぐ開演となってしまいました。

 

上から眺める座席はほとんど禿頭か白髪のご老人ばかりで鴻巣やオークラの

時とは違う客層で大丈夫だろうかといういらぬ心配までしてしまうのでした。

 

そして、おもむろにコンサートは始まり、あのヴァイオリンははじまり、

あのステップや節回しと客の反応を確かめるかのように会場を見回す

仕草やそれではこれではどうかと挑む一音一音にどんどんと引き込まれていく

のでした。

 

いつもだと高橋望氏の語りとか曲の説明とか入りますが、今回はアンコールまで

終始無言でそのアンコールでも今の曲は誰々の曲で佐藤久成さんはそういった

埋もれた曲を掘り起こし演奏するという活動もしていると紹介しただけです。

それなのに次にやった曲は誰でもが知るメロディの曲であり、そしてそれは

佐藤久成がやればこうですよと雄大に語ったものでした。秩父の人にもこれで

今回のコンサートの意図したものとか佐藤久成のヴァイオリンが理解された

物と思います。今回佐藤久成氏は一言も発しませんでした。

 

 

 

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