King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

人類の英知と味の文化

2020年09月19日 16時36分01秒 | 珈琲

灼熱の焙煎室もどうにか乗り切り、すっかり涼しい朝晩のこの頃は

これから来る秋の味覚の楽しみとか、季節限定の商品の発売の時期だとか

気にするのでした。

当然こうした楽しみは万人にもあり、誰しもそう思っていることと思ったら

以外にもそうでもないことは来店された方との何気ない会話にも表れて

秋の味覚といっても全く通じないこともあります。

例えば葡萄などやはり王道は真っ黒い大粒の巨砲のうまさですが、最近は

何とかベリーという改良品が多く出回り、それは畑で盗まれるほどの人気だと

いいます。まず思うのはそんな盗まれたものでも流通させる手立てがあるのかという

ことと市場がそんな盗難品を受け入れるのかというシステム的な不備とか

なのですが、まあうまくて人気で品薄というととかくこんなことも起きるのかという

安易なニュースを聞く側の責任も感じます。よくいう過剰なブランド信仰から

偽ブランドを知っていて買う人がいるから悪いとか市場形成原理がまずいけないとする

立場など踏まえてみると流通側と摘発側でタッグを組めば容易に解決できそうな

問題でもあるような気がします。

てっきり最近の盗難も外国人グループの存在かと思いきや捕まったのが高齢の男性で

盗めるのでやったというものでした。まあその先に盗んだものでも買ってくれる人がいる

というのは報道されていませんが問題はそこなのではないでしょうか。

秋の味覚としてさんまもありますが、すっかりスーパーなどでも特売で売り出す姿もなく

どんどん姿を見ない商品となり、売っていても以前の88円とかいう値段がもう普通に

200円から300円となっているのです。このさんまなどは以前は開きで流通するものでしたが

生のまま流通し、それも生食ができるものが普通に見られるようになったのは最近のこと

です。

すしネタとしても普通にあり、生さんまや刺身サンマを食べられるようになったのは

流通の成果ですが、その冷凍技術や朝とれたものが直ぐ市場に届くシステムがなかった時代は

やはり干して日持ちのする加工技術があり、ただ天日干しにするのでなく鰹節のように

煮て蒸してカビを付けてという技術や塩漬けするとかただ熱処理だけでない工夫かともなうのが

他の国と違う点です。

漬物など様々な乳酸菌やら酵母菌やらという複雑で色々な菌の利用は昔からされてきた実績であり、

発見と発明のたまものです。ふぐの肝の漬物などどうして毒が抜けるのかというのは科学的説明は

されていませんが実際に食用としての販売が国から許可されており、なにも科学で説明できなくても

OKという行政の力も見逃せません。江戸時代禁止されたふぐ食の許可をだした伊藤博文の逸話など

有名です。

酒は酵母、酢は酢酸、味噌醤油の酵母や納豆の納豆菌と様々な菌を使いぬか漬けやらカビなどでも

何がたべられ何が毒かなど知っていた日本人の先人の知恵を思うと日本食の力というのも改めて

感じます。ひょっとしたら肉食をやめ多彩な野菜と穀物と味噌と醤油の食事が世界標準となる日が

くるのかもしれません。中国では畜産業に抗生物質を与えることが禁止されました。ウィルスの発生も

豚由来なので養鶏や養豚産業にさらなる規制が加わりそれが世界標準となる世界も近いかもしれません。

フランスでは既に養鶏場においてゲージでの飼育の禁止が決まっています。EUで養豚場周りの水質が悪化して

問題になり、宗教も絡んだ人工培養肉の発売の活発化など世界で始まっています。ウィルス関連からそれが

今後加速するかもしれません。

願わくばさらなる安全と安心のためにより自然でホルモンやら薬など与えられていない家畜の肉を

食べたいものですが、野菜ですら工場で生産されるものが全体の30%以上でさらに将来は増えると

見る人が多く自然で安全で豊かな食品というのはなかなか自給自足でもしないと手に入らないこと

なのかもしれません。

今年我が家では南のリビングの前にオクラとラディッシュとパプリカを植えましたが、パプリカなど

なかなか色づきせず、大きくなる前にかさぶたのような傷が付き満足なものができませんでした。

オクラは直ぐに巨大化して葉っぱの下を覗くと既に手のひらより大きく硬くなったものが取れるという

家庭菜園などという素人農業はいかにプロの凄さを感じさせるのでした。店先では気持ちの悪いくらい

揃った野菜だらけでキュウリなども直線過ぎるほどまっすぐだし、葉物も虫の食った後も微塵もなく

売られていますが、こうして自分で作ってみるとそれがいかに不可能なことであるかが実感できます。

毎日目の届く庭先ですらそうなのですからきちんと設備して工場のように管理された現場で農薬や肥料も

自動で与えられるような設備で作られていることも予想できます。

こうしたことも消費者の観念から変えていかないと持続可能な社会というのは難しいのでは

ないかと思います。

手間ばかりで儲からないからやめていく、もしくはなり手がない農業などというのは未来が

ありません。

肉を売る肉屋さんもただ仕入れた肉を冷蔵庫から出して機械でスライスしているだけではなく、

ちゃんと室に入れ熟成という作業をします。そこでは室に住む菌により時にはカビなども付いて肉は

熟成していくのです。腕のいい肉屋さんはその熟成過程を熟知しておりカビが生えたら捨ててしまう素人とは

違うわけです。

私どものような自家焙煎の珈琲屋ですと豆を取り出してその状態を見極め虫食いや不良豆は

取り除くという手間を入れて焙煎をしますが、それはもちろん標準の作業だと思えばそうでもなく

案外麻袋から焙煎機に何十キロと直接入れられて焙煎されているのが普通です。

ひと手間ひと手間が全て味につながると手作り感覚でいちいちハンドピックしている人もいれば

同じ釜の大きさの店でもやらない人はやらないしさらにそもそも自身で望む珈琲の味を持たない人も

いるのです。これは不思議でもなんでもありません。私のように自身でいつもおいしい珈琲を飲みたいと

思い始めた人には提供したい目標の味がありそのために努力を尽くしますが、そもそも私が来店される方に

どんなコーヒーを飲んでいてどんな味を求めているか聞いてきましたが、今までにその答えに熱く語った人は

なく、ほとんどの方が酸味が苦手で酸味のない珈琲がいいというのみでした。

ところが最近の流行りのスペシャルティとはそもそもの魅力は酸味にあるといってよく、パナマのゲイシャも

それで世界的人気となったものです。

その酸味を否定した場合、そもそも求めるものがないといっていいのと同じなのです。

それでも当店のように裏通りにあるような店を探してやってくる珈琲通はみんなこういう味と

う具体的なものも待たずただ他所では満足できず満足できる何かにぶちあたりたくて遠くからも

足を運んでくるのです。何かにこだわり日々焙煎している人がいるというだけで自身が求める

何かも知らず探す目的のものという不思議な世界に確たるものを提供できる人が何も考えずに

ただハンドピックもせず流れ作業のように買いに来るから焼いているでいいはずはありません。

豆が生の状態で語り掛けるものに眼を向け、釡にかけてその発する歌のような音に耳を傾け

排気と温度に気を配り目的の味に仕上げるという作業があって初めて提供できるものだと思います。

しかし、実際に売っている自家焙煎店の現場で見かけるものを見るとぞっとするようなものが多く、使っている

釡もそれぞれで試しに飲んで幻滅することがいかに多いかという繰り返しをしてきてせめてちゃんと

した焙煎をしたものを提供したいという気持ちでやってきましたが、どこまで通じたか思いの端でも感じて

いただけたのかというのも確かな感じとして感じたことも少ないのですが、説明も満足にできず

手渡した方の感想を聞きしっかり伝っていると感じられたり、外国人の方でも自分なりの英語の説明でもしっかりとした試飲の反応をされたりということがあって続いているのかもしれません。

少しでもそんな共通の思いを感じられこの先も珈琲を提供できたらと日々焙煎を続けようと思うこの頃です。

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