ソロキャンプとかバーべーキューとか今はやりだと言います。
私は鉄道会社勤務時代お食事処の支配人をやっていたころこの
バーベキューを団体客に供する食事処だったことから当時は
色々バーベキューを研究しました。
ですから、いまさら自分でやりたいともその魅力についても
知り尽くしていてやろうとも思わないのですが、周りでは違い
やろうよとか道具を買ったから来いとかあるいは自宅にバーベキューサイト
を作って毎週バーベキューパーティーを開こうと思うと相談されたり
します。
まあ、結論から言うとそんなのすぐ飽きちゃったり人間関係に
悩んだりするからやめろということです。さらにいうとどこかに
旅行するとバーベキューの食事とか海鮮バーベキューなんて食事処
はどこにもあり、わざわざ自宅に用意したり自分で支度したり
果てはその後始末まで含めてやる必要は全くないということです。
全部道具も具材も用意されていて後かたずけしなくていい食事処を
利用すれば道具をそろえたり友達呼んだり買い物したり後かたずけの
わずらわしさから解放されます。
まあそう便利簡単を追求してその楽しいところだけを考える私ですが、
人によりそういう苦労の部分が普段ないからそれらのことがまた楽しいなどと
言い出すのです。つまりソロキャンプなど寂しくてつまらない極みですが、
人は一人になりにキャンプ場に行くというのです。なんとばからしい。
いつも部屋で一人でいる人がなぜまた外に行って一人になりたがるのか。
こんなことだから結婚年齢はますます高齢化し、子育てに奮戦する若者と
いうのが地域に減り社会の活力も下がっているように感じます。
まず男女の交流とか出会いとかもなく、若者が車にも乗らず、スマホだけ
いじっているという現代では豊かな社会など望むべくもありません。
これからは社会が出会いをアシストして地域で若者全員参加型のイベントを
増やすなどして少子化や福祉社会を創造していく時なのかもしれません。
それには不動産の価値とか新しい地域社会とか介護や福祉の将来像まで
ふくめて新しい技術でここまでできて将来は介護も付いているコミュニティ型
不動産権利付きモールの様な未来型の住まい方を地域が提案していく時なの
です。
さて、『スーパーサイズミー』から12年経ち続編が2019年に作られました。
昨日アマゾンでみて最初に主人公が出てきて私は一日しかたってなかったので
その老けぶりに愕然としました。前作で一ヶ月間マクドナルドのメニューだけ
食べたらどうなるかというドキュメントがスーパーサイズミーで、ハンバーガー
を食べた後車の中で吐いている映像が印象的でした。なぜそんなことをしたかといえば
マクドナルドを訴えた裁判で裁判所は原告の敗訴の中で原因の特定が定かでないと
指摘されていて、ならばマクドナルドだけ食べたらどう体が変化するかというドキュメントを
作ったわけです。
結果をいうと最初は太りすぎでもない至って健康的な普通の30代の男性ということで
その全ての健康データーも明かされた後、一月後には肝臓障害になりこれは元に戻るか
解らないという医師の判定と肥満の体です。そんな内容のドキュメントを撮った監督で
脚本家と主演を務めた人が今度は自らファーストフード店を開くというものでした。
この2では自ら健康的なファーストフードを作るというテーマを持って参入するとどんな
ことになるのかという問題点を挙げているところにその食肉業界とか行政の規制とか
農業の抱える問題が浮かび上がるのです。
それから前作から12年たち世の中の人も前より健康志向になりそれに対抗した企業の
戦略とか店舗の変化なども紹介されます。
今やマクドナルドは健康食品であり、ヘルシーなのだと宣伝しているが味は12年前と
変わらないという報告です。そして困難な問題を経て店が開店すると共感する人などで
店は行列ができる盛況でファンドから全国展開を打診されているということで終わって
います。
食を安全で安心の持続可能な農業に変えていくことができるのかということは興味がある
ところです。資本による力関係と国際間の力関係で貧しい農家や国は貧しいままで不公平や
貧困がなくせないことに問題があり、巨大化した資本と企業はあるべきものや持続可能な
社会にどう対処していくのでしょうか。
末端の我々としては毎日三度の食事のたびにその問題に対峙して善処する機会に立ち会って
いるのだといいます。消費者がそういう大企業の商品を買わなければ社会は変えられると
いうのです。
もともと牛は草を食べるように進化して胃が四つある現代の形になりました。それを世界一の
牛肉産地の米はコーンで牛を育てており、食品から肥料から塗料やあらゆるものにコーンは
使用されています。世界最大のハンバーガーチェーンで世界一の牛肉消費の肉はどう作られるか
といえば短期間で太らせるためにコーンを与えられ余り運動もさせられずずっと自分の糞の中に
立ち続けているといいます。それで何が起こったかというとO157という耐性菌の大腸菌ができて
しまいそれが混入してハンバーガーのひき肉の回収騒ぎが起きています。
日本でも起きたO157での食中毒は米の牛肉由来だったのです。牛に牧草を与えれば大腸菌は
いなくなるそうです。しかし、企業はそうせずできた肉をアンモニアで殺菌する方法をとりました。
こういう告発は近年ネットでも相次いで鳥をゲージで飼うことを禁止する法案が世界では
主流となりました。しかし、日本ではそれは秋田フーズの献金問題で報道された通り、違法な
献金で見送られたのです。
三度の食事の度とか消費者の選択でそれは防ぐことができるといいますが、選挙にもいかず
自分で食事を作ることもせずという人が多い日本ではどうでしょうか。またフェアトレード
商品とか環境を守っている農園のレインフォレストとか色々認証のコーヒーがある中、いつも
思うのはそんな団体に金が行くだけで現地の人のためになっているのかということです。
私がコーヒーの世界に入り、知人や業者からそういった団体の人の作った豆とかNPOとか
色々な人と話をしましたが、だれも珈琲の味については触れませんでした。無農薬や有機とか
いう場合も同じです。環境にやさしいとか自然のままとか耳に心地良い言葉ばかりで心に
迫ることはありません。環境と人々の生活と現地の人の豊かさで飲む人の心が癒されると
いうけれど誰かが変わって儲けているだけなのではとどうしても思えてきます。
それは珈琲の味について触れこの味のために現地の人の生活の向上と環境を守った結果
もたらされたというものがないからです。もしくは私はこういう味の珈琲を作りたいから
現地で畑から作り直接届けることができたという人もいません。豆の正当性ばかり証明し
自分たちの行いの正しさを言い募ればそれはただの言い訳にしか聞えないのです。
それでも現在販売している豆はこの値段でこの味というものが多く、それは仕入先とか
タイミングとかこれまでの実績とか様々な努力の結実であり、誇れる成果ではないかと
思われます。珈琲の甘みとか説明するたびその複雑さと知りえた喜びを感じるからまた
伝える喜びも感じられるところです。また試飲の折に説明できるようになればと思います。