King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

アサギマダラに思う

2023年10月08日 18時25分35秒 | 日々のこと
秋が深まり、白馬や富士山ではもう雪景色がみられとあれだけしつこかった暑さもなくなりコスモスが揺れ金木犀が香り、新そばが食べられる季節となりました。
異変としては松茸が全くスーパーとか食品売場にでていないことです。山のキノコはあちこちで見かけるのになぜ松茸だけがという感じです。最近は何年ぶりの祭りという言い方もされず祭りのニュースやイベントのニュースが入ります。
しかし、コロナはなくなったわけでもなくインフルエンザや溶連菌などが流行っているのです。するとあの外出禁止や飲み屋営業禁止は必要だったのか。あの税金のばらまきは無駄だったのかと思わずにはいられません。
さらに円安が進み物価高が言われ経済対策が国で検討課題になってますが、またばらまきを繰り返す無能で無策ぶりに加え、今さら消費税を半額に引き下げるとか検討されているといいます。なぜコロナのはじまりにそれができなかったのでしょうか。他の先進国では実施されました。
それもみな今までの経済対策や政策の評価がお座なりで、オリンピックや万博やカジノは全く国民に以前のような効果もないことを考え新しい税金の使い方や防衛費の使い方を議論しなくてはならないと思います。まあ、それでも各地のお祭りがあれだけ行われもはや神事としての効果などでなく誰も疑問に思わず続くのですからどうしたものかと思います。さて昨日見に行ったフジバカマですが今年植えて早速あさぎまだらの飛来があったということを聞き、自然の偉大さと人類の進歩など実にちっちゃなものだという気がします。我々は情報を得るため新聞やら通信ネットワークやらを構築し、世界の隅々まで瞬時に何が起き、天気がどうなるかまで知っているようなつもりですが、アサギマダラは秩父の山の中に今年フジバカマが植えられそれが咲いているというのはどこでどう察知してはるか何千キロ旅して来たのでしょうか。人間も電気や電波の利用のない遥か昔から集落を作りなんの動力を持たない時代から世界中に住んでいるのをみれば他の動物同様自然の情報を利用し仲間との情報も通信する手段を持っていたはずです。今の電気を使うことに慣れ本来の能力を忘れ機械に頼り本来の強さも忘れ食生活や環境変化で病気は増えました。それでも人類は各地に繁殖し寿命も延びているから現代の進歩を認め評価する人もいるでしょう。今でも何十万もの人がなくなる戦争が続いていたり、災害で数万人なくなっています。これは幸福の定義やその求め方を追求して来なかったからではないでしょうか。ギリシャで起きた倫理という学問はそんなものだったそうです。それが今の倫理感に置き換わってしまったのです。これは自由人権法の下の平等を打ち出す民主主義に人権を守る方向性に加え万人が幸福になる誰もが苦しまない社会を目指すべきでしょう。

コメント
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