King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ホース

2021年05月11日 10時05分57秒 | 珈琲

今月に入りゆっくりとテレビの前でビデオ鑑賞という時間もないまま

あわただしい日々が続きます。

連休終了でまたゆったりした日々が戻るかと思いきや相変わらずでした。

それに月末の支払いが連休で今月になりまたあたふたとしています。

 

どこも出かけずスキーもしないで冬が終わり、温泉に行きたかったとか

梅雨になってどこかゆっくりしに行こうかなどと思うのですが、現実には

とても今どこかに行く気にもなれず、まずはこの疲れを癒すことを考えて

見るのでした。

 

昨年の今頃は春に植えた花々を楽しみ、我が家に芍薬や数々のハーブの香る庭にできたことの喜びを感じていたのでした。

ところが、その小さな芍薬は夏の日差しで溶けてしまい、どうにかかろうじて

残った一本の木も花芽が付いていたのに今年は咲きませんでした。

 

それでも今年も春の花々の香りを日々嗅ぎそれぞれに様々な思いを掻き立てられ

自然とのかかわりとか自然が教えてくれるものを日々感じています。

 

この香りの物語は実に複雑で夜の夢の中にも出てくるし、はるか昔の記憶と

結びついていたり、何か予言めいたものも感じたりと実に広がりのある世界を

見せます。

なぜかこの話をしても誰も興味も共感もされないのですが、だれもが感じて

いるのはずのことが誰にも見えていなかったり感じてなかったりというのは

現実ではままある事です。

 

珍しい南国の花でその香りの物語が遠い過去から紡ぐ人々の物語などという

ことでなく、ありふれた普通の植え込みの躑躅が目で見ただけでなく香りを

嗅いで遥か昔の記憶を思い出すというのは私だけではないはずですが、

それにとどまらず実にさまざまに物語を含んでいることに誰も興味を示さない

というのも残念なことです。躑躅の昔の記憶と結びつくことといえば

くまんばちのことです。それにまつわる同級生と戯れた様々なこととか

アカシアの独特な強い香りに強い郷愁と仏壇の香りのような昔の記憶と

宗教的体験という刺激も受けたりと心地よいと感じる気持ちと再生を

体験しつつ、未来の予言も受けているように感じたりします。

 

そんな出来事に現実的な教示としては庭に撒く散水のホースにより

もたらされました。

ホームセンターで結構な値段がしたロールに巻かれた散水用のホースは

なんだかんだの末やっと思い切って買ったものでした。

それで当初はかなりのバージョンアップを感じていたのですが、それも

昨日までのことで普通こういう散水ホースは安いのは冬の寒さを経ると

急にボロボロと朽ちだしたり穴が開きだすという過去の記憶がよみがえる

ようなまだその寒い冬にもなっていないのにひと月経ったホースは一か所

また一か所とふさいでも次々と穴が開きだし安物をつかまされたという

感じを受けました。

 

昔と違い工業製品の質の高さを最近は感じていただけにまさかという事態

でした。

 

結局何も変わっていなかったという思いをさせられた事件でした。

 

このように珈琲の世界でも高いものを買い求めてコンテスト受賞豆や

カップオブエクセレンスのマークの付いた豆とかをありがたがって買って

も結局は珈琲じゃないような薄い味のないコーヒーを飲まされたりと

さんざん売り手の言葉に振り回されて流行に乗らない今のスタイルに

なったものの世の中はまだ高い豆を買い続けて信用しているという現実に

似ていると感じるのでした。


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