『かもめ食堂』『めがね』の小林聡美、もたいまさこは一定の需要があるようで何時もコンビでドラマとか映画が撮られています。
最近それに謎なダンスもセットとなりひとつの結界を張りこの映画がわかる人は感性が豊かでと人を区別し人のセンスを計るかのような装置のように扱う人までいます。
映画『パーフェクトデイズ』『日日是好日』もその延長上にある映画かもしれません。
私もかつて茶事に呼ばれたらどうしようとか、初釜に出ることになったらとその準備に奮闘した時期がありました。
それは知人が茶道にこって色々聞かされたからでいつとばっちりが飛んでくるかと躍起になったのです。
秩父はかつては料亭とか貸間とか仕出し屋とか呉服屋とかもたくさんあったのですが、そもそもお寺もたくさんあり法事やら葬儀などでもお寺に行き坊主と面会する機会も多々あり、そうすると座敷に上がって和菓子が出されそれぞれに意味があったり、葬式の引き物にまんじゅうがあったりしました。
すっかりそんな生活様式も様変わりするなか作法とか人の立ち居振舞いとかとやかく言われない世の中になってきました。
ところがお辞儀ひとつでその人の素性や精神のなり立ちを見抜く人が今でもいるというシーンがよく映画でも出てきます。
よく聞く話で中小企業の社長がその人となりを見抜くのに食事に一緒に行き焼き魚を食べさせそのはしさばきや食べ方を見るなんて話もありました。
今でもプロの手仕事の美しさが話題になりますが、職人の仕事とかもう既にロマンになってしまったのかもしれません。
日日是好日の中に出てくる美しい和菓子は最後にスーパーで出てくる虎屋や亀屋万年堂のものと思われます。亀屋万年堂もシャトレーゼに買収されたように菓匠としてオーダー和菓子を作るなんて機会も最近では減っているのかもしれません。
そんな意味で日日是好日では12年に一度しか使われない茶器とか屋敷や庭園掛け軸から茶道具一式揃え、果たして生徒の月謝で生活が成り立つのかといった経済面にも気が行ってしまい美しい和菓子よりシャトレーゼのケーキと珈琲でいいような気もしてきます。
日日是好日でも樹木希林のお茶の先生が縁側でコーヒーを淹れるシーンがあり絵として決まっているのでした。
それが折り紙ドリッパーだったらとかウッドのドリップスタンドだったらとか余計なことも考えてしまいます。
映画の中ではカリタの茶色のドリッパーが使われ、ドリップボットはユキワのものかと思われ絵としてはお茶の先生の淹れるコーヒーとして決まっており味がありました。
なにも落ちもなくなにも事件らしいこともなく、世の中目まぐるしく変わり飛んでもない事件に満ちているとナレーションでは流れても画面には美しい庭の風景しか流れず日日是好日の意味を押し迫るそんな映画で日本人にしか撮れない映画です。
一方テレビではお笑いタレントが地方やチェーン店などに行ってうまっというだけの番組だらけです。
そんな味に対する日本人の変化や食の安全とか色々思うのですが日本の規制や方針は安全安心とは程遠くなんとかならないのかと常に思います。
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