なんとか無事東平地区から端出場地区へ戻ってこれたので、ほっと一息。。
こちらの端出場地区は東平より新しく開発された銅山で昭和5年から閉山の48年まで採鉱本部が置かれていた。
現在はその採鉱本部の跡地が再開発され銅山のテーマパークとなっている。
端出場地区にも産業遺産がいくつかあり、その一つである旧水力発電所は明治45年に建築されたもの。
赤煉瓦の美しい建物。。
鉱山鉄道に乗って観光坑道へ向かった。
途中に通る中尾トンネルは鉄道開通当時の明治26年に建設された。
ピンを用いて組み立てられた(ピントラス)ドイツ製鉄橋芦谷川鉄橋を通り、
うちよけ駅に到着。
坑内で仕事をする人が端出場や東平への出入りする時に乗った人車。
ここからは旧火薬庫を利用した観光坑道へ。
坑道内では当時の銅山の様子が人形や模型などで分かりやすく説明されている。
採鉱、運搬からわき水の引揚げ、銅の精錬までひとつひとつ手作業で行われた様子が再現されていて
その仕事の過酷さが伝わってくるようだった。
最後はアトラクション風の体験コーナーも。
「仲持」は日用品を山へ運び、祖銅を中継地まで運ぶ役割をし、女30㎏、男45㎏の荷を担いで山道を登り下りしたそう。
30㎏の荷を担ぐだけでもうフラフラ・・
しばらく体験コーナーで遊んでから坑道の外へ。
美しい渓谷の風景が目の前に広がる。
帰りは見どころがいろいろあるようなので、鉄道に乗らず歩いてゆく。
坑内の鉱毒水が浄化処理されるために通った煉瓦水路跡。
大正4年に開通した第四通洞は長さ4600m。
別子銅山の大動脈の役割を果たした。
第四通洞前にかかる橋
子供たちはこの後、砂金採り体験もした。
制限時間30分でこの水槽の砂の中に隠された砂金を採る。
皿(パン)を利用して取り出す方法には少しコツがいるようだ。
昔、砂金採りに使われてたゆり鉢。
金意外にもアメジストやトルコ石、虎目石、水晶、メノウなどもあって、採った宝石はお持ち帰りできる。
最後はボランティアガイドさんに小学生にも分かるよう、銅製錬の方法などをレクチャーして頂いた。
他人の前では比較的大人しく言うことを聞く子供たち。
こうして別子銅山を満喫した私たちは次なる目的地、松山へ向かったのだった。